リー・クアンユーの子孫の内輪もめが表すものは?
シンガポールと言えば東南アジアを代表する都市国家であり、経済力の強さが喧伝されますが、同時にその強権的な政治体制も有名です。
マレーシアから独立を果たし(というか切り離され)、草創期から発展期まで初代首相として辣腕を振るったリー・クアンユーも鬼籍に入り、既に歴史上の人物になっていますが、息子のリー・シェンロンがその体制を引き継ぎ、今年5月まで首相を務めていました。正確には、クアンユーとシェンロンの間にゴー・チョクトン第2代首相がいますが、事実上の中継ぎでした。そして首相を退いたリー・シェンロンはローレンス・ウォンに禅譲し、実質的には院政を敷いていることになります。4代中2代が「リー」家の首相であり、他2人もリー家支配体制によってもたらされたのですから、シンガポール「共和国」の首相は半世襲状態と言えるでしょう。
「半世襲」と書いたのは、世襲制度が法的にシステム化されているわけではないためですが、世界には半世襲の共和国がたくさんあるので、特にそのことでシンガポールを責めたりするつもりはありません。
その「半世襲」だからこそのトラブルなのか分かりませんが、クアンユーの子であるシェンロンと他の兄妹とで揉めており、弟がイギリスへの政治亡命を求めるにまで至りました。
記事によると先日亡くなった妹ともに、長兄のシェンロンと実家の取り壊しに関して揉めていたそうですが、家だけの問題ではないのでしょうね。そしてお家騒動が政治的な問題に発展するのは、まさに「王家」の証拠ですね。
弟妹は実家をクアンユーの遺志に従って取り壊すべきだと主張し、シェンロンは保存すべきと考えていたそうですが、初代首相の実家を聖地化したいかなとも思います。
シェンロンにも娘と息子がいますが、いずれも政界には興味が無いようで、彼自身も世襲させようとはしていないとのことです。
冒頭でシンガポールを「半世襲」の共和国と書きましたが、シェンロン前首相の意向が実現するのなら、シンガポールは本当の共和国になれるはずです。ただ、リー家「から」離れたシンガポールが政治的に安定するかどうかが一番重要でしょう。もし、権力の所在が流動化しすぎて政治が混乱し、国家の損失が大きくなりすぎたら、リー家を懐かしむ声が多くなるでしょうし、それが極まればリー家の誰かが返り咲こうとする動きもあり得ます。
もしかしたら、その時には「聖地」を巡って何か起きてもおかしくないでしょうね。