飲みニケーションとアルコール離れ
日本の若者のアルコール離れという切り口で、飲みニケーション文化が成り立たなくなっている、という言説はちょくちょく見ますが、日本だけでは無くアメリカでもアルコール場慣れが進んでいる、というニュースがWall Street Journalに出てました。
https://jp.wsj.com/articles/SB11871948684497644698304585067923151882834
お酒を飲むということ自体が一つの文化ではありますが、その文化自体が特に若い世代では消えつつあるのでしょうか。少なくとも、暇つぶしにアルコールを摂取するという行為は、暇つぶしという観点では絶対にスマートフォンには勝てないですね。
とにかく酒を飲めれば良い、という人もいるんでしょうが、単純に酒を飲むだけでは無く、その行動が何らかの付加価値を生まないと飲まないでしょう。その一つとして、かつての多くの日本企業では、上司と部下、同僚同士でのコミュニケーションを高めるために飲み会がありました。いわゆる「飲みニケーション」ですね。
安く暇つぶしできる道具もコンテンツも少なかった時代においては、飲み会も一つの暇つぶしではあったのですが、それと同時に職場の結束力を高めるという点では間違いなく有効でした。でも今はそういう時代ではありません。一気の強要をする企業・団体はさすがに絶滅しかかっているとは思いますが、そもそもアルコールを飲まない人を飲み会において許容する考えが日本全体に広まっているかというと、そうとは言えないでしょう。
日本人はアルコール分解能力が遺伝的・身体的にそれほどではありませんので、お酒を飲めない人というのはある程度の割合でいるはずなのですが、古くは「俺の酒が飲めないのか」という強要行為が事実上黙認されていました。無理矢理飲めばそのうち飲めるようになる、という理屈ですね。お酒を飲めない人に無理矢理のませるのはアルコールハラスメント、略してアルハラと言われるようになりましたが、今の若い世代はこういう理不尽な要求には拒絶感が強いです。無理矢理飲まされるお酒を好きになれない、ということでさらに若い世代でアルコール離れが進みます。それに苛ついた年配の世代がさらに無理矢理飲ませて、さらにアルコール離れが進んで、という悪循環になっている気がします。
そもそも飲みニケーションというのは、お酒を通じて陽気になったり弱音を吐いたりしてコミュニケーションを深めていくことが目的だったはずですが、アルハラは間違いなく目的と手段が取り違えられた結果でしょう。無理矢理飲ませるのでは無く、おいしいお酒を飲んでいる姿を見せることで、お酒を飲まない人(飲めないではなく)に興味を持ってもらうという、アルコール抜きの飲みニケーション文化を確立しない限り、若者のアルコール離れは今後も進んでいくのではないでしょうか。