流行りの「言語化」について

最近、いろいろなところで「言語化」という言葉を目にする機会が増えました。

言語化そのものは重要だと思いますし、今それが話題になっているということはそれだけ社会的に需要が高まっているのだと思います。

今までそれほど話題にならなかったのは、「言語化」という概念自体をあまり考慮してこなかったということもあるしょうけれど、必然性もそれほど無かったのかも知れません。言い換えると言語化しなくても何とかなっていた、ということです。

日本においては、日本に住む人≒日本人≒日本語話者という時代が長く、今でもほぼそうです。言語化を特に意識しなくても伝えられる内容は、他の国、民族、言語と比べると割合としては多かったはずです。

現代でも日本語話者の割合はそれほど減っていないはずですが、教育機会・教育内容の違いや生活習慣・趣味の多様化によって言語化を意識しないと伝わらない事が増えたということもあるのかも知れません。

コミュニティ間の人の移動が無ければ言語化はまず不要なはずです。非言語コミュニケーションで多くのことが伝わるからです。逆に言うと、コミュニティ間での人の移動が多くなったり、在来のコミュニティの境界線が無くなったりして、非言語コミュニケーションによる交流が出来なくなると、言語化が必要になるはずです。

日本史上、最初に言語化が必要になったのは律令制度の実施時です。日本国内を漢字文化圏することで律令を行きわたらせ、地方から中央への納税・労役提供によって富の集中を行うためです。

その次はずっと時代を下って明治維新後です。富国強兵のため、日本中を標準語化しないといけなかったのですが、全国に教育制度を導入して各地の学校で教えられる「国語」によって日本人が同じ言語を持つことが出来ました。それ以外にも徴兵制によって徴兵された人が標準語を覚えて除隊して地元に戻るということも影響があったようです。もちろん、新興メディアである新聞の影響もありました。

戦後は徴兵制がなくなったが、新しい教育制度と新聞の全国紙化とラジオ・テレビの普及によって標準語は誰でも理解出来るようになりました。日本国内においてほぼ単一の文化の中で生活するようになり、現代と比べると趣味も文化も種類が少なく、言語化しなくても意思疎通が出来る部分が多かったと言えます。

現代が興味の多様化によって「言わなくても分かる」という内容の割合が減りました。それが昨今の「言語化」ブームを作り出しているのだと思います。「言語化」の必要性や手法はよく取り上げられていますが、今、「言語化」として要求されているほとんどは「言語による文字化」でもあります。言葉を文字に変換するのも技術が必要ですし、まぎれもなくアウトプットに位置する技術です。良質なアウトプットは良質なインプットも必要ですが、良質なインプットを得る方法や、それを脳内にて劣化させずにアウトプットに昇華させる技術も同じく重要視されるでしょう。

良質なインプットを意識的に実行する方が難しいような気もしますが・・・。

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