人の上に立つと人の顔が見えなくなる
人の上に立つ仕事や業務、立場は大変なものです。求められる質も量もアップしますし、プレッシャーだってあります。いわゆる管理職、そのさらに上の立場に行けば行くほど、難しい仕事になります。
人の上に立ち、大所高所の見地からアレコレ考えるのはもちろん大切です。大切というか、そういう立場の人がいない組織や団体はほぼ存在しないでしょう。3人いれば派閥が出来るといいますが、ずっこけ3人組みでもない限りは、少なくとも役割や立場の違いは出来てきます。
「人の上に立つ」というのはあくまで慣用的な使い方の言葉であって、物理的に実際に3メートルとか10メートルとか高い場所から見下ろしているわけではありませんが、立場がその人の目線や考え方に及ぼす影響は、物理的なものに近いように思えます。
高いところから下を見下ろすような立場にいる人にとって目に映るのは、自分に媚びを売る上目遣いをする人か、意気軒昂と胸を反って顔を上げている人だけです。困り果てて、疲れ果てて俯いている人の顔は見えません。かくして、人の上に立つ人は困っている人、弱っている人のことを理解出来なくなります。
あくまで比喩的な「人の上に立つ」人ですが、実際に社会的地位が高い人にとって、地べたを這いつくばるように必死に生きている人のことを正確に理解するのは難しいでしょう。存在することは知っていても認識は出来ないかも知れません。
だからこそ、大人が子どもの目線に合わせてしゃがむように、人と同じ地面に立って真っ正面から人の顔を見ることが重要です。ただ、これも低い視線一辺倒ですと、自分の視界に映るのは、自分と同じ目線で見つけられる、全体から見ればごく一部の人だけです。そしてそれが全てと思い込んでしまいます。はるか遠くに全く異なる人たちがいることに気がつけず、大所高所にいる人からすれば近視眼的な奴だとみなされます。かくして、組織の上層部と現場の人間の意見が食い違いが発生します。
こういった二つの視線の食い違いは、組織論としてはよくあるものでしょう。トヨタ自動車の豊田章男社長は現場大好き・車大好きですし、先日退任を発表したスズキ自動車の鈴木修会長も現場を大事にしていますね。もちろん、一般庶民にはそういう姿が好ましく思えて、称賛されやすいという下駄があるでしょうけれど。
現場から超越してひたすら役員・取締役としての業務に専念する人だっているでしょうし、それで経営が上手く行くのであればそれも称賛されるべきでしょう。
ただ、従業員に「経営者意識・目線を持て」と要求する企業や経営者や評論家とかコンサルとかいますけど、従業員側が自主的にその意識を持つのは大賛成ですが、上から押し付けるものでもないでしょう。だったら、経営者も第一線の現場意識を持って、給与も勤務体制も業務内容も最前線のアルバイトと同じようにすれば、他の従業員もすんなり経営者意識を持つようになるんじゃないのと混ぜっ返したくなりますね。