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自動翻訳しやすい日本語の書き方が必要な時代が来る

GoogleChromeやGmailを使っていると、英語で書かれたページやメールを表示したときにその画面上で日本語に翻訳することが可能です。

ざっくりした大意を掴むだけなら、正確ではない自動翻訳で十分なのでしばしば利用するのですが、そんな楽をしているとますます英語が出来ないままになるのはまあ覚悟しています。

ただ、自動翻訳に向いていないようなトピックの場合、大意を掴むのも大変な時もあります。例えばサッカーの記事であれば特有のサッカー用語が正しく日本人向けのサッカー用語に翻訳されることは稀です。多分どんな分野でも深い内容になってくると自動翻訳の精度はまだまだでしょう。

特有の用語だけではなく、英語と日本語での言い回しが大きく異なるような場合も翻訳というのは難しいものです。逆に言うと、翻訳しやすい英語で書かれている文章は、当たり前ですが自動翻訳した日本語文章も非常に読みやすくなります。

これは英語から日本語に訳す場合の話ですが、日本語を英語に訳す時も同様です。日本語も構造的に分かりやすい書き方をすれば、自動翻訳後の文章も相手方に分かりやすくなるはずです。

日本語に達者な人同士でのコミュニケーションで用いられる日本語文章では、翻訳しやすさなどを考慮する必要は毛頭ありませんが、自動翻訳された文章を日本語利用者ではない人が読む前提があれば話は変わってきます。

これから日本国の人口は減っていきます。他の言語に比べると日本語は、利用者の数と日本国民の数がほぼ同じという特徴があります。第二言語として利用出来る人も英語・フランス語・スペイン語などと比べるとはるかに少ないでしょう。実質、日本国人口の減少は日本語話者の減少と同義です。

もちろん、日本語と同様に英語やマンダリンを使えるのであれば、将来的にもグローバル社会で問題なくやっていけるでしょうけれど、そうでない日本人にしてみれば日本語だけしか使えないディスアドバンテージは、年々増えていきます。

そこで自動翻訳ですよ、となります。自動翻訳が進化しまくって分かりづらい日本語でも完璧に他言語に訳してくれるのが先か、日本語だけしか使えない人が死んでいっていなくなるのが先か分かりませんが、その途中では完璧ではない翻訳結果で相手に意思を伝える必要が出てきます。

そうなると自動翻訳後の結果を類推しながら、翻訳しやすい・されやすい日本語で話したり書いたりすることもあり得ます。

そういうときが来たらそれはそれでしょうがないのですが、問題は日本人が日本語を論理的に学ぶ機会というのがそれほど無いことです。義務教育期間で学ぶのは「国語」であって「日本語」ではなく、文法に割く時間は少なく文章読解が大前提の学習です。英語では文法ばかりしすぎることが長年批判の対象になってきて、ようやく最近、ヒアリングやスピーキングが重視されるようになりましたが、国語(日本語)の改革はあまり必要とされていないようです。

日本人が日本語を構造的に組み立てて使用する、ということは必要とされてきませんでした。お互いに日本語を深く理解していて、行間も含めて言うこと書くことが相手にほぼ正確に伝わるからこそ、そのような状態が長く続いてきたわけですが、今後人口が減少して日本語から他言語に翻訳して伝える必要が出てきた場合は、そんなことも言っていられません。

どのように日本語を書けば、話せば相手が理解しやすいか、翻訳しやすいかということは、今後の日本語教育と日本社会において重要になってくるのではないでしょうか。

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