「similar」「same」、「似せる」「偽」、「近い」「違い」、「学ぶ」「真似」
昔、予備校時代に受けた英語の講義で今でも覚えていることがあります。
「similar」という単語は、「似ている」とか「同じような」という意味ですが、「似ている」ということは「同じではない」ということであり、何か二つを比較しているのであればその二つは別のものでもある、という教えでした。つまりは「similar」と「same」は異なります。
最も、「similar」も「same」も語源は同じらしいので、ある意味こじつけに近いようなものではあるのですが、それでも強く印象に残って何年経っても覚えています。
日本語では「似せる」と「偽(にせ)」が言葉としては似ています。
音では同じこの二つの言葉は、語源も「形だけ似せたもの」が「にせ」になったらしいので、「similar」「same」と同様に語源的には近いものがあります。「似ている」ということは「本物ではない」ということになります。「similar」「same」の関係性と同じですね。
あえて「similar」「same」に無理矢理に日本語を絡めようとするなら、「近い」と「違い」でしょうか。
近いものは違いがあるというとなんだかちょっと哲学的っぽくなりますが、近いということは同じではないことを同時に意味します。これも「似せる」と「偽」とほぼ同じ関係性ですね。
後は「学ぶ(まなぶ)」と「真似(まね)」の語源も同じらしいです。「まなぶ」は「まねぶ」であり、師から教えられたものを「真似(まね)」ることが「学ぶ(まなぶ)」ことになります。
芸事で言われる「守破離」の第一段階ですね。真似ることから始めて、その教えを破り離れてこそ、新しいものを作り出せるという思想ですが、知らないこと・覚えていないことはそもそも破ったり離れたりすることが出来ません。
何の予備知識も無い状態で新しく優れたものを生み出せる人なんていないでしょう。まずは目標に近いもの、似ているものから真似て覚えていって、そこから違いを生み出して新しいものを作っていくのが学ぶということなんだと思います。