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コメの先物取引と国民意識

先日、大阪堂島商品取引所におけるコメの先物取引が終了するというニュースが流れました。

元々、日本では江戸時代に堂島にてコメの先物取引が開始され、「世界最初の先物取引」とも言われます。日本史の教科書にも載っているくらい、先進的で画期的な歴史が存在しています。

当時は金銀銅による貨幣と並び、コメの支給や売買によって経済が回っていましたので、まさに国家を支える商品かつ食料としての価格を安定焦るための仕組みでした。

このコメの先物取引は戦時中に廃止されたものの、2011年に復活して試験上場されていましたが、先日の農水省が本格上場を認めない決定を下したことで、一度復活した日本のコメ先物取引は再び消滅しました。

理由は色々報道されていますが、「先物取引」という言葉に対する忌避感が一番大きかったのではないでしょうか。

そもそも「先物取引」は、農産物のように価格が安定せず、収穫量も年々異なり、それでいて需要が高いもののために存在します。先に売買する価格を決めることで、価格の暴騰・暴落への備えをすることが出来ます。前持って決めた価格で売買する権利のみを売り買いすることも出来ますので、それが投機を呼びこむ一面は確かに存在します。

現代の激しい投機に限ったことではなく、江戸時代においてもコメなどの作物の先物取引相場によって大儲けも大損もありました。

ただ、投機的なマネーゲームはあくまで先物取引の一面でしかないはずですが、それによる悪影響のリスクだけが注目されてしまったようにも思えます。

本来は農家、生産者を守るための先物取引が投機の対象になると言うことは、農水省やJA、あるいは農政関係の政治家にとってはコメの価格が市場にコントロールされることは許されないことだったのでしょう。

そもそも、戦後の日本では(さらに言えば戦前でも)コメ価格を徹底的に政府がコントロールしてきました。配給制に始まり、食糧管理法などの法律と制度によって米価は政府が決めていました。生産者米価と消費者米価の二重の価格の差額を政府が負担してきたわけです。

その後、人口の大幅な増加を上回るペースで生産量の増加があり、その一方でコメ離れも進んだために自主流通米制度や減反政策が開始され、結果的に完全に米の流通はほぼ自由化されました。

現時点でも過剰な豊作や不作が起きたら政府が乗り出すことになります。1993年のコメの不作では世界からコメを慌てて輸入したことは覚えている人が多いでしょう。結局は、いざとなったら政府が助けるという安心感が、農家のみならず団体や政治家・官僚も含めてコメに関わる人の全てにあるかも知れません。

そして、多分それは国民の大半にも共通するでしょう。米を食べる機会も量も右肩下がりとはいえ、もしとんでもなく極端な不作になったとしたら、コメの先物取引や現物取引の市場における価格調整よりも、政府による強制的な買い上げ、販売を求める気持ちが多くの人にあるのではないでしょうか?

先物取引があれば価格の暴騰も暴落も防げるわけではありません。需給関係を調整する役割があるだけですので、リスクがゼロにはなりません。多額の税金や政治的リソースを利用して、絶対にコメの供給や価格安定に支障をきたさないシステムを最優先する、ということが、官僚と政治家と有権者のコンセンサスであるのであれば、コメの先物取引が不要扱いされてしまうのはもうしょうがないですよね。

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