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学校で教えること・教えるひとについて
勉強は何のために行うのでしょうか?
勉強しないといけないから勉強する、というトートロジー的な答えでは何の意味もありませんが、勉強する意味や必要性はどこまで社会的に認知されているのでしょうか?
よく、勉強する意味が「ない」理由として、
「三角関数なんて社会に出てから一度も使わない」
とか
「鎌倉幕府が何年に出来たかなんて覚えてもしょうがない」
とかいった感じです。
そうは言っても仕事によっては三角関数をバリバリ使う研究者やエンジニアもいるはずですし、鎌倉周辺の街の歴史に関する仕事をしている自治体関係者にとっては鎌倉幕府の成立年代は仕事に関わってきます。
これらは極端な例ですが、学校で勉強する内容が全て将来の仕事につながる人なんているわけがありません。しかし、一部が仕事に絡んでくるという人は逆にいくらでもいるでしょう。
そういった将来必要な知識を得るために勉強する、というのも大きな理由ではあるのですが、それ以上に勉強というのは、一定の情報を自分の頭にインプットして、答えを知らない問題を解くために、出来るだけ素早く正確に必要に応じた形でアウトプットできるかどうか、という能力を鍛えるためにあるのだと個人的に思っています。
学ぶ内容自体にも価値はありますが、学んで出すという入出力能力を測り鍛えるために勉強する、ということです。
それであれば学び覚える内容は別に何でもいいのか、というとそういうわけにもいきません。
サッカー選手のプロフィールを大量に覚えてチーム別や年度別に振り分けて書き出す能力を誇示されても社会での利用シーンは非常に限られるでしょう。円周率の羅列の内、501桁目から600桁目を覚えているかどうかを大学入試の試験で出すわけにはいかないでしょう。
必要とされる学習内容は、その社会、文化、国家や歴史において必要とされるものとしてそれなりに合意が得られているものになるはずです。
必要なものだからといって覚えやすいとは限りませんが、体系的に学ぶことで理解を深めて知識を増やしていくことが出来ます。
科目別に分けて教科書を使用して体系的に学ぶことが出来ることが、学校で勉強できる大きな利点ですが、時には諸々をすっ飛ばして力技で覚えてしまうこともあります。
いわゆる「丸暗記」ですが、やみくもに丸暗記しても大して役に立ちません。当たり前の事ですが結構丸暗記に頼ってしまうところがあるような気がします。丸暗記の問題点は体系的に学んでいない状態で知識を詰め込むからですが、体系的でないためそもそも覚えるのが大変です。
丸暗記を上手く使えるのはむしろ体系的に効率よく学んだ後です。そのような良い学びの前に丸暗記という力技は非常に難しいものです。
そもそも、「力(チカラ)」技という限り、チカラがあってこそのやり方であり、この場合のチカラとは学力です。学力は体系的に学んだことで身につくものであり、「体系的に学んでいない」=「学力がまだない」状態で力技で丸暗記しようとしても非常に効率が悪くほとんど覚えられないはずです。
無理な例かも知れませんが、例えば大相撲で
「横綱が苦しい体勢ながらも力技で前頭に勝った」
ということはあっても、
「前頭が苦しい体勢ながらも力技で横綱に勝った」
ということにはまずならないはずです。力技はチカラがないと出来ないものです。
ある程度学んでから暗記するという流れが本筋であって、学ぶ前に暗記させるのは無駄とは言わないまでも効率が悪いと思います。
そういった、何のために学ぶのか、どうやって学べば良いのか、ということは主に学校で教師から教えてもらうということになるはずですが、昨今の悪いニュースを見ていると本当にちゃんと指導出来るのかどうかということに疑問を抱いてしまいます。
ああいったパワハラ問題というのは根深いもので、事件化された時の加害者だけを非難しても一向に無くなりません。社会や文化の中にパワハラを容認する空気があれば根絶出来ないでしょう。パワハラされた人に対して我慢や堪え性がないといった無理筋な非難が起きることもあります。しかし、被害者側がパワハラをパワハラと認識できなければ、その人が次は加害者側になりかねません。
パワハラを無くすためにはその連鎖を断ち切ることが必要です。かつてパワハラを受けた人がそれを次につなげないことが必要です。
教育というのは社会にとって重要なことであり、それに携わる教師という仕事は本来尊敬されるべき仕事です。教師になった理由として若い頃に立派な先生に教えてもらえて憧れたから、という人もかなり多いはずです。その連環が増えてつながれば良い教師の拡大再生産が出来るはずですが、さて、今の時代はどうでしょうか?
もちろん、あんな事件になるレベルでのパワハラを起こす教師などほんの一部であって、大半の教師は優れている人達ばかりだとは思いたいのですが。