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所有欲:非所有欲と農耕民族:狩猟採集民族の超安易な比較

 21世紀に入ってからか、ミニマリズム・ミニマリストという概念が急速に広がってきました。私個人もどちらかというとミニマリストに近いかも知れません。「なんか流行っている」「ちょっとかっこいい」という気持ちが無かったとは言えませんが、単純にモノを少なくする、という考え方に惹かれました。
 もともと私は子どもの頃から整理整頓が苦手でした。大人になってからもその傾向は変わらないままだったのですが、ミニマリズムが流行っている、ということでウェブの記事や本を読んだりしているうちに気がつきました。

「モノを少なくすれば散らかるモノも無くなる」

 安直かつ自堕落な結論でしたが、そもそもモノが多くなるからこそエントロピーが増大してうんぬんかんぬん・・・。モノが減れば片付けやすくなるし、部屋が散らかることも無くなります。逆に言うと、モノが散らかると片付けるのがおっくうになり、放置されることでさらに散らかっていく、という悪循環を断つことが出来ました。
 最近では、モノを所有したいという欲望よりも、モノを所有しないようにしたいという欲求の方が強くなってきたかも知れません。所有ならぬ非所有欲というべきでしょうか。

 著名なミニマリストの方々に比べると、徹底性としては比べるまでもなく半端なミニマリストに過ぎませんが、多分一般平均からは持っているモノが少ない人間に分類されると思います。突然明日引っ越ししなければならない、という状況になっても何とかなるかなという程度ですが。

 ミニマリストにとっては引っ越しは非常に簡単なはずです。何せモノが少ないですから。当たり前ですが、モノが多いと引っ越しは大変です。引っ越し先によっては捨てる場合も多いでしょう。

 ここで唐突に話を展開しますが、遊牧民族は移動するのが常ですから、持ち運ぶモノは当然ですが少なくなります。移動先での住まいに必要か、もしくは交易に使える資産や財産を持ち運ぶことになります。一方農耕民族、特に焼畑農業から脱して完全に定住し始めてからは、毎年ずっと同じ場所にいるわけですから、持ち運ぶのが大変な量でも蓄積出来ます。別の見方をすると、遊牧民族のように簡単に移動先で食料生産できないため、不作に備えて食料や富の蓄積が必要となってきます。遊牧民族は今いる場所の緑が無くなったら、緑がある場所に移動すれば良いだけです。
 遊牧民族だけではなくて、採集がメインの人々も同様です。森の中を移動し続けるのですからたくさんのモノは持ち運べませんし、移動しつつ食料を取ればいいので蓄積の必要もないわけです。漁猟に関しては少し中間的な感じになるでしょうか。港を構えていればその近くで定住することになりますが、漁の場所は可能な限り広げることが出来ますし、魚介類から作った保存食を蓄積することも出来ます。

 農耕民族が所有欲を持っていて、狩猟採集民族が非所有欲があり、前者がモノを貯めるタイプで後者がミニマリストのタイプ、といった安易な比較を論じるつもりはありませんが、モノを持たないことへの恐怖心というのは農業における不作・飢饉に対する恐怖と似通っているような気もします。
 もちろん、だからといって日本人にミニマリズムは合わないとは思いません。
「日本人は農耕民族!」と断言しちゃう人が立場に寄らず結構いますが、網野善彦氏の研究を顧みるまでもなく、日本には漁業や狩猟で生活をする人々が古来からいます。農業だけで食料生産の全てが賄われてきたわけではないように、日本人でもモノが少なくても問題なく生活することは可能だと思います。そもそも、好きなだけモノを手に入れられるようになったのは20世紀後半の高度経済成長期以降の話しですから、日本列島での歴史から見て、モノが豊富な時代というのはこの50年程度です。身の回りのモノを少なくして生きることの方が、かえって無理のない話しなのかも知れません。

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