28歳で社会人
僕はアメリカのとある大学を卒業し28歳になって社会に出た。ちょうどITバブル真っ盛りの頃で、留学生がリクルートの対象になり始めた時期と重なったこともあって、年齢が高い割に仕事を見つけることが出来た。就職氷河期に関する文章を読むことがあると、本当に運が良かったのだと思うことがある。
大学時代の僕は、なんだか色々なことに首を突っ込んでいた。専攻2つのダブルメジャーだったし、演劇部にも所属、Japanese Tableだったかの交流会にも顔を出し、学生寮を管理するプログラムコミッティーの活動にも部分的に参加していた。結局中途半端になってしまったけれど、バンド活動を始めようとしていたこともあった。
「やってみたいことは何でもやってみる」というのは、学生時代に身につけた僕自身の「生きていくための道具」になった(流石に武器をは呼べないが、、、)。就職してからも紆余曲折はあるものの、この道具はとても役に立っている。
けれど、そうなる前僕は引きこもっていた。まだ、引きこもりという言葉がなかった頃の事だ。きっかけは大学受験の失敗だった。約3年ほど何もしない期間があった。正確には浪人初年度の夏休み前までは予備校に通っていたから、3年弱ということになる。その予備校は、「何か違う感」がひどく、個人的には全くもって、大学受験の意味が分からなくなってしまった。暗い部屋で「英短文を100個覚えましょう。」などと言われてしまうと(多分大学受験には必要なのだろう)、自分には分数の割り算は分母と分子を逆さまにして掛け算しなさいと云うことに匹敵する分からなさで混乱した。結局、浪人している間は友達とゲームをするか、一人でゲームをするかで過ぎていった。
たまに一念発起して勉強を始めるがすぐに躓いてしまうのも、失敗する浪人生のよくある話だと思う。
後から親に聞くと「この子は将来どうなってしまうのだろう」と感じていたようだ。本人が平気だったというわけではなく、勉強をしない自分・何も出来ない自分に大きな憤りを感じ、常に自問自答を繰り返している。確か3年目に入った頃だと思うけれど、突発的に壁を殴ってしまったりだとか、風呂に入っていても暖かさを感じないだとか、何か本を読んでは変に嵌まり込んだりだとか、思い返しても確かに「どうにかなっちゃっていた」と思う。
あの頃を過ごさずに、今にたどり着くことは出来たのだろうか?
自分の場合は、高校を卒業するまでの間に、あまりに多くの事をスルーし過ぎたのだと思う。人生なんて、トライ&エラーの連続だから、やってみて失敗してを繰り返し、その結果が成功であれ失敗であれ何かが自分の中に残る。その残ったものを積み重ねていくと、何かが出てくる。まぁ、失敗ばかり数年続くと、それはそれでシンドイのだけれど。その失敗の連続からだって、限りなく小さい糧は得られる。自分で、これは出来たと納得すればいいのだ。でも、それは40年以上生きてきてやっと分かったことだったりする。
もしも、もしも仮にだが、今の自分があの頃の自分と話をすることが出来たら、じっくりと話を聞いてあげたい。やりたい事だとか、その理由だとか、世の中はどうだとか、大学の選択肢だとか、ネタは色々持っているから話のきっかけ作りには困らない。、、、きっと。
そんな事に思いを馳せると、父も母もきっと色々なことが有ったんだろうなと、ふと思ったのだった。