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高次欲求達成の媒体

否が応でも視界に入る赤色。
パソコンの背面のように、なめらかでマットな質感の机。
時折、鳴り響くタイマー音、そして軽快なBGM。
脳を突き刺し、胃袋を鷲掴みにする、油と豚骨の香り。

ぼくは山岡家にいた。

山岡家は北海道を中心に展開をしている豚骨ラーメン屋さんで、東京神奈川でいうところの家系ラーメンの部類に入る。
しかし、それだけで片付けてしまうのは惜しい。
なぜなら、山岡家にはそれ以上の“何か”があるから。

北海道に帰るたび、ぼくは必ず山岡家に足を運ぶ。
自身にとっての「ソウルフード」と置いていたのだが、「元々は茨城か埼玉あたりに一号店をだしている」という話を聞いたときは、0.2ソウルほど削られた音がした。
でも大丈夫、ぼくは過去を気にしないタイプ。

さて、改めて、ぼくは山岡家が好きである。

だが「好き」以上の言葉を表現することにこれまで躊躇してきた。

もう少しで29歳。そして、すぐに30代。
ポケモンでいえば、ジュカインに進化する前、ジュプトルはその下準備かのように、Lv.30くらいでリーフブレードを覚える。今はまさにそのフェーズ。
なので、30代のオトナに進化するこのタイミングで「山岡家が好きである理由」を、ぼくのタイプ一致ワザとして言語化しておきたい。
※筆者はルビサファ版におけるリーフブレードの技エフェクトのモノマネができます。

それでは、議題に入ります。

ぼくはなぜ山岡家が好きなのか?

「好きに理由なんてない」って感じの論調は世の中には多い。
共感はしている。でも、あえて抗う。探究する。

では、どのように探求するか。
もう分解していくしかない。

だから、この議題を紐解くための、「1.前提の整理」と「2.論点の整理」からスタートする。

1.前提の整理

1.1 山岡家の特徴
北海道を中心に展開するラーメンチェーン店。醤油、塩、味噌、辛味噌など味のバリエーションが一定あり、家系ラーメンと類似している部分がある。季節によって限定メニューが登場するのも魅力的な要素。
一般的には好き嫌いが分かれるお店で、昔よりも好きになる人が増加している印象がある。「食わず嫌い」の担い手が、嫌いである層を占有しているイメージ(初期接点を終えた人はファン化しやすい)。価格帯としては¥1,000~1,200付近に位置している。

1.2 山岡家とぼくの関係
生を授かって以来、実家から200m先に山岡家が1店舗存在しており、父が元々好きだったことから、小学生くらいから自然と好きになった。本州にでてからは「帰省の儀式」として昇華。帰った際には必ず足を運んでおり、具体的には、すすきのにある山岡家と実家近くの山岡家の2店舗が選択肢に入る。

2.論点の整理

まず考えられるのが「好き」ということは、「そのものに価値を感じている」ということ。
では、「価値」って具体的にどう分けて考えればいいの?

一旦、以下の2つに分けてみることにする。
・機能的価値(他と比較したときの利便性や特徴)
・情緒的価値(体験や感情に紐づく価値)

「おかあさんが握ってくれたおにぎり」でいえば、
機能的価値は「タダ」「好みの具材をオーダーできる」「空腹を満たせる」、
情緒的価値は「ぬくもり」「感謝」「家庭内のコミュニケーション」みたいな感じ。

でも、ここで一度立ち止まってみると、好き=価値を感じるではあるが、価値がある=好きではない感じもする。
移動のときに愛用しているSuicaには価値を感じてはいるけども、別に好きじゃない。ペンギンこっち見んな。

なので、今回の論点は以下に設定したいと思う。

a. 山岡家の機能・情緒価値はなにか

b. (aを整理した上での)「好きである状態-価値を感じる理由」の差分はなにか

この2つを解き明かせばいけそうな気がする。

a. 山岡家の機能・情緒価値はなにか

a.1 機能的価値

・味
昨今の「健康トレンド」を完全に無視し、塩味の濃さと油の濃厚さを貫いている。食わず嫌いが多いのはここがポイント。仮に「全世界健康機構」なる団体が発足された場合、真っ先に欧州からクレームが来るであろう塩分濃度。新進気鋭のヘルステックベンチャー企業の若手社長も、ここは「脅威」として設定。それが良い。脳を直接揺さぶる味覚体験は「現実逃避」と「生存欲求」を同時に満たす矛盾した快感を生む。

・利便性
「24時間営業」と「(北海道にいれば)ほぼいつでもどこからでもアクセスできる近さ」。特に深夜帯における存在感は圧倒的。「この後はどこにいこうか?」という、集団における未来への期待と自己保身の想いが入り混じった問いに対して、クリティカルな案であり同時に妥協案にもなり得る存在。ヒトは一度山岡家に行くと判断した途端、赤と白しか情報処理ができくなる。そして、入店したのち、豚骨の香りで「もう帰れない」と覚悟させられるのも一興。

・カスタマイズ性
ベースとなるテイスト。味の濃さ、油の量、麺の硬さ。豊富なトッピングの選択肢。調味料。PC初心者であれば、Excelで全ての組み合わせを出力するのに半日はかかる情報ボリューム。自由自在に自分好みの一杯を作れる。山岡家に行くたびに「今日の気分」を反映させた一杯を作り出す楽しみがある。

結論
機能的価値を一言でまとめるなら、「いつどこでも、誰もが思いのままに、圧倒的に脳を刺激することができる場」である。これは日常生活のルーチンに組み込まれやすいだけでなく、日常のアクセントとしての特別感も同時に提供している。

a.2 情緒的価値

・帰省の象徴
山岡家に行くことは、帰省の儀式そのもの。小さい頃から通ってきた店が、今も変わらずに存在しているという安心感。「父親が山岡家が好きで、ぼくも自ずと…」という感動売りができる家族内のエピソードが無いのは残念だが、自分の故郷の味覚や記憶とつながることができる。

・アイデンティティ
山岡家は単なるラーメン屋ではなく、「帰属意識を確認できる場」。それが店舗という物理的な空間を超えた「象徴」として機能している。情緒的価値の中核を担っている部分。

結論
情緒的価値をまとめるなら、「日常の中に埋もれた過去の物語を、味覚と空間を通して呼び覚ます力がある」といえる。それは、一杯のラーメンを超えて「故郷そのもの」に近い感覚だ。

b.「好きである状態-価値を感じる理由」の差分はなにか

ここで重要なのは、「価値を感じるもの」と「好きなもの」の違いだ。
Suicaは便利で価値があるが、「好き」ではない。
同じように、山岡家に対する「好き」は、単なる価値の合算だけでは説明しきれない部分がある。
その差分は、山岡家が「ぼく自身の一部を表現している存在」であることだ。
例えば、ぼくが山岡家を好む理由には、「懐かしさ」や「機能性」が含まれるが、それはあくまで結果的な側面である。真に重要なのは、山岡家がぼくにとって「自己実現のための媒体」であるということだ。
ぼくが山岡家に通うことは、日常の中で「北海道出身の自分」というアイデンティティを再確認する行為でもあり、同時にそれを超えて「自分の物語」を補完する行為でもある。つまり、山岡家は、ぼく自身の記憶や感情、そして人生そのものと密接につながっている。
だから、10日間の帰省で、山岡家を6回食べちゃったんだ。

締め

冒頭で言った。

「ぼくは山岡家にいた」

それは少し違っていたのかもしれない。

正確には、

「ぼくはあるべき姿を体現していた」

のだ。

山岡家は単なる豚骨ラーメン屋ではない。
そこはぼくが「過去」と「現在」と「未来」の全てをつなげる場所であり、ぼくの人生の一部そのものだ。
そしてそのことを言語化できた今、ぼくはようやく次のステージへ進化する準備が整った気がする。

ジュプトルはリーフブレードを覚えた。さて、次はジュカインへ進化する番だ。

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