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【海外HR事情】ラッダイトからギグワークまで:変わる技術、変わらない抵抗

ラッダイト運動とは、19世紀初頭のイギリスで起こった労働者による自動織機破壊運動を指す。このラッダイトという言葉には、やや侮蔑的な含意がある。後ろ向きで、進歩が嫌いで、新しい技術を恐れる人たちのイメージと結びついているのだ。しかし、最近出版された『Blood in the Machine: The Origins of the Rebellion Against Big Tech』の中で、作家のブライアン・マーチャントは、イメージとは全く違ったラッダイトの実相を描いている。ラッダイトは組織的で、明確な要求を持ち、工場主が自分たちを機械に置き換えようとしていることを十分に理解していた、最初の労働運動だったのだ。そして、ラッダイトは愚か者であるといった評判は、当時のエリート階級による意図的な誹謗キャンペーンの結果にすぎないというのだ。

もともとラッダイトたちは、委託を受けて手動の織機を使って家で織物を作る仕事をしていた。家族全員で仕事を手伝い、自分たちでスケジュールを管理し、余暇や食事は家族一緒に過ごした。織り手が技術を習得するには7年の修行が必要だった。こうしたやり方はイングランド北部で何百年と続いていたことだった。

ところが1786年、エドモンド・カートライトが自動織機を発明、これにより、熟練の織り手が担っていた布の製造が、修行を積んでいない子供にもできるようになったのである。すると工場主は工場に動力織機をできるだけ多く設置し、貧民院から孤児を連れてきて、一日中作業させるようになった。布の生産量は急増したが、工場主たちは7歳の子供たちに、熟練の織り手に支払っていた賃金を支払うことはなかった。

織り手たちは当然のことながら、工場主たちが機械を使って自分たちの仕事、修行、生活そのものをななかったことにしようとすることを歓迎しなかった。彼らは、公正な賃金を交渉し、自分たちの権利と製品を保護するための法律を成立させようと議会に働きかけた。しかし、議会はそれには全く耳を貸さず、逆に労働組合を違法とした。そこで、労働者たちは残された唯一の手段として、自動織機の破壊活動を始めたのである。

貴族たちは議会で、機械化・自動化は誰にとっても良い結果を生むと論じた。しかし、ラッダイトの生活は一向に改善されなかった。工場主はどんどん金持ちになり、織り手たちの家族はどんどん痩せ細り、劣悪な環境で働く子供の奴隷によって作られた粗悪な布地が市場に溢れかえった。ラッダイトは、このようなやり方では生産効率化の果実は工場主のみが独占し、工場主以外のすべての人が貧しくなると訴えたのである。ところが貴族とマスコミはラッダイトを愚か者であるとする物語を捏造し、技術や機械を理解しようとしない偏屈で小心な者たちであると印象付けた。

マーチャントは、今日のUberドライバーといったテクノロジー企業も、ラッダイトと本質的には変わりがないと論じる。年月をかけて営業免許を取得し、街の地理を熟知しているタクシードライバーがUberに抗議しているのは、スマホで車を呼ぶイノベーションそのものではなく、それが無秩序に普及すると誰もが生計を立てられなくなるからである。しかしラッダイト同様、タクシードライバーも時代の波に取り残された、進歩を妨害する者として嘲笑されがちである。タクシードライバーもまた、政府による規制を期待したが、実際には逆にテクノロジー企業を利するような規制緩和が各国で行われている。

最近広がったギグワークは、家族優先の自宅勤務の自由を労働者に取り戻したかのようにも見える。しかしマーチャントによれば、ギグワークは工場を自宅へ持ち込んでしまったに過ぎない。アルゴリズムという監督者が労働者を束縛しており、自宅といえども自由な時間はない。しかも労働者一人ひとりが車の中や自宅オフィスで孤立しているため、労働者が団結する機会も失われている。

ラッダイトは機械や進歩そのものを嫌ったのではない。貪欲な資本家が機械を利用して労働者の生活を損なう方向へ進んだことを嫌ったのである。資本家の利益最優先で労働者の生活の質はないがしろにされている。ラッダイトは原始的な破壊活動ではなく、あくまでも抗議行動なのである。

(出所)
Diana Gitig, Would Luddites find the gig economy familiar?, Jan 13, 2024 


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