朝立ち。それは愛の勘違い
朝に陰茎が勃起する。この出来事についてである。
陰茎のある男性であればほとんどの人が経験していることであろう、あの現象である。
僕はいつからか不思議だなぁと思っていた。
好みの女性に近づくような夢をみていた後ならわかる。しかし、なんでもない、いつもの朝に勃っているのだ。何事なのだこれは…
陰茎のことであるから性的興奮と関係はあるのだろうとなんとなくわかるが、そうでない時もあるのだ。
以前、70代のおっちゃんを指圧していた時のこと「あーそこそこ。気持ちえーわー。それ最高…」という言葉とともに、相手の心地よさが僕の心地よさとなり、とてつもなく気持ちよくなっていた時がある。ふと気づくと勃っているではないか。
何故だ。今のところヘテロである僕は、男性に性的な興奮は覚えない。さらに言ったらかなり年上だ。僕は同世代ぐらいが好みだ。つまり、朝立ち現象と同じことが仕事中に起こったのだ。
これが、若い女性相手であれば即アウトだ。しかし、事実として起きたのだ…もし起きればどんな言い訳も無駄だ。無理だ。アウトだ。
解明を急がねばならぬ。
数日前のこと。僕の仕事の移動は車だ。仕事の半分近く移動している。その間は自分だけの時間。ほぼ、内観や思考整理に使われる。車を走らせていると、特に夜、道の上を走っているという感覚から、風景が流れる感覚になるときがある。川の流れの中にいて一体となった感じだ。そんな心地よい感じだ…
そう。そのときにも、また、勃っていたのだ。
なんなんだこれは。
心地よさに僕の陰茎は反応するということがみえてきた。性的興奮とは明らかに違う何か。
ピンときた。
その心地よさとは、一体感である。
ばったり人に会った時の喜び。
知らぬ人が同じ出身地だった喜び。
つながりとは喜びである。
好きな人と結ばれる。
一体感。それは愛の一つの形である。
日本語の「結び」もそういう意味だ。バラバラのご飯が相反する右手と左手に収まった時、一つになったとき、おむすびが生まれるのだ。愛が形になった瞬間だ。
性行為もそうだ、好きな人との一体を感じる行為である。そう考えると勃起はそのための準備だ。
ローションを使うと心地が良いのは、より一体感、愛を感じるからだ。皮膚というのは、判別性感覚、つまり自分の肉体と他とを区別する感覚器でもある。ローションにはその感覚を鈍らせる効果がある。
判別性感覚の先(奥)に原始感覚があるのだ。相手の状態を我が事として感じる感覚だ。分離でなく一体感。
朝立ちに戻る。
朝、眠りから覚めた時。それは、分離の始まりである。寝ている時、自分と他人、周りとの分離感はない。そこから目がさめると、自分という肉体を認識し分離活動を行うのだ。つまり、寝起きの状態だとまだ統一感、愛の名残があるのだ。朝に瞑想がイイというのはココにある。判別性の感覚が完全に立ち上がる前にすることで、無意識領域である普遍意識を意識化しやすい。
しかし、「愛=性行為」という固定(強い)観念があると、脳が勘違いして、愛の波動キタ!やるぞ!起きろ!と、勃起するのではないかという仮説である。もちろん妄想である。
性行為は愛の一つの形であるのに、ムッツリだった僕はどうもそちらに意識が強いようなのだ。
hideさんのbeauty &stupidを意味もわからず大声で歌っていただけあるだろう。
I wanna make love〜と…
愛を作るぐらいにしか理解していなかった。イディオムとしては知らなかったのだ…恥ずかしい限りだ。
とにかく、性行為は愛の表現の一つだ。「愛=性行為」ではなく、愛の表現の一つとして性行為が含まれる。
しかし、ここで気をつけないといけないのは、一体感の心地よさであるメイクラブの場合と、性別(つまり分離)を意味するセックス(自我欲を満たすだけ)がある。
その二つは天と地の差がある。これに関しては、趣旨がずれるので、またの機会にしよう。
月曜なので仕事だ!と準備をしてたら、あ…今日祝日で休みや。というのが朝立ちではないかと。つまり、あ、この愛の感じ!準備せねば!あ、朝かいな…みたいな…
ということがみえてきたので「愛=性行為」という観念を緩めていこうと存じます。事故が起きないために。
追記
ウィキペディアによると、膀胱に尿が溜まって…という説があったようだ。これは少しばかり局所的、物理的な見方な気がする。愛(全体性)の視点がこれからの科学、医学の進歩が必須であろう。
例えば原因不明とされる難病。
原因不明と聞くと「どうしようもない」と思われるが、よくこの言葉をみれば…
原因は不明なのです。愛という光の欠如が原因なのですよ。明るさ、面白さが足りないのですよ。
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