肩をもむか。おっぱいをもむか。
世間では、肩を揉むとお金をもらえます。しかし、おっぱいを揉むとお金を払います。
肩とおっぱいの境界線はどこにあるのか。どこからお金をもらい、どこからがお金を払うところなのか。人間というのは不思議なものです。はい。
おっぱいと肩、よくみてみると線なんてものはないです。一つあげるとすれば鎖骨でしょうか。しかしながら鎖骨の直下ならば肩の延長でいけるのではないかと。
患者さん「1日何人ぐらいしはんの?」(マッサージを)
僕「10人ちょっとですかね」
患者さん「そら、えらいわぁ」(大変という意味だが。。)
10人の肩を揉んだらエライ。
10人のおっぱいをもんだら。。エロい?!(てかもめないし!!もはやエライ)
なんの話かわからなくなってきましたけども。何が言いたいかと言いますと、おっぱいと肩に違いなんてないんです。いやあるんですけども、時計の文字盤と針みたいなもんです。違うけど一つの同じ体の一部。それぞれの役割があるということです。どちらもかけてはいけない。大切な部分なのです。
肩とおっぱい。大きく違うように見えて、その差数センチ。金を払うかもらうか。人間界にとっては大きな差であります。バカですね。そんなん。
その違いを生むのはなにか。心なのではないでしょうか。
生命からみれば、おっぱいも肩もなにも変わらないでしょう。しかし、性という視線を持てば、おもくそ変わります。日本人に生まれてよかったと思う瞬間であります。難しい問題も字や言葉をみていたら自ずと答えがみえてきます。
なんでこんなこと書くかといいますとね。妻におっぱい揉ませてと言うと、100%の確率で「肩ならいいよ」と返ってくるわけでして。僕もプロですから、試行錯誤していくうちにですね。肩をもんでたら、おっぱいもんでる感覚になってきまして、さらには、本気(治療家モード)になれば、おっぱいを肩のようにもんでいたのです。おっぱいの深部には胸郭を動かす大切な筋肉もありますからね。さらには、乳の間には膻中という心のチャクラといわれるツボもありますよ。面白いものです。
性の問題が解決したとき、それはつまり心の問題が解決したとき、「生命」というのが浮かび上がってきます。
生命とはなにか。生命とは、愛であり、神であり、本質であり、真理でありますよ。そこには、喜び、光、そういったエネルギーがあると思うのですよ。
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