「金メッキ単菅家具」が孕む美しさについて

こんにちは。

ぼくは以前の記事「新しい日本的美しさ _ 日本カルチャーに開かれた家具/インテリア/建築を目指して」において、「美しさ」を人に感じさせるためのの要素としての「新しい日本的」を宣言しました。
これはいわばモノに対する新しい評価軸であり、つくり手にとってのひとつのよりどころであり、新しい芸術論です。

ただそれは言葉だけの状態では、なんの効力も持ち得ません。
ルイス・サリヴァンの「形態は機能に従う」(1896)が「高層建築」とセットであったように、新しい概念を提示する言葉が影響力を得て世に波及するためには、指標となる具体例が必要なのですね。

こうした言葉の強化のため、つまりは「新しい日本的美しさ」とは「こういうモノです。美しいでしょ。」という説得力を獲得するために、ぼくが現段階で考える「具体例」を提示していこうと思います。

ぼくの最終的な目標は、「新しい日本的」であるといえるこれまでにない家具/インテリア/建築が生まれ得る土壌を構築することなので、「新しい日本的なモノは、本当に美しい」という感覚を波及させるために、「新しい日本的美しさ _ 日本カルチャーに開かれた家具/インテリア/建築を目指して」という宣言を複数のアングルから武装処置をする必要があります。

今回の「家具/インテリア/建築における具体例の提示」はそのひとつで、もっともわかりやすいパターンです。
では早速作品を1つ紹介していきます。

どうぞお付き合いくださいませ。

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今回「新しい日本的」の「家具/インテリア/建築における具体例」として紹介するのはこちら。

画像1

(引用元:DDAAホームページ WORK _ Daisuke Motogi Exhibition
"That Pipe In time, So Gold"
より)

これは元木大輔氏率いるデザイン事務所DDAAの作品である。
写真はテーブルを選択したが、引用元であるホームページを見るとわかるようにこの金メッキを施された単菅パイプを使用しさまざまな家具を生み出すという作品である。(以降は「金メッキ単菅家具」と呼ぶことにする。)

今回はこの「金メッキ単菅家具」が孕む「新しい日本的」要素について書いていく。

ぼくは以前の記事において、

"「新しい日本的美しさ」とは、
「n(二)次創作的」に創造され、
そこにある種の「絶妙な拙さ」を纏うモノ対して、
感じ取られる美意識、美しさである。"

と定義をした。
これに従えば、「金メッキ単菅家具」が「n(二)次創作的」に創造され、「絶妙な拙さ」を纏うということになる。なのでこのふたつの視点から、この家具たちを見ていきたい。

まずは「n(二)次創作的」であることについて。
見ての通り「金メッキ単菅家具」は、本来建築現場において主に足場用資材として用いられる単菅パイプと単菅クランプが、テーブルの脚部や棚の支柱・棚受けなどといった家具の構造体として使用されてできている。
ここで生じているデザインプロセス上の思考を読み解くと、まず単菅パイプと単菅クランプという本来的には足場用資材として用いるモノを、「重さを支えられる」「水平・垂直を生み出せる」といった"要素"として捉える。そしてそういった"要素"であるならば、家具の構造体としても当然扱えるという"別の物語"への転換あるいはアレンジを行っていると言えよう。
モノを"要素"として捉えること。そしてその要素を利用して"別の物語"をデザインする。この思考の構図こそ、まさに「n(二)次創作的」であるのである。
例えるならば、あるアニメに登場する女の子のキャラクター(A)を、そのアニメの登場人物という枠組み(大きな物語)から分離してとらえ、Aであればこういう物語があるかもしれないと想像し、Aが主役の同人誌を製作するという二次創作行為に類似しているのである。

寄り道になるが、こうした思考の起源について少し言及しておこう。
想像しにくいかもしれないが、ひと昔前=近代であればこうした思考の働きによる創作行為、つまり二次創作は生まれにくかったのである。近代という時代は、政治や文化あるいは芸術において、それらはひとつの「大きな物語」=「オリジナル」として捉えられ、信じられていた。単菅パイプや単菅クランプでいうならば、それは建築現場の足場用資材でしかなく、本来的にあるいはオリジナルとしてしか捉えられなかったはずだ。
しかし1970年代にフランスを中心に、それまで信じられていた政治的イデオロギーの瓦解に端を発し近代的思想=大きな物語を信じる傾向に疑問が生じ始める。これがいわゆるポストモダンの始まりである。
ポストモダニズム的思想は、芸術の世界にも強く影響した。大きな物語を信じない、崇拝しないという傾向が、モノの創作手法に変化を与えたのである。
前回の記事でも紹介した東浩紀氏の著書『動物化するポストモダン』によると、
"ポストモダンの世界において、「大きな物語」は隠された深層ではなく、アクセスし読み込み可能な「データベース」として捉え直された。この構造の変化によって、大きな物語が規定する「設定」や「世界観」は、ユーザーに読み込み可能つまり編集可能となり、結果無数の「小さな物語」=「二次創作」が生まれることとなった。"
と書かれている。
こうした「大きな物語」から「データベース」への移行が、「要素の引用」という「n(二)次創作的手法」を生み出したのである。
こうした創作手法は日本においては80年代から90年代にかけて、主にアニメや漫画などの「オタク系文化」において流行そして発展し、日本独自の文化の土台となっている。

話を戻すと、元木大輔氏のこの「金メッキ単菅家具」の創作手法は、ポストモダンにおけるモノのデータベース化によって生まれた、"要素"の引用というn(二)次創作的手法と言えるのではないかとぼくは考えるのである。
オタクたちが「原作」をひとつの完結した物語として捉えることを辞め、そこに登場するキャラクターや、あるいはキャラクター性を(萌えの)「要素」として抽出し、n次創作物へと展開していく。このような創作行為との類似性が、「金メッキ単菅家具」にはある。

ちなみに元木大輔氏は10+1にて、「何かをハックすること」という文章を寄稿している。

引用すると、
"デザイナーとしてゼロから新しいものをつくってみたいという欲求はあるのだけれど、何か最小限のものを付け足したり視点を変えてみるだけで、いつもの風景が違って見えるようなことはできないだろうか。"
"見慣れた風景や既製品をハックすることで効率よく新しい視点や楽しさを提示ですることができないだろうか、ということだ。"
と書かれている。

ここで述べられている「ハック」は、既存のもの(オリジナル)に対し最小限の一手を加えることで、別の新しいモノを生み出すことという意味合いを持っており、これは「n(二)次創作」と類似する。さらに元木氏はハックするためにオリジナルを成す要素体系つまりは"データベース"に丁寧にアクセスするという感覚を研ぎ澄ましている印象がある。こうしたモチベーションは「n(二)次創作的」とも非常に相性がいいのである。

次に「絶妙な拙さ」について述べる。
ぼくはこの「拙さ」について、モノはモノである状態を保ちつつも(ここが擬人化とは異なる)、キャラクター性を帯び、愛着や親近感を生み出す効果を生むものとしている。
「金メッキ単菅家具」においては、単菅パイプと単菅クランプに金メッキを施し金ピカにすることで「拙さ」を獲得しているとぼくは考える。この金メッキ加工によって単菅に対して「おめかししている。」「がんばっている。」という類のキャラクター性、愛着を少なからず感じ取るのである。

なぜこのような印象を抱くのか。先にも述べたが単菅パイプと単菅クランプは本来建築現場で足場用資材として用いられている。そこでは「強度」や「安全性」、「正確さ」のみが求められ、当然ながらまったくもって意匠性は求められていない。そんな本来的には機能のみを求められる無骨な資材に対し、金メッキという非常に強い意匠性を施している。
こうしたオリジナルとの大きな差異、無骨であるはずの資材と金ピカの意匠という"強いギャップ"によって、単菅パイプと単菅クランプは「おめかししている」「がんばっている」というようなキャラクター性、つまりは「拙さ」を獲得しているのである。

まとめると「金メッキ単菅家具」は、"本来性との大きな差異"によって、ある種のキャラクター性、そしてそこから生まれる愛着つまりは「拙さ」を纏うことに成功している。
逆に言えば、「拙さを纏う」ためには"強いギャップを与えること"が、ひとつの有効な手段であるといえるのではないだろうか。

以上で「金メッキ単菅家具」が「n(二)次創作的」に創造されているものであること、「絶妙な拙さ」を纏っていることについて説明し終えた。
こうした考えゆえに、ぼくは「金メッキ単菅家具」が「新しい日本的」であると捉えている。

そしてぼくはこの家具から「美しさ」を確かに感じるのである。

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いかがでしたでしょうか。

唐突だが今回紹介した「金メッキ単菅家具」こそが、ぼくが考える「新しい日本的美しさ」を考える上で非常に重要であった家具です。
2016年にART PHOTO TOKYOという展示会で初めてこれを目にしたとき、「とても美しい。そして今までにないジャンルの美しさだな。」と感じたのです。同時に、この美しさを捉えられる、今までにない美しさの定義が必要なのかもしれないとぼんやりと考えていました。
その結果たどり着いたのが「新しい日本的」という新しい芸術論です。

ルイス・サリヴァンが、「高層建築」という未知なる美しさを目にし、「形態は機能に従う」と提唱したように、ぼくは「金メッキ単菅家具」を目にし、「新しい日本的美しさ」を宣言したのです。

こういうとやや大掛かりに聞こえるかもしれません。
しかしぼくは「金メッキ単菅家具」から感じ取れる美しさが好きだし、これからの日本にとって非常に重要なのではないかと考えています。

微力ながら、「金メッキ単菅家具」のような「新しい日本的美しさ」をもつモノの価値を広めるべく、努力していく所存です。

それでは、この度は最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。


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