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インターハイは本当に元に戻されるべきなのか

こんにちは。石塚晴子です。
インターハイ中止が4月26日に発表されてから1ヶ月以上が経ち、徐々に試合日程が出始める中、「インターハイの代わりになる大会を実施する」という試みや企画も多く出てきました。
前提として、私はこうして大会が開催されていくことには当然ながら意義があると思っています。
スポーツは人々にとって必要なものだから、というシンプルな理由があるからです。

ですが、現在も競技者であり、かつインターハイプレイヤーだった身として「一刻も早く元のように」、また「インターハイの代わりになる大会を」という流れ一辺倒になっていることについては違和感を持たざるを得ません。
スポーツには様々な世代や種目がありますが、今回はインターハイの陸上競技に傾倒した意見であることをあらかじめ断っておきます。

私が疑問に思っているのは
・「元に戻す」ことを目標にして良いのか
・子どもたちにはインターハイが必要なのか
・インターハイに代わる大会を実行することで満足して良いのか
という点です。

「元に戻す」ことを目標にして良いのか
これはインターハイ中止発表直後から感じていたことですが、なぜ「インターハイにまつわる諸問題について今こそ考えるべきだ」という意見が出てこなかったのでしょうか。
インターハイの過密日程や、ジュニア選手の心身への大きすぎる負担はシニア期の活躍に影響を及ぼすと、これまでも世界的に批判を浴び続けてきました。
また温暖化の影響で熱中症の危険が増している中でも、毎年のように大会記録は更新され、決勝進出ラインも上がり続け、インターハイのレベルは激化の一途をたどっています。

大会のレベルが上がることは良いことのように思えますが、その活動レベルが子どもの自発的な動機を超越したものになっていることが問題だと考えています。

全国高体連が掲げている同団体の設立目的は
1、高校生の健全育成を目指す
2、競技力の向上
3、生涯スポーツ実践の基礎づくり
とされていますが、

「もしこれらの理念に添い高校生の意思と身体を本当に尊重していれば、ここまでインターハイのレベルが上がることは無いはずだ」というのが私の意見です。
つまり、外発的動機…例えば顧問や家族からの叱責や過度な期待。それらが無ければこなすことが出来ないレベルのトレーニングや、試合を行なっているということです。

インターハイのために際限なく努力を続け、身体的にも精神的にも疲労しきった選手がバーンアウトする「燃え尽き症候群」に陥る選手は決して少なくありません。
燃え尽きる対象の大会が無くなった彼ら彼女らの動向や声は、今後とても重要なものになると考えています。卒業後の競技人口や成績を注視し、声を聞き、今後のインターハイのあり方について考えるために。

つまり「この中止を無駄にしないで」というメッセージは本来高校生を励ますためではなく、私達大人が重く受け止めなければいけないはずなのです。

「何の自慢にもならない」
そう思ったのは2017年にドイツのコーチと話し、初めて海外の指導現場での考え方について触れた瞬間でした。
この話のために私のインターハイ戦績について補足しておきます。
高校3年時の全国インターハイでは5種目に出場し、5日間で14レース、距離にして合計6200mを走破しました。うち3種目で優勝と1種目で準優勝し、大会記録を2つ樹立して女子MVPに選出されました。
当時の雑誌には私の特集が大きく組まれ、その時の活躍から私のことを知ってくれている人もたくさん居ます。

過密日程をこなしたことも、怪我をしても頑張ってきたことも、友人や家族との時間を犠牲にしてきたことも、日本では成績を残したおかげで評価をされてきました。私は「すごい選手」だと周囲にたくさん言われてきました。
ですがドイツのコーチの反応は真逆であろうことを、私はすでに会話の中で感じ取り
「5日間で14レースを走ったなんて言えない」
「私の頑張りは世界では何の自慢にもならない」と思ったのでした。
きっとそのコーチは顔をしかめて「そんな無理をしてはいけないよ」と言うだろうな、と。

商業的恩恵を受けない現場と子どもたち
夏の甲子園やインターハイに賞金が発生しないのは、あくまでも「課外活動」であり教育の一環であると考えられているからです。
プロ野球が開催されるべき理由と甲子園が開催されるべき理由は、「スポーツの価値」という点では根本は同じですが、その次に「商業的活動として必要」「教育的活動として必要」
という理由がくる点では両者は全く別物と言えます。
プロ選手がプロとして活動するレベルの努力を、商業的恩恵を受けない高校生に求めるのはねじれた構造であると言わざるを得ません。

教育であるならば、なぜ燃え尽きを起こす選手が後を絶たないのでしょうか。
一生に一度の青春を理由にするには、もはや限界があるのではないでしょうか。

インターハイに代わる大会を
実行することに満足して良いのか

中止発表直後から先輩アスリートの励ましのメッセージでタイムラインが埋まっていった時、「子どもより大人の方がインターハイにこだわっている可能性はないか?」と思いました。
「インターハイが無くなって悲しいに違いない」「インターハイに代わる大会をやりたいに違いない」という想像は、あくまで想像の域を出ないものであるからです。

目標が無くなった中で時間が経った今、それぞれの心の中に頑張りたいことやその理由が芽生えていて欲しいなと思います。
それは今年中のことでなくても、陸上のことでなくても良いと思います。
そして、まだそれを見つけきれていない子に対して、周りの大人が勝手に想像して目標を与えるようなことはあって欲しくないなと思っています。

これからのために
これらを踏まえてインターハイは本当に元のように戻されるべきなのでしょうか。
繰り返しますが、スポーツの大会には価値があります。でもそれ以上に子ども達の未来には価値があります。
「伝統だから」ではなく、時代や環境の変化に対応していくこと。
史上初の「中止世代」の存在を無駄にしないために、私達大人は何年先までもインターハイのあり方について考え、議論すべきだと思います。

今だからこそ子どもの意思や身体について考えるべきであり、今だからこそ変えられるものがある、そう思っています。

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Haruko Ishizuka
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