第3回「努力の意味とその対価」
こんにちは。石塚晴子です。
前回の投稿も読んでいただき本当にありがとうございます。また、noteのサポート機能を使って支援してくださった皆様にも深く感謝いたします。
Twitterに共有したところ、コメントの中に「考えさせられる」「自分に言われていると思った」というワードが多かったことが良かったと感じました。
私は、私の考えに染まってほしいとは思っていなくて、自分の体験とリンクさせながら読むことで、その人それぞれの気づきを感じて欲しいという思いで書いています。また「皆に読んで欲しい」と引用していただけることが今までに無く多かったです。
これらの反応があるということは、皆さんの中に元からそんな風に感じられる心の要素や体験があったという事です。外からやってきた言葉が自分の体験と繋がった時、その言葉は自分のものになって、これから先もずっと自分のことを支えてくれます。
だから今後も何かを「感じ取る」自分を大切にして、ゆっくりと読み進めて頂ければ良いなと思います。
今回は「努力」についてです。
努力の意味とその対価。「努力は報われる」という言葉がありますが、
そもそも「努力」とは何か?ということを私なりに考えてみました。
どうぞお付き合い下さい。
見返りは「数字」
以前私は「もっと頑張らなきゃ」といつも思っていて、トレーニングをしないと不安になることが当たり前でした。その一方で、自分のしてきた頑張りや我慢を他の人にも押し付けるところがあったんです。
私の頑張りや我慢は当時とても大きなもので、陸上以外のことは殆どしていませんでした。そしてその見返りが数字、すなわち記録と順位だったんです。そこにいたるプロセスを味わうことやその理由について理解することはあまり考えていませんでした。
数字が出ている間、私は自分のやっていることに自信を持っていました。「私は結果を出したんだから、同じことをやればいいのに、何故やらないんだ」みたいなことを周りの人に向かって言ったこともありました。とても考えが浅かったと思っています。
ある時から怪我をしてトレーニングが積めなくなったとき、「我慢の見返りの数字」が出なくなったとき、私の自信は簡単にぐらつき始めました。
先ほども言いましたが、これまでしてきた頑張りに対して、何故そうするのか?を支える理論を自分の中に持ってなかったわけです。
これはとても恐ろしいことでした。数字でしか自分の事を認められないんです。記録、順位、体重、期日…。数字のことで頭がいっぱいになってしまって、自分の心とからだを置き去りにしてしまった時期がありました。
我慢の見返りは数字であり、それが自信になって自分が認められると思っていた、という話をしました。
ある時気が付いたんですが、勝つことで得られるのは自信では無くて、優越感だったんです。負けたら簡単に劣等感に変わってしまう。しかも、勝っても勝っても、上には上がいる。
これじゃ本当の自信は手に入らないままでした。走っていても、休んでいても、食事をしていても、何かずっと不安で満たされなくて、心から何も楽しめなくて辛かったです。だけど、練習しなきゃ、数字を出さなきゃ、「消えた」って思われてしまう…。
普遍的な正しさ
怪我をしても、先述の理由から練習を続けていたんですが、ある日限界がきます。強い身体の痛みで日に日にやれることが無くなっていき、私はただ腕を振ってグラウンドの端っこを歩いていました。そして歩きながらある事に気が付いたんです。
私はそれまで、怪我で走れない人や、自由に遊んだりしている人に対して、自分は違うぞ、と心のどこかで思っていました。頑張れない人や結果が出ない人の気持ちがわからなかったんです。
私は絶対あんな風にはならない。私のしていることは正しい。だって、私は色んなことを我慢して頑張って、そして結果を出したんだから。
…だけど今の自分はどうなる?怪我をして走れない。トレーニングが出来なくて毎日ブラブラばかりしている…。
自分は絶対あんな風にはならないと思っていた姿に、自分が次々となっていってることに気が付きました。
でも、そんな自分を認めないと、これ以上前に進むことが出来なくなっていたんです。
私はその時、今まで自分の頑張りや我慢を支えてきた自論が、別に普遍的に正しかったわけでも何でも無かったということに気が付きました。
そして初めて、怪我で走れない子、結果が出せない子の気持ちや、頑張ることが出来ないことの辛さを知ったんです。
その瞬間心の何かが壊れて、目の前がクラクラして、練習中なのにトイレに駆け込んで泣きました。自分が間違っていた事を認めた瞬間でした。とても苦しかったけど、必要だったと思います。
本当に、普遍的に正しいことって、実は殆ど無いんだろうなと思いました。何を基準に生きれば、一体誰を納得させられるんだろう…。他人を納得させるために頑張るのは間違っていたし、数字に正解を求めるべきでは無かった。
私は、自分を基準に生きていけば、自分だけは納得できる、ということしかわかりませんでした。
これは前回の投稿と繋がりますが、
自分で納得できる基準を持って、自分をもっと大切にしようと、この時に決めたんです。
ドイツで感じた「努力」の在り方
そんな風に思った私でしたが、まだ具体的なことは何もわかりませんでした。何かが違っていた、だけど自分はどうしたら良いんだろう。そんなことを悩んでいた時に、ドイツでトレーニングをする機会がありました。
その時コーチに言われた言葉があります。
「自分がどれだけハードなトレーニングが出来るかということを証明する必要はない。」
そう言われハッとしました。確かに今までトレーニングの時間や、主観的にきついメニューをすることばかりにこだわっていて、目的を見失っていたんです。不安な気持ちを解消するために、自分の体に強い負担をかけていた…それがトレーニングだと思っていました。
本当に大切なのは、目的に対して効果的な負荷を効率良くかけていくことと、それに対して前向きな気持ちで取り組めるかどうかだったんです。
ドイツでは自己責任の考え方が強く、「良いものは取り入れる、無駄なものは省く」「ディスカッションをする」というような文化があります。
ここについても沢山書きたいので、また別の機会にまとめたいと思います。
目的を決めて、それを見失わないように「良いものは取り入れ、無駄なことは省いていく」。
実現させたい目標のためにシンプルに考えて実行していく。その繰り返しが努力という事を知り、実はそれはとても楽しいことに気づかされました。
自分がいいと思うものを素直に取り入れてチャレンジしてみたい、自分がワクワクする方向に進んでみたい…自分のやりたい陸上が見えたんです。
2方向から考える
トレーニング計画を立てる際に大切なことは2つあると思っていて、1つは目標から逆算すること、そしてもう一つは今の自分を出発点に考えることです。この2方向が繋がった時に道筋が見え、適切なプランニングが出来るのだと思っています。
前回の話とつながりますが、人に目標を与えられると良くないのはこの為です。
今ここにいる自分を知って、認めることが大切。
数字だけを見て選手が焦るようなことを言ったり、人格まで否定してくるような指導者は、実は全く指導者としての能力が無いんです。
出来ないことも面白い
今は自分にとって無理のないスケジュールを組んで練習が出来ています。怪我や病気のことがあって体力が落ちてしまい、アライメントも崩れていたので、まっすぐ立って歩く練習から始めました。
徐々に走れるようになって、今はハードルも跳んでいます。
今速く走れているか?と言われると、まだまだ走れてないんですが、順調か?と聞かれれば間違いなく順調だと答えます。
出来ないこともすごく多いんですが、今は出来ないことも含めてとても楽しいです。
出来ないことは認めて、改善する努力をしていけば良い。
プライドは捨てたけど自信はある。そんな感じです。
高校時代に高い所を見た選手が、落ち込んだ時に中々上がってこれない要因のひとつに「出来ないことが楽しめない」こともあるんじゃないかな、と思っています。
自信が無いのにプライドだけがあって、試合に出る事が段々苦痛になっていった選手も沢山いるのではないでしょうか。
苦労と甘え
ここからは少し切り込みます。
苦労した末の成功は美しい・我慢強いことには価値がある…こうした認識は、苦しんだから勝てるはずだなんていう甘えに繋がりかねない、と私は思っています。大事なのは苦労することでは無くて、勝つために必要なことをすることです。
そして前述のように、本当に必要な努力は楽しいんです。
勝てなかった時、それが楽しんだ結果だとしたら、世間は「甘い」って言うんでしょうか?…これには色んな意見があると思います。
私はなるべく楽に強くなりたいんです。いつだってやめられるぐらい、楽しんでいきたい。こう思うのは、果たして「甘え」でしょうか?メディアにこう言えば、不謹慎に聞こえるでしょうか?
そもそも自分の人生を幸せに生きる、その上でスポーツがある。
この大前提がひっくり返ってしまうと色んな問題に繋がってしまいます。
どんな競技スポーツであっても、苦労に甘えてはいけない。我慢の中だけに本当の充実感は見い出せないんです。
こうは言っていますが、私は必要だと判断すれば酸欠でフラフラするようなメニューだってやります。ここで言いたいのは、必要な我慢はあっても、我慢自体に意味は無いということです。
必要だと思って納得していれば、メニューはしんどくても本当の意味で辛くは無いと思っていますし、試合で負ける方がよっぽど嫌です。
最後に
また長くなってしまいましたが、今回は「頑張り・努力」「我慢・苦労」についての意見を述べさせていただきました。
本当に色んな事がリンクするので、1回の記事でまとめるのが難しいんですが、どれもこれも繋がっています。
結果出してから言った方がカッコいいこともあるんですが、きっとこれはこれからも変わらずに持っておきたいなぁと思っている部分です。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
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