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‪‪後悔日誌 / るぅとくん Music Video

るぅとくん 後悔日誌の投稿ありがとうございました。
今までとはまた違った世界観のある曲で、本当に素敵でした。読みにくい部分があったり、少し解釈が違ってしまっている部分もあるかと思いますが、歌詞から感じたことや曲の好きな部分を 私なりに纏めました。

🌻 後悔日誌 サムネイル について 🌻
後悔日誌と書かれた文字の下にモールス信号で「こうかいにつし」と書いてあるところが今までにない新しい雰囲気がありとても素敵でした。また投稿前に新曲予告でYouTube shorts にあげて頂いた動画の最後では映画のポスターのような予告画像があり、投稿前から本当に受け取れるのを楽しみにしていました‪🐹💛

るぅとくん Xの動画より

サムネイルの他にMVや曲の入りにもモールス信号のような音が入っているところにも繋がりを感じられました。

🌻 オリジナル曲 後悔日誌 について 🌻

「朝焼けを知った 産声のような

                 鮮やかさなんて 逃げ出したいほど」
夜が明けて鮮やかな "朝焼け(まるで産声のように鮮やかなもの)"を見て(知って)、逃げ出したくなるほどに憂鬱になってしまっている という風に感じました
「長い長い夜を 恋焦がれている
                       間違えたままに 漂う船だ 」
長い長い夜を恋焦がれている→夜が続いて欲しい
色鮮やかに広がる朝焼けを見て逃げ出したくなるほど、暗い夜が続くことを望んでいるのかなと感じました。
"間違えたままに漂う船"は、自分の考えなどが これだ というふうに定まらず、正解や求めているものが見つからないまま進んでいる(漂う なので自分で進めているわけではなく時の流れと共に進んでいる)のかなと思いました。
‪歌声に少しエコーかかっていて、今までにない世界観を最初からすごく感じました。
曲の雰囲気も今までとは違ったものを感じて、また新しいるぅとくんを受け取れて凄く嬉しいです

「ゆらゆら憂う波に 生まれたまま浮かべない
 見様見真似だけで継ぎ接いで 人生を 漕ぎ出した」
"ゆらゆら憂う波"の波は 気持ちの波 と 海の波 の2パターンの意味を感じました。ゆらゆらと気持ちや考えが移り変わり、そこで出来たいろんな悩みや心配事から気持ちにも波が生まれ、ありのままの自分を思うように出せずにいる という風に考えました。
"見様見真似だけで継ぎ接いで" は 「曲を作りたい」と活動を始めた時に感じていた気持ちを表しているのかなと思いました。曲の作り方を見様見真似で必死に学びながら活動(人生)をスタート(漕ぎ出した) という風に感じました。(また、この部分は他に本当の自分だったり、本来の自分の考えや気持ち、やりたいことなどを出さずに 周りに合わせて(=見様見真似 )過ごしてきた。というようにも感じられました )
「人生を漕ぎ出した」というこの表現が特に好きです。
「みすぼらしいガワだ 行き交う船の 憧れは早く
  海路図の無いまま 遠く遠く想い馳せてしまった」
"みすぼらしいガワ"は、出来た曲についてを表しているのかなと考えました(ガワの意味については曖昧です)
曲を作り始めてすぐの頃、作った曲に対してそう感じていた(→初めの頃は思うように曲作りが出来ず、満足いかない もっとこうしたい など)のかなと思いました。
"行き交う船"は(沢山の)音楽の事かな と感じました。
沢山の音楽を知り憧れを抱くけれど憧れだけで過ぎてしまった という風に感じました。
"海路図の無いまま"→活動の事や作りたい曲などの方向性が決まらず こういう曲を作りたいと憧れ だけ抱いて進んでいた(想い馳せてしまった)という風に捉えました
‪この部分から歌声の裏で響くるぅとくんの声が重なっていて ふわっとした感覚があり、メロディにすごく惹き込まれました。MVにある「コウカイニッシ」の書き表し方など、すごく細かいところまでこだわられていて本当に素敵でした。

「頼りなくたわむ帆に 今や気付いてしまったようだ」
船の帆は決めた方向に進むのに必要なもので、それがが"頼りなくたわむ" という表現は、活動や音楽制作が進んでいく中で出来た悩みや色々な思いによって変わった気持ちだったり心が弱くなってしまったりした時期のことをここでは表しているのかなと感じました。
→それに気付いてしまった
「なあ明日の僕はどうだい? きっと救えないや」
明日の僕はどうだい? と自分に問いかけるけれど自分の気持ち(1つ前の歌詞)に気付いた今はきっと明日もこの気持ちをすぐ(明日)には変えることはできない、または変わらない(=救えない)と感じてしまっている というように考えました。
‪ここから一気に音(歌声)が広がり、曲の雰囲気とMVからさらに壮大さを感じて好きです。
"きっと救えないや" で弱まるところが歌詞の意味を強めていて本当に素敵でした。

「弱いままを愛せてしまえば
                    僕はどれだけ僕だっただろうか」
自分の気持ちや音楽を作っていくことなど、いろんなことから悩みが生まれ 弱くなってしまっている自分を るぅとくん自身が "僕"と中々容認することが出来ずにいるのを表しているのかなと感じました。
「 「弱いままでいい」と 弱音愛す強さもなくて 」
この部分の歌詞から上記(→弱くなってしまっている自分を僕と容認出来ずにいる)のことをさらに感じました。
弱い部分も自分だと受け入れるのは本当に難しく、私も自分自身の弱さや弱音を愛すのはきっとなかなかできないので、共感もしながらここの部分は受け取りました。
‪"愛せてしまえば" "愛す強さ" など 受け入れる という意味の部分で 愛 という表現を多く使用しているところが凄くるぅとくんらしさを感じてとても好きでした。
また、サビの入りにもまたモールス信号のような音が入っているところもすきです。
「 航海日誌は 誰にも見せること出来ないほどに
大事に抱えてた 自己否定という名の陶酔ただ委ねている」
この曲のタイトルは"後悔日誌"だけれどここでは"航海日誌"が使われているこの書き表し方に凄くに惹かれました
"航海日誌"は船の位置や船の進路などを書いたもの というのを知り、ここでの航海日誌は るぅとくんの音楽制作の道のりだったり進み具合、またその時の気持ちや考え、状況などのことを纏めて 航海日誌 というふうに表しているのかなと感じました。
(るぅとくんの)航海日誌は 誰にも見せること出来ない→
ここまでの道のりは自分だけが分かっていればいい、誰かに見せる(そのときの気持ちや状況を誰かに伝えるなど)ことはせず、自分の中だけにおさめている ということなのかなと考えました(→君と僕のストーリーの "傷の数は僕だけが分かればいい" という歌詞と同じようなことをこの部分から感じました)
また自分を出さず、流れに身を任せている(=委ねている) という風にも捉えられました。
‪"陶酔ただ委ねている"の部分のハモリが凄く好きです
「 僕は僕を 愛で呪ってる 」
航海日誌は誰にも見せないけれどそれを知っている自分だけが、自分を愛す→呪い なのかな、と感じました
(この部分は真っ直ぐ解釈出来ているか曖昧です)

「ただ知らなかった故だ 何も怖くないのは
広い海の果てなど 見えないと 闇夜なら 知らず済んだ」
"闇夜なら知らず済んだ" この部分は最初の"長い長い夜を恋焦がれている"との繋がりを感じました。「広い海の果て」はいつの日かの終わりのことで(Dメロの部分)それを知らなかったら何も怖くないのに、闇夜が明けて明るくなることにより見えてしまい怖さを知ってしまった というふうに感じられました。(広い海の果て→ いつの日かの終わり以外にも活動をしていく中で感じたこと、知ったこと のことも含まっているのかなと思いました)
1番のAメロの最初の部分とはまた違った少しゆっくりとしたテンポ(メロディ)なのが凄く好きです
「言葉も持たぬまま 僕らは海に 放り出されてた
明かす陽は残酷に 冷たい世の果て無さ証した」
何も知らないままこの世界(海) に放り出されるように進んでいたけれど、闇夜が明けて(=明かす陽) 知らず済んでいたことを知ってしまった(=明かす)というふうに感じました。 "冷たい世の果て" →世の果て は来世などもいう意味を知り ここでは あまり希望を感じられていない、または来世もあまり良いものと感じられていない(証されている)というように感じました。
"明かす陽"という言葉の表現の仕方が凄く好きです。

「どうか壊してくれないか さらばえた幽霊船を
どこか懐かしい 暗さへ 沈みたくて」
帆を張り進んでいたはずの船が幽霊船のようになってしまい、壊してほしい(幽霊船を元通りにしたい(して欲しい)とも感じられました)と思ってしまうようになっていたのかなと感じました。どこか懐かしい暗さ→もう一度暗くなれば(広い海の果てを)気付くことがないから沈みたい ということかな、と思いました(少し曖昧です)

「何者と願ってしまえば その日から何かの紛い物だと  「何もいらない」と 言いきれる強さもなくて」
本当の気持ちを出さず、自分はこうだ と思ってしまったら(=何者と願ってしまえば)それはきっと本当の自分ではなく紛い物になってしまう。だけれど、僕は僕だからと言い切る強さもない(=何もいらない)という風に感じました。
「 航海日誌は 誰にも理解さえ出来ないような
大事に抱えてた不幸だとかいう名の幻想 字を滲ませてる」
1番サビにもあった"航海日誌"はこれまでの るぅとくん が沢山書き込まれているもので本当に大事にその気持ちを抱えていたのかなと感じました。また、誰にも理解さえできない=不幸だ という意味にも捉えられるのかな、とも思いました。(1番の部分は 誰にも見せられない=自己否定が多く書き込まれている航海日誌 という風に感じました)
ここの部分のMVで 紙(航海日誌?)に沢山 ‪✕‬ を書いているのが凄くこの歌詞の意味をさらに強めているように感じました。

「いつの日か旅の終わりが来る時 冷たい冷たい水面で どうかこの手ただ握っていてくれますか 」
ここの部分本当に好きです。
"永遠"や"絶対"なんてなくていつの日か終わりは来てしまうけれどその時まで一緒に居たい、手を握っていたいと強く感じました。離れたくない、離さない。何年先であろうとるぅとくんの手を握って、支えられるような存在でありたいです。 「浮かぶ木々達の上」 はその活動の結果(これまでのたくさんの音楽やこれから受け取るたくさんの音楽)で、それを乗り越えた先で一緒に手を取り合っている という風にも感じられました。
「親愛なる 世界に綴る」
"親愛なる"という言葉からすごく大切さを感じました。ここでの世界は 普段この生活している世界でもあり、るぅとくんの活動のことでもあるのかなと感じました
"世界に綴る" の歌い方が 特にすごく歌詞を大切に歌っているのがつたわり、本当に好きでした

「弱いままを愛せてしまえば 僕はどれだけ僕だっただろうか 「弱いままでいい」 と弱音愛す強さもなくて
ラスサビからは"今"のるぅとくんを感じました。1番のサビと同じで、弱いままも自分だと認めればすべてが"自分" だった だけれどこの弱音を愛す強さがない と今も感じることがあるけれど↓
「後悔日誌は 誰にも見せること出来ない だから大事に抱えてよう 傷の一つ一つ 僕と思い出せるよう」
この歌詞の部分で前向きになって、それでいいんだ とまた届けようとしてくれている そんな姿が伝わってきました。"後悔" は後から悔やむという意味だけれど 私個人的には"後悔"は全てネガティブな意味というより、また前に進むための過程でもあるとポジティブな意味も含まっていると考えたので ここでの"後悔日誌"は過去(航海日誌)があるから今のるぅとくんが居て、今届けてくれている活動がある とそんな風にも感じられました。
"傷の一つ一つ僕と思い出せるよう" ここの部分が本当にすきです。弱い部分を今までは"僕"と愛せていなかったけれど、傷の一つ一つも僕だと認めて僕と思い出す と前向きで居る姿が本当に好きだなと感じました。
「僕は僕を 呪いで愛した」
"僕は僕を愛で呪ってる"が"僕は僕を呪いで愛した"にかわっているのもすごく素敵ですきです。
るぅとくんが放送でこの"呪い"についてお話してくれた時にそれってあんまりよくないこと...とお話してくれていて、それが凄く印象に残りました。るぅとくん(曲を作る側)にとってそれが呪いだとしたら、今こうして伝えたり好きでいられたりするというこれも 受け取ることが出来なかったら(るぅとくんがいなかったら)なかったものだなと考え、すごく深いなと考えれば考えるほど感じました。
「親愛なる世界へ 呪いを込めて」
これが 呪い だとしても、それも大事だからこの世界を(活動していく今も未来も)大切にしたいという気持ちを感じられました。

沢山の時間をかけて届けてくれて、そして受け取らせてくれて本当にありがとうございました。
受け取れて本当に幸せです。この先もるぅとくんの傍で受け取り 伝えて、そして手を握り続けていたいです
本当にいつもありがとう。るぅとくんの届けてくれる音楽が大好きです。後悔日誌 大切に沢山聴きますね🐹💛

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