# 自分にうそがつけない。 - 枠の外で生きるという選択肢 -
いきなりですが、私は「枠」に収まるのがとても苦手です。
私が「枠」と呼んでいるものは、「こうした方が良い」とか「こうしないといけない」とか「◯歳になったらこうあるべき」とかそういうものです。
(世の中ではこれを何と呼ぶのでしょうか?常識?当たり前?社会通念?)
私は「枠」の中に自分がいることに気づくと、徐々にそこが窮屈に思えてしまって、その「枠」を壊したくなることがあります。
これは自分の人生においてもそうですし、仕事においてもそうです。
「こうした方が良い」とアドバイスを頂いたら、もちろん即実践するのですが、実践しながらも「もっと最善の方法があるかもしれない」とたびたび探すことがあります。
良くいえば「前例に囚われていない」といえるかもしれませんが、自分自身では「ただただ不器用なだけ」とも感じます。
色々な方とのキャリア面談を通じて、生き方や自分自身のあり方について日々考えることが多いのですが、世の中には思いの外「枠」の中で苦しんでいる人も多そうだと感じたので、今日は「枠」をテーマに書いていきます。
34歳、バツイチ、一人暮らし。
「34歳、バツイチ、一人暮らし」
これは私のことなのですが、もうひと目見ただけで枠からはみ出していることがわかりますね。笑
私は25-26歳くらいに結婚して、29歳くらいに離婚しました。
何かトラブルがあって離婚したわけではなくて、大前提私がとても未熟だったことが主の原因となり、お互いの未来を考えたときにそうした方が良いという結論になって、離婚することになりました。
一言で言えば、方向性の違いというやつです。
(人気バンドの解散理由みたい)
当たり前ですが結婚したときは離婚するなんて1mmも思わなかったですし、他の人みたいに生涯をそのパートナーと共にすると思っていました。
今では離婚する方も一定数いて、その選択肢自体も一般的に受け入れられてきていると思いますが、私は20代で結婚も離婚も経験することになったので、その当時「離婚」という意思決定をすることはすごく怖かったです。
みんながやっている『当たり前』が自分にはできない
周りの人に合わせる顔がない
お相手の家族と自分の家族に申し訳ない
仕事での名前はどうしたらいいんだろう
取引先になんて言えば良いんだろう
などと、大小さまざまなことに不安がいっぱいでした。
そもそも自分は世の中で当然とされていることさえできなくて、「なんてだめなんだろう」と毎日悔しくて悲しくて苦しい気持ちで過ごしていたことを覚えています。
でも私とそのパートナーが前に進むためにはきっとそうした方が良いんだと泣きながら決めました。
仕事では正直に自分の名字が離婚という理由で変わることを伝え、包み隠さずにオープンにしました。
※その当時、仕事関係の人に送ったメールが残っていました…!
同じ状況で困る方がいるかもしれないので載せておきますね↓笑
(我ながら、「旧姓で出直す」という表現が当時の自分の心境などを表すのにしっくり来すぎていて、今更ながら気に入っています。笑)
この出来事は私の人生の中でも結構大きめな「枠」から出たエピソードなのですが、「枠」から出て、気がついたことが沢山ありました。
「枠」の外には、自分の想像を超えた広い世界がある。
「枠」の中にいると、「枠」の中の世界しか見えないのですが、「枠」の外に出ると、その「枠」の中も当然見えるし、「枠」の外もよく見えます。
「枠」の外に出てみて、「なんて世界は広くて、やさしいんだろう」と思った記憶があります。
まず、意を決して離婚のご連絡を送った取引先の方々からは応援メッセージを頂きました。
離婚のことを気にしていたのは案外自分だけだったし、他の人は思ったより全然気にしてないし、みんなやさしかったです。
「枠」の外に出ると、結婚には良いところもそうでないところもあることにも気が付きました。
結婚してるから良い、結婚しているから悪いというわけではなくて、それぞれに良し悪しがあって、自分の価値観によって選択すべきだし、そういう覚悟を持って結婚することで幸せな生活を積み重ねられるのだという当たり前のことに気が付きました。
私の場合は20代で離婚もしているので、当然、学生時代の友人たちとは人生の進み方は異なりました。
当たり前なのかもしれませんが、結婚して子供を産んで育てている友人の方が多いですし、そういう人生を歩んでいる友人たちとは、どんな顔をして会えば良いのか、どんな話をしたら良いのか、未熟な私にはわかりませんでした。
そんな風にモジモジしていると当然疎遠にもなっていくのですが、友人たちと疎遠になっていくことがさみしくなかったかと言えば、嘘になります。
それでも一生懸命生きていたら、疎遠になっていても、会うべくして会いたい人には会えるのだということも知りました。
そのときのことは以下のnoteに書いてあるので良かったら見てください。
何が言いたいかというと、「枠」の中に囚われていると、「枠」の外は絶対に見えないということです。
最近はSNSも発達していて、「枠」の境目が明確だと思いますし(あるいはものすごく曖昧なのかもしれません)、アルゴリズムによって自分に最適化された情報が主として自分のタイムライン(SNS)には集約されていくので、「枠」の中の情報はどんどん濃くなっていきます。
そんな中でも、
今自分に見えている部分以外にも、世界は広がっていること(むしろ見えていない世界のほうが広い)
「枠」からはみ出ても全然いいし、人生を生きるうえでそれは全く問題ないということ
どんなときでも自分の意思で人生は変えられるということ
こういったことさえなんとなくわかっておくと、生きやすくなるんじゃないかと思いました。
少なくとも昔の私が、こういった価値観を知っていたら、もう少し楽に生きられたと思います。
今私は、友人とinstagramでほとんどつながっていないですし(つながっていてもフォローしているだけで全然見ていない)、SNS上には見たいと思う情報もあまりないなと思います。
これは友人に興味がないというわけではありません。
自分の心を満たすもの(例えば私はダイビングとかアウトドアとかそういったもの)に情報のアンテナを張っていたいのです。
今でも他の人のように生きられていないことに、色々と思うことはあるのですが、それでも毎日自分自身がハッピーに生きるほうが大事だと最近では思えるようになりました。
ロールモデルのいない人生
キャリアを築くうえで、自分が生きていくうえで、お手本となるようなロールモデルがほしいという方も多いと思います。
私も昔はそうでした。
私は大小さまざま「枠」からはみ出る経験をして、今は、誰とも同じレールを歩みたくないと思います。
自分にとって、自分が望んでいない「枠」は苦しいし、一般的な幸せ(?)によって型どられた「枠」にハマりたいとは思えないからです。
人生は自分の力でどうにでも変えられて、心地よく生きる方法はいくらでもあると知りました。
とはいえ、「枠」から出たことがない、そういう経験が少ない人も多いと思っていて、そういった人は今も「枠」の中で苦しんでいるのではないかと思っています。
そういう人が安心して「枠」の外に出られるように、これからも私が皆さんより先に「枠」の外にどんどんいきたいと思います。
苦しかったら安心して「枠」の外に飛び出してみてください。
勇気がいるのは最初だけです。
自分の先をいっているロールモデルがいなくても、大丈夫です。
世界は広いし、思ったよりずっとやさしいです。
今後のキャリアや人生について相談したい、「枠」からはみ出したい方はぜひ、相談にきてください。
お待ちしております!
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