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コモンズ思考をマッピングする 第7章(前半)

研究室で輪読を行なっている『コモンズ思考をマッピングする ——ポスト資本主義的ガバナンスへ』の第7章「『コモンズ+P2P』思考を地図化する——ポスト資本主義的ガバナンスへ」の前半について、全体のサマリ、ゼミでの議論内容、読んだ感想をまとめていきたいと思います。(文責 M1 石井)

サマリー

現代日本社会の課題と社会運動、抵抗闘争

筆者は、「現代の日本の政治的状況はかなりひどい」と日本の現状に懸念を示しています。
その背景として、日本は、太平洋戦争の失敗から学ぶことなく、戦後も「抑圧の移譲」の構造から脱却できていないことが挙げられています。
「抑圧の移譲」とは、政治学者の丸山眞男の言葉で、抑圧が上から下に順送りされていくことで、最も下位の者に抑圧が集中することです。
それを示す社会問題の一例として、他国と比較してもひどい状況にあるプレカリアートの増大という減少があります。日本で事態が悪化する要因として、筆者は、社会運動の弱体化と、ネオ・リベラリズムに対抗する左翼やリベラルな知識人の不足を指摘しています。
さらに、日本では困窮した人に対する自己責任論が強く、セーフティネットが機能していない現状もあります。しかし、COVID-19下で起こった新型コロナ災害緊急アクションは、日本における社会的連帯経済を育む重要な活動となりました。

3つの対抗軸と社会的連帯経済

これまで本書の中では、2つの対立軸として「新たなエンクロージャー vs カウンター・ヘゲモニー」「ハイ・モダニズム vs 複雑性・多様性」が取り上げられてきました。
さらにもう1つの軸として、筆者は「ネオ・リベラリズム vs 社会的連帯経済」を取り上げています。
社会的連帯経済 (Social and Solidarity Economy)とは、協同組合、社会的企業、NPO、互助組織などからなり、資本主義的市場経済を補完、あるいは対抗する、社会的協力と連帯を重視する経済セクターを強化していこうとする運動のことです。これまでヨーロッパでは「社会的連帯」、途上国では「連帯経済」という言葉が使われてきましたが、この両者を統合しようとする試みから生まれた言葉です。
この言葉に対し、旧ユーゴスラビアで生まれ育ったMarta Gregorcicは、途上国では生き延びるために不可欠な運動だったとし、二者の言葉には深い溝があると指摘していますが、筆者は2008年リーマン・ショック以降、高所得国でも新たな社会運動が生まれ、両者は共鳴する運動になったと言います。

ポスト資本主義的ガバナンスの例と特徴

本書では、これまで、ポスト資本主義的ガバナンスの例として、途上国においては、ボリビアのアイユ民主主義、ブラジルのMST(土地なし農民・農業労働者運動)などが挙げられてきました。また、高所得国の例としては、アメリカのウォール街占拠運動やスペインのCICなどが取り上げられました。
本章ではさらに、貧しい人たちの暮らしを支える草の根的な事業のネットワークであるベネズエラのCecosesola、ブラジルのMST同様の動きを辿ったメキシコのサパティスタ運動、クルド人で、PKKの指導者アブドゥッラー・オジャランの事例が紹介されています。

これらの運動の共通点として、「先探的(prefigurative)」というキーワードが挙げられます。
それは、末端のコミュニティや自主管理事業体における生活、生産、技術、組織、コミュニケーションをめぐるさまざまな実験的探究を重ねる過程で、未来社会の萌芽的な形が見えてくるという考え方です。
これらの先探的運動が目指すのは、国民国家に替わる新しい政治システムであり、ポスト資本主義的ガバナンスを生成していく方法論を獲得しようとしています。
資本主義的組織のガバナンスシステムがD-O (Dominance-obedience) ガバナンスとすると、ポスト資本主義的ガバナンスは、P2Pガバナンスということができます。
そして、P2Pガバナンスの特徴として、E・オストロムの語るような「入れ子構造のガバナンス」があります。

ポスト資本主義的ガバナンスの合流

世界各地で起こっているこうした運動から、横のつながりも生まれ始めています。
ウォール街占拠運動では、メキシコのサパティスタ運動のよき理解者であった文化人類学者のデヴィット・グレーバーが参加しました。
また、スペインのCICでは、地域の暗号通貨FairCoinによって、世界各地に点在するローカルな循環経済どうしを結びつけ、グローバルな循環経済を作ろうとしています。
 
これらの事例は、それぞれ異なる背景から生まれた活動であるものの、ポスト資本主義的ガバナンスの実現という、同じゴールを目指す活動ということができます。

ゼミでの議論

日本の政治的無関心の原因は何か?

どの規模(国・都道府県・市区町村)までであれば政治的関心を持つことができているかをディスカッションしたところ、「市区町村まで」というメンバーが多い結果となりました。
生活に身近な問題や、エリアを絞った問題を公約として掲げる候補者が多く、自分達の生活に直結する感覚があるようです。また、国レベルになると無関心になってしまう理由として、「少子高齢化により若者が少ないため、自分達の声が政治に反映されると思えない」といった意見がありました。
 
また、現在のような自民党一強の政治、若者の政治的無関心を引き起こしている原因として、過去の学生運動の影響や、左派の過激化の影響があるのではないかという意見もありました。

日本における参画のデザイン・共創の例

日本において、コミュニティやイベントが当事者により上手く管理されている例として、コミケや池袋のハロウィンが挙げられました。
池袋のハロウィンでは、会場を貸し切り、ルールを守り、純粋にコスプレを楽しもうというカルチャーがあるようです。

反対に、上手く機能していない例としては、渋谷のハロウィンが挙げられました。ハロウィンの時期になると、普段渋谷と関係のない人たちが押し寄せ、自分の街という意識がなく好き放題してしまう印象があります。自分が参加するコミュニティに対して、一定の責任意識を持つということが大切なのではないでしょうか。

感想

本書に挙げられている世界各地のポスト資本主義的ガバナンスが、今後どのように繋がり、より大きなムーブメントにつながっていくのか、非常に興味深いと思いました。
一方で日本では、政治的無関心だけでなく、環境問題や貧困問題など多くの社会問題に対する当事者意識があまりにも低く、世界との差を改めて実感させられました。
個人的には、社会問題をシリアスに捉えすぎる必要はないと思っています。しかし、雑談のように友人と社会問題について話すことが普通になり、それによって日々の小さな行動に変化が生まれる世の中になってほしいと思います。そのために、デザインはどのようなことができるのか、今後も考えていきたいと思いました。


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