魔術/美術
今回のタイトルは何年か前に美術館で観た『魔術/美術―幻視の技術と内なる異界』から来ています。
ポール・デルヴォーやエッシャー、それに白隠の禅画やパウル・クレーがあった。デューラーの「メランコリアⅠ」もあって大満足の展覧会でした。
魔術というのでもっとおどろおどろしいものを期待していたけれど、よい意味で裏切られた感じでしょうか。曼荼羅とか魔方陣とかキョンシーの棺とかあるのかな~とおもってたけど(笑)
内容はあくまで精神の深部に沈降するような美術作品ということで、メンタルに突き刺さる生なましさと、超越へ飛躍しようとするインパクトがあった。
決して宗教的なもの、オカルト的なものにバイアスがかかりすぎていないのがよかったね。
こういう時に、自分なら、どういうチョイスをするかって考えてしまう。というか癖になっている。プランナー病かも。
十三不塔企画なら、こういった作品も入れます。
理想郷シャンバラを求めたロシアの画家ニコライ・レーリッヒ。
ポルトガルの建築家・画家だったニコラウ・ナゾニ「顔のない聖女」
道教の内径図。錬金術に魅かれたマルセル・デュシャンの作品と並べてみたい。
数学的に記述されたフラクタル図形。見ようによっては八葉の蓮華を背負った仏陀にも見える。
他にもアレイスター・クロウリーのトート・タロットとかいろいろ含めたいけれど、こんなもんで。
まったく新い自分の企画をイメージできなくてもいいけれど、これらの絵をどんな順番で並べるか、どんな額に入れるか、と、それくらいはシュミレーションしてみるとすごく楽しい。
受け取るだけじゃ芸がないし、発展性がない。ゲーム企画の講師などをやってることもあり、よくこんなことを考えたりします。
美術館の絵がかかっている高さを知っていますか? それってどんな基準で決められているのだろう。子供や車椅子の鑑賞者にとって現行の高さはベストだろうか、、、考え出したらキリがないか。
でも、僕の尊敬するゲームデザイナーは『創造性とは疑うことだ』と喝破していた。僕もそう信じてる。
ちょっと脱線しちゃったけれど、この展覧会はスピリチュアル/オカルト的なものについて、一度よく考えるにもいいチャンスだったとおもう。それらは良くも悪くも世の中を席捲しているから。
見えない世界ってのは、叩かれるほどに蔓延る。崇められるほどに変質する。そういう厄介な性質なものだと思う。
そういうものに対するスタンスってのは非常に難しい。そこに存在意義や満たされなさの代償を求める人たちにとっては特に。
僕は眠れる予言者と言われたエドガー・ケイシー(彼は催眠状態でアカシックレコードという宇宙のデータバンクにアクセスできたと言われてる)に自分の守護霊を尋ねた女性のエピソードがとても好きだ。
「わたしにも守護霊はいますか」という問いに催眠状態のケイシーは答えた。
ケイシー「あなたにはあなたを守る特定の霊的存在はいない」!!!(笑)
ここで神秘志向を持つ女性はがっかりしたことだろう。なにしろ、高徳の僧侶も伝説の戦士も、ましてやドラゴンもエンジェルも彼女の背後にはいないのだから!
が、ケイシーの言葉には続きがあった。
「しかし、あなたがこれまで為してきた人を愛するという行為そのものがあなたを守護している」
どうだろ? これ以上にスピリチュアルな(精神的な)結論があるだろうか?
このように告げられてあなたがまだ落胆を隠せないようなら、それでも祖母やら先祖やら死んだ人間を引っ張りだしてきて背中を守ってほしいと願うなら、自己認識とはあべこべにあなたはスピリチュアルな資質を持たない人かもしれない。