決定往生六十万部
十三不塔はじめます。
こんばんわ。僕の住む地方も夜ともなればめっきり寒いです。寝室が北側なのでいっそう冷え込むんですね。布団乾燥機のダクトの掛け布団に突っ込んで暖を取って寝てます。皆さまいかがお過ごしでしょうか。
さてハヤカワ書房の公式ノートにも『ヴィンダウス・エンジン』の出版がお知らせされました。あまり実感ないですが、まもなくって感じですね。わくわくと心配が入り混じってチャコールグレーな気持ちです。
同時受賞された竹田人造さんの本は、試し読みのキャンペーンが始まっていますね。もちろん読んでみたいのですが、すげー面白そうでした。紙の本で買っていつかお会いできたらサインを頂こうと思ってます。
いつか、というのは今年はコロナで授賞式が開催されなかったからです。お世話になる出版社の方や審査員の作家の方たちにも会いたかったのに残念です。でもまぁ、檀上で挨拶とかすごい苦手なんで実はホッとしてるかも。知り合いのお笑い芸人を替え玉として出席させようとか思ったくらい忌避感があったのですが、とりあえず式は未定ということで未来に懸念はありません。
最終選考の結果待ちの時と同じく、もはやできることもないので天命を待つの心持であります。売れろ売れろ、と雨乞いのように神仏に祈念するくらいしかできません。僕はあまりお金が要らないタイプというか物欲もないしおしい食べ物も高い服も興味ないのですが、些少であってもまとまったお金が入ったらやってみたいことがあります。
バーンロムサイというタイ・チェンマイにあるHIV感染した子供たちの暮らす施設に行ってみたいのです。名取美和さんという日本の方が母子感染で生まれつきHIV感染者となった子供たちを死なせたくないとはじめた場所で、宿泊もできるそうなので、いつかゆっくり過ごしてみたいと思います。
僕は慈善家でも聖人でもありませんが、お金を使うならどんな場所でどんなふうに使うのかを最近考えるようにしています。なるべく後味の悪い使い方はしたくないですよね。
死後、閻魔様は「善行」と「悪行」を秤にかけると言いますが、僕は「与えたもの」と「受け取ったもの」を測量されるのだと思います。どちらも悪いことではないですが、与えたことのが多い人間は天国に行くでしょうが、受け取ったことが多い人が、だからって地獄に落ちるわけではないと思います。最高なのはぴったり秤が釣り合うことではないかな~
死とその受容を見つめ続けたエリザベス・キューブラー=ロスは与えることの多かった人生の最期に誰かの世話になることを強いられた。私財をなげうってまで多くの人の死を献身的に看取ってきた彼女は、左半身麻痺になって今度は自分が他者の世話になる羽目になった。善徳を積んだのにつらいコンディションになって死んでしまったと運命の皮相さを考えることもできますが、むしろ僕は彼女の人生はバランスを必要としたのだと思いますし、伝記にもそのように書かれていた記憶があります。
秤の釣り合う、ちょうどぴったりなくらいでくたばりたいものです。まだ僕は世の中から貰った分のが圧倒的に多いので、秤を戻すには、やっぱりこちらから与えなくてはいけません。ばんばん稼げたら、そういうことに――天秤棒をなるべく水平にするために使いたいと思います。
もちろんお金だけではなくて、ちょっとした親切や笑顔も金銭に負けないくらい人を元気づけると思います。ただ、僕の場合はこれまでの人生で経済的にあまりにも人の世話になってきたのでその部分でもちょっとは(別の誰かにでもいいから)返済できたらいいなぁと考えてる。
ということで可能ならしこたま小説は売れてもらいたい。一遍上人は「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」とシャウトしましたが、僕の小説も読んだが最後、極楽行きだぜ!くらいの気合で売りたいものです。
目指せ、決定往生六十万部。なむなむ。