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相遇台北 vol.1

航海の信仰に出会う空

夕方前に台北に着く。台湾手前の上空で、気流の悪さから機体が激しく揺れる。とんでもない揺れがしばし続く。このまま落ちてしまうんじゃないかと少し心配になる。それと同時に、台湾に媽祖信仰が根付いたのはこういうことだったのかと体が理解する。

海流が安定しない台湾周辺。媽祖に願いを託し、生きて海を渡れることを祈った約500年前は今も続いている。人々が次から次へと海へ飛び出しては覇権を争い、絶えず移動が繰り返された大航海時代。特に、福建、広東、浙江、台湾を行き交う人々の旅路は、誰にでも訪れる死を明日の我が身に感じるものだった。時代が変わり、移動の経路が海から空へと変わっても、この島へ行くというのは一筋縄ではいかないのだろうか。

韓国の大学で勉強していた台湾の媽祖信仰、そして、大航海時代の人々の移動の歴史を思い出す。「東アジア史特論」と名付けられたその授業が私は本当に大好きだった。このまま歴史学者になろうと一瞬でも夢見た授業だった。その授業を担当していた教授は「歴史では食べていけない」と世知辛い現実をありのままに教えてくれ、今の分野に行くように背中を押してくれた恩人である。

海を越えて移動する個々人の語りは歴史の中にあまり残されていない。史実からはわかり得ない個人の生。それでも、記録のあちこちに少しずつ残っている欠片のような個人の語りをつぶさに探し出し、その小さな事実から歴史の大きな網目を疑い揺るがしてみる。それが、その教授のスタンスだった。そして私は、ささやかな記録から読み取れる断片的な情報を手掛かりに、生きる術を求めて命をかけてまだ見ぬ地へと旅立っていった人々の人生と浪漫、その悲哀を想像することがとても楽しかった。それは母国とは幻影であり、居られる場所を探して今この時代を流離うしかない私について考えることでもあった。

機体の揺れは無事に収まり、予定時刻通りに空港に着く。空港から市内の台北駅まで約40分。電車から見える緑に目を奪われる。山なのか丘なのかを覆う緑の滝。そして流れるように続く田園地帯とスクーターたち。ここはもうすぐ常夏である。その一瞬手前の心地よい初夏を風景から感じ取る。

歴史のあいだをぶらぶら歩く

あっという間に台北駅に着く。想像通りもわっとしていて暑い。でも耐えられないほどではない。着ていた長袖のシャツを脱ぎ、キャミソール1枚になる。夜の約束までには時間に余裕があるので、台北駅から宿までぶらぶら歩くことにした。約35分かかると地図には出ている。

行く道すがらいくつか見たい建造物があり、それらを目指して散策する。暑い国ならではのアーケードが続く。騎楼と呼ばれるそれは、大きな通りに面したビルの1階をくりぬいた通り道のようなものである。雨や日差しの強さから生活を守るために生まれた建築の知恵。おかげでまちを快適に歩くことができる。騎楼の飲食店はお店前の通り道にテーブルや椅子を並べている。段々と晩ごはんの匂いが漂ってくる。そんな商業エリアを過ぎると、歴史的建造物が立ち並ぶ静かなエリアに着く。日本の統治時代に作られた国立博物館や総督府を歩きながら眺める。

旅の2日目から本格的に動き出すつもりだったので、初日は交通の便が悪くないかだけを条件に、とにかく安い宿をとった。周辺に何があるのかは全くわからなかったが、どうやらお寺が有名らしい。台北駅から南下しながら宿に近づくにつれ、まちがどんどん古くなっていく。寂れた建物が立ち並び、ヴィンテージな雰囲気が薫り立つ。地図を改めてみると、台北で唯一行きたいとクリッピングしていた朝食のお店のすぐ近くにその宿はあった。うれしい偶然にわくわく。

チェックインをしてバックパックをおろし、近隣を再び散策する。今夜会う友人は宿の近くでレストランを調べてくれていたので、そのままレストランで会うことになっていた。宿近くの寺をさっと見て、その横にある屋台通りもさっと歩く。お昼から何も食べておらず、とてもお腹が空いていたが、もうすぐ約束の時間だったのでお茶屋でコップ1杯のお茶を買う。冬瓜茶。冷たくてほんのり甘くて香ばしい。一気に飲み干すと友人と会う時間になりお店に向かった。

お茶屋の軒先には見たことのない植物やアロエらしきものがぶら下がっている。

台北にたゆたう、くたびれた私たち

6年ぶりに会う友人は全く変わっていなかった。が、どこか疲れているように見えた。「6年前と全く一緒!」と驚くと、「君もだよ、だけど髪がすごく伸びたね」と言われる。私の髪型なんてよく覚えてるなあともう一度驚く。地元の人でごった返す麺のお店。とても美味しそう。席に着いてから休む間もなく話し出す。どう過ごしていたのか、今は何をしているのか、なぜ台湾に来たのか、最近やっているプロジェクトについて…話に夢中で、お腹が空いていることも注文も忘れていた。「ああ、忘れてたね」と2人で苦笑いして、代表的な麺料理と、木耳みたいなものが入ったよくわからない不思議な飲み物を頼む。飲みものは、彼が「ぜひ試してみて」と頼んでくれた。ストローで吸い上げると、ごりごりと噛める食感が涼しい。

今年のはじめ、彼はワーキングホリデイでイギリスに行っていたそう。野心を抱いてロンドンへ渡ったものの、そこでの生活がいろいろあって予期せず数か月で帰ってきたのだそうだ。「こんなはずじゃなかったんだ。今はどうしたらいいのかわからないよ」と物悲しい顔で語った。だから少し疲れているように見えたんだと納得する。

この数か月、私はとにかく今いるところから離れたかった。地元に帰ってみたり、国内を旅したりしたものの、日本にいたら埒があかないというのが結論だった。すべてに息が詰まる。どこでもいいから少し長めに第3国に滞在したかった。日本でも韓国でもないところに。いくつか候補地があったが、諸々を考慮した結果、台湾に行くことにした。台湾にいつか行くなら、南か東に行こうと決めていた。以前台湾出身の誰かから、台湾は台南がのんびりしていてとてもいいと聞いた記憶があった。台東は自然が豊かで原住民の村もある。だからか台湾といったらとにかく台南か台東がいいという謎の先入観ができており、今回は台北を経由してすぐに台南にいく予定だった。観光する気はさらさらない。その地の人がただ住んでいるだけの風景に身を浸したかった。台南がそういうところなのかはわからなかったが。

ところが、目の前の彼を見ていると、そんな時間が必要なのは私ではなく、彼なのではないかと心から思った。「来月日本に行こうかな」と言っている彼に、「日本に長くいたいのなら私の部屋に泊まっていいよ」と伝えると、本当に?と表情が少し明るくなった。人を泊めることは基本しないが、今の彼には遠くのアジールが必要な気がして咄嗟に出た言葉だった。

私の20代を振り返るとそれなりに挫折し、傷ついたり、傷つけたり、どうしようもないことに塞ぎこんだりしてきた。鬱なんじゃないかと精神科や心理カウンセリングに通っていた時期もあった。さんざん自分の扱いに手こずり、どうしてこんなにもままならない自分を抱えて生きないといけないのかと苦しんだ日々は1ヶ月や1年どころではない。でも、そんな日々を嫌になるぐらい味わった先に思ったのは、そのときに自分がしてほしかったこと、言ってほしかったことを自分は誰かにできるように生きよう、それが私を救うことにも繋がるということだった。

言語の壁もあるので、彼の心境を自分がどこまで掴みとっているのかはわからない。でも、目の前にいる彼からうっすら感じる悲愴は他人事ではなかった。そんなときこそ可能性や機会はいくらでも開かれていた方がよい。遠くに行けるという可能性があること。ここじゃないどこかで少し休めるかもしれないという希望があること。実際にそれをしなくても、そう思えることが今の状況から救い出してくれることもある。彼に、「東京でゆっくり過ごしてみたら」と声をかけたのは、私も昔「ここから離れて遠くで休んできなよ」という大切な人からの一言に救われたからだった。

そんなことを思い出しながらピリ辛の麺をすする。お腹がすいていたからかより美味しい。彼はスマホに目を落としている。唯一の韓国の友達からちょうど連絡がきたという。「びっくりだよ、君といるタイミングで連絡が来るなんて。一緒に会っても大丈夫?」もちろん。このあと一緒に飲みに行こうと答える。

思いがけない再会が新しい出会いへとするする繋がっていく。私にいい気運が流れている。そんな予感を無条件に抱ける土地がある。そんなとき、大抵物事はうまく進んでいく。



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