2024年5月26日
体に鞭を打って信仰を守るというのを今日はさぼることにした。仕事や体調不良でもなんでもなく、ただ何となく教会に行かないという選択をしたのは本当に久しぶりである。逆に、これまでほとんど休むことなく教会に通っていたのだと今日知って、ちょっとびっくりする。
約1年半前、祖父が亡くなったことがきっかけで再び毎週教会に通うようになった。それまでもちょこちょこ思い出した時に教会に通ってはいたが、東京に来てからはここという教会は決めずに、適当にふらふらいろんな教会に行っていた。主には、教会建築が格好いいところを選んでいた。そんな中、突然祖父の死が訪れた。それは近年で経験した別れの中で最も痛く、教会に行く以外にその不在を癒す術はないのではないかという予感があった。祖父は敬虔なプロテスタントだった。教会に通うということは、祖父がそこでどのように時間を過ごしていたのかについて、今からでも触れてみるということを意味した。それから私にとっての教会は、この世にはもういない祖父の痕跡と私に今もたらされている信仰の繋がりを辿り、絶えず彼を思い出し続けることのできる場所となっていった。そしていつの間にか、毎週教会に通うという行為が、私の数ある習慣の1つにきちんと加わっていた。
祖父が亡くなったあとの1年間の日記は、祖父のことがしきりに書かれている。そう書くと、あたかも思い出がたくさんあるかのようだが、実はこれといった思い出はない。でも、大人になっても定期的に会い続けていたのは母方の祖父だけだった。彼が亡くなったと知らされた早朝、自分の内側で起こっていることなのか、外側からやってきていることなのか、人生で一度も味わったことのない言葉にできない感覚に包まれて、目に見えるものすべてがぼんやりとスローモーションに変わった。その瞬間はこの先もきっと忘れない。それは喪失感という言葉を安易に当てはめることすら憚られるような、愛する人を永遠に失うということの確かな実感だった。
その日は、約半年間責任者として準備してきた、子ども向けアウトリーチの初日だった。水面下で準備してきたプロジェクトが世に出る緊張なのか、朝まで一睡もできなかった。一睡もできないことは人生で一度もなかったので変だなと思っていた。朝に祖父の悲報が届いたとき、私が寝れなかったのは、祖父がこの世を離れようとしていたからだったのかと思った。そう思ったとき、はじめて涙が流れた。
無事に迎えた現場の当日は、小学校の体育館の窓から差し込む朝日と楽しそうな子どもたちの声があまりにも無邪気で、綺麗すぎて、それなのにこの世にもう祖父が存在していないということも紛れもない事実で、私が今どこにいるのかよくわからなかった。1年半以上が経とうとしている今も、この文章を書きながらその日のことをくっきりと思い出せる。まだ風化されていない記憶。ほっとする。祖父の死は生きている。生きている記憶としてこれからも大切に持ち続ける。
ということをじっくり思い出しながら書けるぐらい穏やかな日曜日。誰かと会う約束も、何かの締切も、終わっていない仕事も、思い付きの一人遊びも、当たり前に行く礼拝も、このままでは頭がすかすかになる!と焦って貪るように行っていた読書も、何ひとつしない。こんな週末は今年に入ってはじめてである。あまりにもたくさんのことがありすぎた。
ところどころ目を覚ましながら12時まで寝る。寝ることに飽きて、簡素なごはんを作って食べて、キンキンに冷えたアイスコーヒーをぐびぐび飲む。ラジオを聴きながら、つい先日行ってきた旅の出来事を忘れないうちにと少し書き溜めておく。それから旅先で友人にもらったZINEを久々に辞書を使いながらじっくり読む。ああ、彼はこんなことを感じていたのかと思うと無性に連絡がしたくなり、近々また連絡しようと頭の片隅にピンでとめる。
面倒くさくて明日やろうかなと思っていた洗濯だが、外の天気があまりにも気持ちよさそうなので散歩がてらコインランドリーに行く。洗濯物を回している間に近くのスーパーで買い出しをする。ズッキーニとなすが美味しそうで籠にいれる。あ、私食べたいものが思い浮かんでる。よかった。
この数週間食べたいものがなく、目に見えるものをとにかく食べるという杜撰な食生活をしていたら短期間で唖然としてしまうぐらい太ってしまった。いつぶりかもわからない数字。でも、太っていくことなんてどうでもよかった。毎日本当に疲れていた。疲れているときは食事のバランスなんてさらにどうでもよくて、とにかくその時に食べたいものを口に入れるという生活が止まらなかった。でもそれもやっと終わるかもしれない。ズッキーニを焼いて食べようと考えている自分に、多分今日からは大丈夫だという信頼を寄せる。頼むからまともに自炊してくれ。
これまでどうしてあんなにもあれこれ詰め込んで休日を過ごしていたのかが全くもってわからない。とっとと気づいて、いい加減やめるべきだったのだ。私に必要なのは何もしないことだった。
東京に帰ってきてからのこのたった数日も常に何かをしていた。朝空港についてから職場に直行すると、調整ばかりの大量のタスクを引き渡される。そんな合間に、知人たちと美味しいタイ料理とお洒落なカクテルを楽しんだり、クラブに行ったり、友人の展示の最終日に駆け込みで会いに行ったり、高層階のレセプションパーティーにお邪魔したり、兄とふらっとご飯を食べに行ったり、週末も職場に顔を出したりしていた。
お洒落なタイ料理は、アメリカのドラマに出てくるようなボックス席のある都会的なレストランで、そこに連れていってくれた先輩が、SATCごっこできるところ!と言っていた。なんて楽しい人だろうとこちらまで楽しい気分になったが、振り返ると今週は自分の生活がSATCじみている。どれもとても楽しかったし充実していたが、一人で何もしない時間はなかった。
数日振りに帰ってきた部屋をゆったり眺める。いい部屋だなとしみじみする。数日前の日記ではあたかも欠陥住宅のような書き方をしてしまったが、今住んでいる部屋は行き交う車の音が響く以外はなにも悪いところはない。周辺環境も申し分なく、むしろ東京でこんなに気に入る部屋に住めるなんてありがたい。職場は比較的融通も利くし、楽しい人たちに囲まれて毎日刺激的な生活を送っている。やっと一息ついた今になり、ようやくそのありがたさが頭ではないところでわかり始める。また新しい1週間がやって来る。