2024年4月10日
朝7時に起きて、燃えるごみを捨てる。月水金が燃えるごみ、火曜日だけ資源ごみ。月に2回、燃やさないごみを出す。
私はどうやらこれまでごみ出しルールがゆるい場所でしか暮らしたことがなかったらしい。今回の住み家ではじめて、決められた曜日に決められたごみを捨てるという生活を始めた。
はじめて一人暮らしを始めた韓国でも、日本での寮生活でも、建物内に大きなごみ置き場がありいつでも捨てていいことになっていた。5年間で3回引っ越した韓国では、今はわからないが、ごみ出しのルールがあるようでなく、みんな好き勝手な曜日に捨てていた。私の住んでいた地域は学生街だったので、たまたま無法地帯のようになっていたのかもしれない。
決められた曜日に決められたごみを捨てるという生活はなんとも新鮮である。私が今住んでいるアパートは、猫に荒らされるという理由で収集日前日の夜にごみを捨てるのはNGになっている。そこで、当日の朝8時までに外のごみ置き場にごみを持って行かなければならない。はじめて迎える収集日の前日、「ちゃんと朝起きて捨てられるかな、ごみ捨て場の場所わかるかな」とそわそわ緊張していたが、引っ越して1ヶ月が経とうとしている今は、すっかり朝のごみ出しに慣れた。
たまにごみ置き場やエレベーター前で、同じくごみを捨てようとしているアパートの住民や近隣の方に出会う。誰もが優しい笑顔とともに「おはようございます」と挨拶を交わしてくれる。東京で見ず知らずの人と朝から朗らかに挨拶を交わす生活ができるとは思っていなかった。たったそれだけのことで、私は人らしく暮らせる場所に暮らしているのだというささやかな安心が心に広がる。
やや潔癖なので、ぱんぱんにつまったごみ袋が部屋の片隅に複数置かれているのが耐えられない。そこで、小さなごみ袋を使って四六時中こまめにごみを捨ててきた。しかし、捨てられる曜日が限定されているとそれができない。苦肉の策で、週末と平日で使うごみ袋の大きさを変え、次に捨てられる曜日まで一つのごみ袋に収まるようにごみの量をなんとなくコントロールしている。本当になんとなく気にするぐらいのレベルで。
そのせいか、一回も休むことなく(?)すべての収集日にごみを捨ててきたが、今日はついにごみを捨てられなかった。中途半端にごみが溜まっているのが嫌で、無理やり掃除をしたり冷蔵庫を整理したりして、収集日は何が何でもごみ袋を一杯にして出してきた。しかし今日は何をどうしても5Lサイズの小さなごみ袋がいっぱいにならなかったのである。
ごみを捨てなくてよい朝は布団の中でじっとしていられるのだ、という豆粒ぐらいの至福をはじめてほかほか噛み締める。布団の中で、ごみがないというのは生活がやっと落ち着いてきた証かもしれないなと考える。引っ越し後の整理がすべて終わり、新生活の浮き足だった気持ちであれこれを買い揃えていた波が静まり、頑張りすぎない程度の掃除や自炊のリズムが生まれている。
この家に住むのがいつまでなのかはわからない。そんなに長くないかもしれないという予感だけがある。いつの間にかできた生活リズムも、あたたかい挨拶を交わすごみの日の朝も、またすぐに消えてなくなるのだろう。
この一ヶ月、あらゆることが刻々と変化していると強く感じる。だからか、すべてには必ず終わりがあるということばかりに意識が向かう。