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釜山vol.3:越境する誤読

8時2分。ソウルへ向かう高速鉄道の中。向かい合わせになっている4席のうち、通路側の指定席に座る。

窓際には男女が片耳ずつイヤホンを共有して向かい合い、恥ずかしそうに視線を交わしている。そこから漏れる音は、出会えた奇跡を歌い上げるいつかの名曲「10月のある素晴らしい日に(Serenade to spring)」である。なんとも座りにくい席に割り当てられたものである。2人きりの世界に没頭しているところに居合わせて申し訳ない、という眼差しを送り控え目に隣に腰かける。

動き出した朝の車窓を眺める。乗客はまばらで、みんな静かに目をつぶっている。とろんとした眠気が車両に漂う。忘れないうちにと釜山でメモした出来事を読み返し、文章に置き換えていく。

昨晩、アーティストであるユンアンとたくさんの話をしたが、主な話題はアートだった。ただ、私の拙い英語力では、伝えたい意図を言葉に変えるということがままならない。だからか彼女との会話のなかで誤読が誤読を呼んで、本来の文脈から離れていく瞬間があった。

しかし、私はそれをひとつも訂正しなかった。私にそれだけの実力がなかったのもあるが、彼女は私が話すぶつ切りの簡単な単語をなんとか拾い集めて理解しようとした。その収集力に感動してしまったからである。彼女なりに解釈されたコンテクストが面白くて、「じゃあそれで」と私の意図と解離していく物語に笑顔で頷き続けた。

何が伝わっているのか、どこまで私は理解できているのかわからない会話のなかで興味深かったのは、専門的な話は通じ合うのに、私的な話はうまく噛み合わなかったことである。

東アジア圏にいる私たちだからか、アートをとりまく問題意識や政策的潮流などは似通っている部分が多く、何が言いたいのかがなんとなくわかる。一方で、他者との関係性をめぐる話になるとうまくイメージが湧かなかった。

それはおそらく、一対一の動的な人間関係はあくまでも当事者しか/ですら咀嚼できないという限界、クィアなあり方への私の理解力の乏しさ、そして、国ごとの文化に話が広がってしまったことによる。お互いがなんだか理解できないとなったときに、台湾は?日本は?韓国はどう?と大きな主語の会話に容易く流れてしまう。それはそれで必要な問いなのだが、私は国を総体的に語る意見や見方など持っていないのになあと自分から質問しながら困惑する。まず、自分が「日本的」なのか「韓国的」なのかがわからない。だから、それとなく誰かが言ってそうな回答を想像して答える。私の意見ではない。相手もきっと台湾を代弁できない。

適当なそれっぽい会話が、相手の国際理解や知識の一端に影響を与えると思うと、とんでもないことをしてしまっていると苦い気持ちになる。広げられた会話の場を今さら閉じることなんてできない。しかし、こんなことが言いたい訳じゃないのにという会話ばかりが続いていく。まるで国際的思想犯にでもなったみたいと自惚れる。ミスリードを自覚しながら生み出しているからである。

東アジア史を専攻していた学部時代、今でも思い出せるほど面白かった授業がある。文禄・慶長の役の勃発経緯を原文史料を読んで解読するという授業である。今で言う中国、韓国、日本の公式文書(王朝の記録文書など)の漢文を読み、3国の情報がいかに行き交っていたのかを辿るというものだった。文書には事実と噂が錯綜し、「~らしい」という確証のなさや伝聞が飛び交っている様子がありありと残されている。各国の情報網は、海賊や商人といった公人以外のさまざまな人物によっても担われていた。つまり、点在する市井の人々が歴史の重要な起点を担っていたのである。雑に結論付けると、それらの情報の混線が3国を巻き込む戦に繋がった。

私と彼女の間に起こった誤読は、私の推察だと、人生観やパートナー観といった互いのパーソナリティを示す領域にとどまっている。むしろ、私の研究に関する話は不思議と伝わり、最近ひそかにあたためている理論については、「とても興味深いわね」と理解を示してくれた(ように感じられた)。一方で、誰じゃそれ、という人物像の「私」がおそらく彼女の中で出来上がっている。それが未来の歴史に及ぼす影響なんてないだろうけれど、でも全くないなんてことは誰にも言い切れない。

釜山は古くから外来文化と情報が行き交ってきた港まちである。歴史的かつ地理的な大きな因果の流れに乗って、私たちも交差したのかもしれないと考える。考えだけはいつだって軽やかに時空間を越えていける。

眠り始めたカップルの肩越しに、窓が切り取る遠景の山々が左へ左へと流れている。

追記:この日記を公開するにあたり、ユンアンに事前に読んでもらった。すると、彼女は大笑いしながら「私はあなたのパーソナリティを正確に理解できたと思ったけど」と言った。ついでに「お互いについて知っていることをリストアップしてみる?」と冗談めかしく提案された。知らないほうがロマンチックなときもある。

Ubermorgen 《The Silver Singularity》2024
大して好きな作品ではないがタイトルは好き。

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