スタートライン
深く「夢」について考えたことがなかった。
3歳の頃から16年間、毎日のようにサッカーボールを追いかけている私にとって
夢=サッカー選手
であり、それ以上の考えを巡らせたことがない。
しかし、喜多川泰さんの「スタートライン」という本に出会い、自分なりに自分の夢について考えてみた。
「夢」について少しでも深く考えていくとすぐに、ぼくたちが幼い頃にいだく「夢」というものは本当の夢ではなく、「職業」でしかないことに気づく。
確かにそうだ。幼い頃は、プロサッカー選手になりたいと思っていたのではなく、プロの世界で活躍し続けている、かっこいい、ほんの一握りの選手になりたいと思っていた。
そのころは、プロサッカー選手の中でも試合に出られずもがき苦しんでいる選手がいることや、そういう選手たちが自分の将来に対して不安で仕方ない現状など知るよしもない。
では、今まで漠然に「夢」だと思い込んでいたプロサッカー選手という存在が、夢ではなく、夢を叶えるための手段であったことに気づいた今、自分は一体何のためにプロサッカー選手を目指すのか。
日本代表になってW杯で活躍したい。
両親に恩返ししたい。
などさまざまな考えがある。当てはまらないわけではないが、どこかしっくりこない。
将来のことについて考えるのが面倒だから、何か響きがかっこいいから、という理由でプロ志望を掲げているのかもしれないと思ったりもした。
別の視点から考えてみる。
夢には「やりたいこと」を「やらなければならないこと」に変える作用がある。
これもスタートラインの一節なのだが、とても腑に落ちる。納得できる。
幼い頃は、たくさんの人が夢を追いかける。その行動に対して、一切の義務感はない。ただ単に、楽しくて楽しくてしょうがないから夢を持てるのだ。
でも、それを中学生や高校生に当てはめてみればどうだろうか。明らかに夢を追う人は減り、楽しくて楽しくてしょうがなかったことが、受動的に義務的にさせられる行動に変わる。
そして、多くの人が夢を諦める。夢を考えること自体が面倒になり、逃げていく。
「やりたいこと」を「やらなければならないこと」に変える力が、夢にはあるからこそ、「やりたいこと」が「やりたいこと」のままでいられる「人である」ことが、夢を持つ前にどうしても必要な条件になるのだ。
本気でやればなんだって面白い。そして、本気でやっているものの中にしか、夢は湧いてこない。
「夢を探す」という言葉を使う人がいるが、探しても見つかりっこない。
これらの節から考えると
「やりたいこと」が「やりたいこと」のままでいられる人は、その事柄に本気で取り組める。本気でやれば、なんだって面白い。そして、その本気の中に、突如自然と「夢」というものが湧き上がってくる。
ということになる。
そう考えると、自分の「夢」に対して深く考える必要はないのではないかとも思えてくる。
そもそも、探そう探そうと深く考えている時点で、「夢」なんて見つかりっこないみたいだ。
一番大切なことは、「計算」ではなく「情熱」をベースに行動すること。情熱をもって、本気で生きている人には、必ずその夢を応援する出会いや幸運が味方してくれる。
残された学生としてサッカーをプレーできる期間も、あと3年。毎日、情熱をベースに生き、たくさんの人に応援される選手、人間になりたい。
その先に、自分がなりたい本当の姿(夢)が見えてくるのではないだろうか。
目の前のことに本気で生きれば、奇跡が起こる。でも、本当は、それは奇跡ではなく、当たり前の出会い(出来事)なんだ。
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