DAY29. すべからく誰を想う
やっぱり、あると思う。
ホルモンに関わる投薬の影響。個人差?気のせい?リスクよりもベネフィット?なんでもいいけど、絶望はする。
これから数か月、ただひたすらに連続採卵をしていくのだとして。およそ月の半分は、あのモヤモヤと付き合っていくことになるんじゃないの?もしかして。
「弁当ってさ、ちょっとワクワクしない?」
薄曇りの昼下がり。いつもの草むらを熱心に嗅いでまわる犬にリードを引かれながら、夫が言った。昼は近くのスーパーにでも、散歩がてら弁当を買いに行こうかと誘った日。
そのときの私は、「えー?」くらいなもので。こういうところが気楽なんだよな、などと素朴に思ったりしていた。
「まあ、コンビニよりはおいしいのがあるかな」
「いや、おいしいとかおいしくないとかで言ったら、たいしておいしくないのよ。でも、そういうことじゃなくてさ。選ぶ楽しさみたいなのが、あるじゃん?」
「わかるような、わかんないようなー?」
ようやくスーパーを目指して闊歩し始めた犬と夫に、私も笑いながらついていく。足取りは軽かった。でも、あれがもし、魔の2週間の真っただ中だったら?
「え、それって……私がつくる昼ごはんより、できあいの弁当のほうがワクワクするってこと?」とか、思ったかも知れない。「最近、節制し過ぎてるかな。もともとジャンクなごはんが大好きだもんねぇ」なんて、いじけるだろうか。
*
「ねぇ、夕方になんか食べたでしょう?」
私の問いに一瞬、ごくりと息をのんで。夫は今しがたできたばかりの熱々のフォーをすすり、上目づかいにこちらを見やる。そして、こくりと頷いた。
「何食べたのー?」
予感が的中し。食いしん坊ないたずらっ子をからかうくらいのテンションだったはずなのだけれど。
「……」
「うん?」
「……ラーメン」
「え」
その瞬間、脳内が逆行再生されていく。
昼は家でごはん大盛りのカレーとサラダを食べ、仕事の打ち合わせに出て行った夫は、そのままLINEもなく。結局、帰ってきたのは夜の8時を過ぎていた。
いつものように十数年ぶりの再会よろしく歓喜乱舞する犬との挨拶もそこそこに、「仕事のメールしなきゃ」と自室へ上がっていき。結局、一緒に夜ごはんを食べ始めたのは9時近くだ。
私はと言えば、もう夕方の6時くらいには血糖値がするする下がっていくのを感じて、犬と一緒に1本のバナナを食べ。15gのプロテインを飲み。10gほどのミックスナッツもつまんで。
もはや納豆ごはんでも早々にかき込んでしまいたいところだったのを、そこは耐えた。
そして今夜の「鶏肉のフォー」は、3食のうち1食分が簡単にまかなえるテレワークの救世主、私にとってはなけなしのミールキットだった。
「フォーでいい?って、聞いたよね……」
ざわわわ。気づけばこんなしょうもないことで、頭に血がのぼっている。
夫が行くのだから、きっと選りすぐりのこってりラーメンだろう。そこで満たされたあとに、ミールキットのしょぼしょぼフォーって。今半ですき焼き堪能したあとに食べる、すき家の牛丼みたいな落差じゃん。かに道楽のあとのおうちカニカマ鍋か?
貴重な一食を、どぶに捨てたような気持ち。とはいえ、なんともくだらないムシャクシャ。これを夫にぶつけたところで仕方がないと私はおし黙る。
夫はそのまま触らぬ神に祟りなしで、本日のベイスターズ戦ハイライトに見入っている体。ずず、ずず、と互いに麺をすする音だけが、その合間を埋めていく。
結局、最後まで無言のままむっつり食べ終えてしまった。きっと、ここ1週間ほど飲んでいるプラノバールのせいだ。
流産手術から3カ月半、ようやくできた採卵手術が空胞に終わり。何の成果もないまま子宮をリセットするために処方された中容量ピルが、私の許容量をひどく圧縮しているように思う。
エモーショナル・イーティング、なるものがあるらしい。栄養素でお腹を満たすのとは別に、心を満たす快楽を求めて食べ続けてしまうのだという。
ただでさえ薬にホルモンが刺激されて食欲が増す気がするのに、私の満たされない心が拍車をかけているのか、ここ数日は夕方早くからの異常な空腹感に意識がもっていかれる。
昨夜も夫は外に出ていて。7時半になってたまらずLINEをした。
〈夜ごはん、食べてくるの?〉
《ごはんは家で食べるつもりですー》
〈え、もう終わったの?〉
そのLINEには10分後、《まだ終わらなーい!はらへりー》とだけ返信があり、私は腹を決めた。〈お疲れさまー〉とだけ送り、つくりおきできるメニューにして、さっさと自分だけ食べてしまったのだ。
結局それから小一時間後に《帰りまーす》とLINEが来て、9時過ぎに温め直して出したのだけれど。それはそれで、心なしか夫がつまらなそうにしているのを肌で感じる。
待って私が不機嫌になるのと、待たずに夫をほんのり不機嫌にさせるのと、どちらが良いのやら。世にも難しい夫婦の塩梅だ。
頭を冷やしに、犬と夜の散歩へ出た。彼女が心から愛する電車を眺めに、30分ほどかけててくてく歩く。
いつものコースに立ちはだかるマンションには、蜜柑色だったり、青白かったりの灯りが点々とし。意外にもその7割がたが消灯していて、思わず時計を見る。まだ11時にもなっていない。
そうか、子どもはもう寝る時間なのだろうかと思い当たり、ひとり閉口した。子どもがいたら、こんな遅くにふらふらと散歩になど出られないだろう。そもそもが非常識な時間なのだけれど。
ぴきり。子宮のあたりがかすかに軋む。治療を始めるまでは、きっと気にならなかっただろう下腹部のささいな異変に、今ではすっかり敏感になっている。
「あ」
足元の犬に視線を戻し、思わず声が出た。
「あーあー」
犬は小首を傾げている。その瞳は無垢なきらめきを湛えているが、どこか草むらに突っ込んだらしい顔まわりには、得体のしれない植物の粒が点々としていた。
「まったくー」
私はしゃがみこみ、そのもふもふの体から厄介なひっつき虫を取り始める。「え、なになに、やだ、早くお散歩に行きたいんですけどぉ」と静かに抵抗する彼女を、「ふふ。待って待って」と抱きすくめながら。
昼間はどんどん暑くなるのに、夜の帳が下りるとまだ少し冷んやりとする梅雨入り前。腕の中のやわらかな温もりに、胸のこわばりが少しだけほどけた。
*
ずっと、うっすらとした後ろめたさがある。まるで卵の薄皮みたいに。これがつるんと剥け落ちてしまえば、どんなに楽だろう。
2022年4月、不妊治療が43歳「未満」に保険適用される2か月前に、私は43歳になり。これでもう最後だからと自費診療に大金を投じた1年の間に、また2度の流産をくり返すことになった。
保険適用外の年齢。これ以上続けても確率が低く、国がサポートするべき年齢ではない。その線引きは、お金とはまた関係のないところでみぞおちにくる。切れ味の悪いナイフでじりじりと傷を広げられるようなグロテスクさで。
34歳で結婚し、翌年から専門クリニックに通い始めて9年。体外受精にステップアップしたとき、国の治療費一部支援を3度受けた。しかしその間はかすりもせず、そのあと全額自費で受けた採卵・移植手術は20回を超えている。
今はもう、さらなる国の支援を夢見る気持ちなどさらさらなく。私はただただ許してほしかった。あと少しだけ、わが子に会うための治療を私たち夫婦が続けることを。
いったい、誰に?世間に?いつかのわが子に……?
*
「ああー。なるほどね」
隣の夫が首をひねりながら唸り、頷きながら口の中の旨みを噛みしだいている。そこへ正面から注がれる、義父と義母のほころんだ視線。
「こっちの羽根つきは、やっぱり旨いのよ。でもね、こっちの餃子のほうが、うちの餃子だぁー!って感じする」
家に着くなりダイニングテーブルに座ったままの長男様と、同じくたいして何も手伝うことなくニコニコとその横に座る嫁の私。
そして、先ほどまでキッチンカウンターの中でフライパンに向き合い、至極丁寧に包んだ餃子を渾身の羽根つきに焼き上げていた義父。「私にはそういうの無理~」と、ゆるめに包んだ餃子を鼻歌まじりにホットプレートで焼いていた義母。今夜はこの4人で夫の実家の食卓を囲んでいた。
「わかる。私もこっちのほうが好きかもー」
そう言って、義母もホットプレート焼きの餃子を頬張る。まんべんなく、せわしなく両方の餃子をつついていた私は、思わず割って入った。
「どっちもおいしい。羽根つきもやっぱり、本格派で香ばしくていいですね!」
そこには、どちらの餃子も一つとして残せない戦いがあった。私だけの。夫は早々に「もうお腹いっぱい!」などと腹をさすっている。
4人の話題に、夫の弟夫婦の子どもたちの話題はのぼっても、私たち夫婦の不妊治療やそれに類する話は出ない。先の流産報告とともに、この義父母は私たちの治療が終わりに向かっていることを受け止めている。
密かにまた治療を再開したことは伝えていないけれど。どちらでもあなたたちの思うようにしなさいというスタンスが、何よりありがたかった。
「ちゃんと、お金のことは考えないとだめだぞぉー」
気づくと義父は、だいぶ焼酎の杯を重ねていた。義母はもともと酒を飲まず、夫は車の運転で飲めず、私は治療の間断ったりしていた流れで誘われず、今日は飲み損ねている。
いつの間にか、不穏な空気。矛先は夫だった。
「考えてるよ」
いつものように、やれやれと夫は受け流す。「お父さんの頃は退職金が」「厚生年金が」と始まって、今日はなかなか手ごわい調子だ。そこへ、「そうね」と義母も参戦し。隣の夫がどんどん苛立っていくのだった。これも、いつもの流れなのだが。
「へえ」「なるほど」と、相変わらずヘラヘラ隣で聞いていた私も、だんだんその話の流れが気になってくる。「お父さんが死んだら、その分の年金はさ」「お前は良くても、残されたほうはなぁ」もしかして、子どもができずにひとり残される私の心配を……?
「あ、あの!」
たまらず見切り発車で分け入った。
「そうですよね。昔は彼もだいぶいろいろありましたもんねぇ!」と、人の息子をつかまえて言う。「ご心配されるの、すごくよくわかります。でも彼、私がうるさく言ったからって聞くような人じゃないんですよ。ご存知だと思いますけど」
「朝だってね、自分で起きようと思わないと起きないから、もう私、起こすのやめましたしね。サーフィンとかゴルフなら、信じられない早さで勝手に起きて出ていくし!」
「だからお金のことも、今は全部、任せているんです。NISAとかなんとかも、私は全然わからないんですけどね。彼は彼なりにちゃんといろいろ勉強して、将来も考えて、やってくれていますよ」
「そうなの?」と義父。「そうだよ」と夫。すでにあれもやってるし、これもやってる。これはこう考えてる。昔と違って、今はこうなの。
義父は「へえ」と感心し、いつもの子煩悩な笑みを浮かべた。「確かに最近は、だいぶ大人になったなとは思っていたんだよ」と満足げに頷いた。義母は私に「本当、あなたのお陰ねぇ」と嬉しそうに言う。
今日もなんだかんだ長男くんが大好きで、私のことまで労ってくれて。つい、酔ってもいないのに続けてしまう。
「それに、私。ひとり残ったら残ったで、生活レベル落とせないとか、そういうのないですし。コンビニバイトだってなんだってするし、どうにか生きていけますよ」
「コンビニって。80歳のお婆ちゃん雇ってくれないわよー!」
「この間、マックでもお婆ちゃんが働いてるの見ました。まあ、最悪は生活保護でもなんでも。彼はいろいろうるさいから、今は家も選びますけどね。私は結構、どこでも暮らしていけるほうなので!」
「いやいやいや」
最後は少々引かれながらも。笑い話で終えられただろうか。私の行く末など、あまり深刻に考えてほしくない。義父母にも、夫にも。
実際、本音だ。自分ひとりが最後にのたれ死のうが、どうでも良かった。だいぶ前から、私は死への恐怖すら欠如している。
今の私を生かしているもの。生きる意味。ささやかながら誰かの役に立ちたいという人間の本能を、呼び起こしてくれるもの。それは夫であり、義父母であり、父母や弟たちであり、ときどき思いついたように会う友人たちであり。いつかのわが子、でしかなかった。
だから、もう少し治療を続ける選択をしてしまったのだ。顔も知らないどこかの誰かに、何を言われようとも。
「あっれえぇー?」
帰り道の助手席で、夫の腹をまじまじと見つめる。
「なんか、横から見たシルエットが……どうしちゃったのかしら……」
「むぅううう!」と腹を隠してふくれっ面をする夫に、私も腹を抱えながら「今日もよく食べたねぇ!」と爆笑する。
「あそこからスイカが出てきて、さすがにアイスまではいけなかったわ。いつもおかあが買ってくるアップルパイ、事前に断っておいて正解だったな」
「ほんと。でも、最近思うのがさ。所作をきれいにしようと思うと、結構、筋肉使うんだよね」
「ショサ? 確かに君、この一年で背中の肉がほんと落ちたよね。後ろ姿が全然変わったと思う」
「散歩もだけどさ。姿勢よく歩いたり、お皿洗う時シンクにお腹つけて寄りかからないようにとか、横着しないでいちいち丁寧に動いて家事すると、筋トレになる気がするんだよね。きれいな人とかって、そういうところできれいになってるのかも」
「なるほどね。箸の持ち方も、ちゃんと持てる人は使ってる筋肉が違うとか聞いたことあるな」
「へえ、そうなんだ。私たち2人ともちゃんと持てないじゃん。どこが鍛えられるの?」
「なんだっけ……そこは忘れた」
「重要なとこー!」
「とりあえず、また筋トレ開始するか!」
「週2が良いんだよね、私もやる!」
毎日顔を合わせるこの人と、今日も飽きずにくだらない話に花を咲かせ。お互いの健康を密かに願って。ただ、笑う時間がある。私は確かに生きている。
それだけで、たぶん尊い。十二分に。でもやっぱり、もう少しだけ。
知ってる。私は、欲深い人間なのだ。
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