バラナシ

認知行動スキルに手をつける。父から子へ

8年ほど前だけど、お父さん、インドに行ったことがあるんだ。何とかして自分を変えようとして。よく言うじゃないか、「インドに行って人生観が変わった」とか。
藤原新也「印度放浪」とかが大学生時代の愛読書だったし、東京のインドといわれる高円寺に学生時代住んでいたので、憧れが強く、その分思い切りがつかなかったんだな。行くのに。

で、7泊8日の世界遺産8カ所辿る一人旅ツアーというやつに申し込んで、バラナシというところでガンジス川の沐浴をした。

「ガンジス川でバタフライ」はせず、本式の沐浴をやってみた。自分の中のカルマ・穢れを洗い流すのだと、必死に頭まで水面に埋めたりして。

おかげで今がある。

なんてことは無い。だって、ヒンズー教徒でもないし、お父さん。
それに気づいたのは、日本に戻ってきてからだった。そもそも信仰がない。

ただ、ガンジス川沿いで見た光景は、人間の死生観を強く揺り動かすものがあった。亡骸が井桁で燃やされ祝福されている。

死は祝福である。という気づきはおおきかった。日本だとお葬式の後塩まいて穢れを取るとか言うけど、死者に対して穢れっていうのも、よく考えたら失礼な気がしてね。生き抜いたことへの敬意こそあれ、穢れの対象としちゃ行けない、って気持ちになった。

沐浴は無意味だったのかもしれないが、自分なりの死生観を持てたのは幸せな旅だった。今となっては、信仰していない宗教儀式を進んでやるべきではないという認知かな。でもやって無駄ではなく、そこから気づくことがあることも意外に多いから、衝動に突き動かされて物事をやってみた というのもアリだと思う。
インド旅で一度もおなかを壊すこともなかったため、「普段おまえは何を食べてるんだ??」と怪しまれた悲しさに比べたら、何もかもが幸せです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?