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無税社会は可能か?(前編) ~ダムの底のメタバース
参院選が近いせいもあって、税金の話題が多めですね。でも、ぼくはあまり税金の話題が好きではありません。
もちろん、できれば払いたくない! どうにか、ならんかな……とずっと考えてきました。それを大マジメに、メタバースを実験場にするような話とともに考えるのが今回の記事の主旨です。あくまで、マジメです。大です。
税金を他人に押し付けるのは厳しい
ぼくが税金の話題に対して苦手意識と違和感を持つのは、「俺は払いたくない!」「あいつからとれ!」という話に収束しがちなところにあります。
税金を話題にするならまずは税の必要性について吟味すべきではないか、本当に必要なのか考えなおすできではないかと思うのです。とはいえ、それはつまり「税の不要性」を語ることになり、これはかなりの難問です。逆に言えば、「誰から取るか」くらいしか語れないのが実情とも言えます。
でも、そんなことをしても結局みんな多く払わされるだけ(ここ大事)。
少なくとも同じ国境の内で暮らす者同士、お互いにハッピーになれるようにするのが政治を話題にすることの大原則であり、極端ではあるものの理想的な目標設定は「誰も税を取られない」であるべきだと思っています。
もちろん、ちょっと政治や経済に詳しい人なら「無理」と言うでしょう。ぼくもそう思わないわけではありません。それでも、たとえ完全には達成できないにしても、理想として「無税社会」を目指す姿勢そのものは否定されるものではありません。そして、その理想に向かって歩む第一歩として「誰も税を取られない」の実現性を考えていこうと思います。
うん、でもこれまたちょっと政治や経済に詳しい人なら「無理」と言うでしょう。わかりやすい要因として「法人税」の存在があるからです。法人税は、無税社会を考えるうえでの最強のボスモンスターと言えます。
法人税は、必要悪のようなもの?
政治や経済についてはサッパリ、という人にもわかるよう手短に説明すると、法人税はお金が社会(庶民)に出回るようにする装置のようなものです。
細かいことは抜きにして大雑把に捉えると、社員の給与は会社の必要経費として支払われますが、会社を経営する"役員"(例えば社長など)の報酬は経費とみなされません。役員報酬は会社の利益、つまり売上から経費を引いた額から支払われます。また、会社の株を持っている株主への配当も、利益から支払われます。そこで役員としては経費を抑えて、利益を大きくしようとするわけです。
ところが法人税は利益に掛かります。会社の利益を増大することで、国に支払う法人税も増加するのです。
一方、べつにすべての利益を役員報酬と株主への配当にしなければいけないわけではありません。利益を少なく抑えても、あらかじめ決められた役員報酬を受け取ることはできます。国に多く法人税を納めたところで会社に残るものはないので「それよりは社員に給与を多く払った方がよい」という意識が働きます。こういった理由で、法人税は必要とされています。
だがラスボス討伐をめざす
ただこれ、あくまでも社員の立場が弱い場合のロジックです。経営者の立場で考えると、べつに温情で社員を雇っているわけではなく、利益を高めるために必要なのです。終身雇用前提で転職自体がネガティブな印象を持たれていると「給料が低いなら、やめる」というわけにはいきませんが、転職が前向きに捉えられるようになれば、「給料が低いなら、やめる」と言えます。法人税が必要か不要かではなく「その役割をなくせる」ということが重要です。
この流れ(法人税率の低下と雇用の流動化の促進)は、消費税導入後の日本政府が実際に続けていることです。もちろん上記の説明は「税は不要」という前提に立っての話ですから、「税が必要」なら法人税も必要です。日本は税は必要という立場に立ちながら法人税を下げているので、経済がめちゃくちゃになるのは当たり前です。
でも今回は無税社会をめざすという前提に立つので、法人税もなくすことを目指して考えていきます。
国家の核とはなにか?
無税社会をめざすという方向性を出しつつも、「無理」という結果を受け入れる理由は、社会にはどうしても必要なことがあるからです。
世の中にはどうしても働けない人や、運の悪い人というのがいて、それを放置すると治安の悪化につながります。職を失い食べるものがない人に手を差し伸べなければ泥棒や強盗になるのは必然です。「生」の力はそれほど強力で、「死」を招くのに充分すぎます。病気や怪我で働けないなら、危害を加えることもないだろうと思うかもしれませんが、本人はそうでも、彼や彼女を愛する人がいます。生まれつきあるいは事故などで重い障害を持った人やその家族の負担を軽減しなければ、思いがけないところで誰かが傷つきます。それは防ぎたい。それも「誰が見舞われるかわからない不幸」として、同格のものです。
誰が事故にあうか、病気になるか、子どもが障害を持って生まれるかはわかりません。だから、皆で少しずつお金を出し合って、不幸な目にあった人のための助けとする。これは簡単な二択です。不幸にあってお金を貰うのがいいか、不幸にあわずに少額の税を払うか。
あえて「福祉」という言葉は使いませんでした。「安全保障」もこれに含まれます。個々人にはどうしようもないことを、皆で支え合おうというのが社会や国家、税の基本です。
ここでメタバース
ちょっと長くなってきましたが、この話題の大事なポイントはここです。税には必要性があり、なかなか不要だとは言えませんが、必要な部分とそれ以外は切り分けることができる。そして、実際にきりわけた世界があるとしたら、そこに学ぶことができるはずです。
それが広義のメタバースであり、そのひとつとして今年20周年を迎えたFF11の名を挙げられます。FF11はオンラインRPGで、もう古いシステムなので新作へと人が移住し、いまやダムの底に沈むことが決まった小村のようなものです。そして、過去を懐かしんで「神ゲー(だった)」と言われる作品でもあります。
FF11が高く評価される理由のひとつは、「安定した経済」です。
いまは小村でも、かつてはサーバーがダウンするほど人が多かった時期もあり、インフレやデフレの波を経験しながら、そしてプレイヤーに不平不満を言われることがありつつも、FF11世界の経済はそれなりに安定を保ってきました。
FF11は、それ以外のオンラインRPGの多くと違うこだわりとしてリアルマネーがゲーム内に影響しない設計がなされています。
もちろん、あくまでゲームですから実生活のような意味で病気や怪我で働けなくなることはないのですが、FF11のプレイヤーはその世界を維持するための税金としてプレイ料金(月額制)を支払い、ゲーム内での活動は無税のゲーム内通貨で賄ってきました。現実世界の税で言えば、核の部分はリアルマネーで支払い、それ以外はゲーム内通貨で切り分けられて成立しているのです。大事なのは、経済を回すために税金は必要ないということです。
「そりゃゲームで遊んでるだけなんだから……」と思う人も少なくないと思いますが、それは違います。FF11のゲーム内には個人ではできないことがあり、複数人で長期に渡って活動し、ルールを決めて報酬を分配しなければいけない要素があるのです。
かつてプレイヤーたちは言いました。「FF11は、遊びじゃない」と。
(つづく)