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#読書『彼女は頭が悪いから』

2016年5月に起きた東大生5人による強制猥褻事件をもとにした小説。著者の姫野カオルコさんは裁判の傍聴をするなど取材をし、登場人物は架空のものとしながらも背景を補うかたちで事件の構造をフィクションとして表現している。

事件に関する話の展開は、概ね実際の流れを踏襲しているようで、ざっくり言えば「サークルの飲み会で女子学生が5人の男子からわいせつ行為や一部暴力を受ける」というもの。

ただし小説のボリュームとしては登場人物たちがそれぞれ被害者・加害者となるに至る経緯を描く部分が大半で、実際の事件の公判における発言などを除けば見えないはずの心の内や、それぞれの行動の動機、トリガーについて"わかりやすく"語る。

"わかりやすく"というのは、言い換えれば「典型的なパターンで」ということ。男子も女子も、どこかで聞いたことのある動機を持ち、どこかで聞いたことのあるコンプレックスを抱えている。それを「新鮮味がない」といえば本書に対する批判になるかもしれない。しかし、条件が変わればいくらでも、場所や時代や人を選ばずに同じ事件は起こりうることを伝えている、といえば本書の見方は変わる。

なお、実際の事件が起きたときも、本書が刊行されたときも、"東大生"による加害という部分がクローズアップされて言及されたが、東大生であることはあまり関係ないと言っていい。

ただし本書自体は、東大生ゆえの驕り高ぶりを随所に表現している。それでも「東大生であることは関係ない」と言える。

女性に対して下であることを求める男はそれなりにいる、というだけで理由は充分。中学生女子と高校生男子に置き換えても、会社の後輩女子と先輩男子に置き換えても話は成り立つ。

もうひとつの理由は、男子も集まれば強気になり、ときには理性を失うこと。ひとりで女子と向き合えば決してできないことも集団になれば実行できる、というのは容易に想像できるし、実際に目にしたこともある。

もっとも、相手が女子である必要すらない。マウントできる状況さえあれば、人への冒涜は手軽に実現可能だ。群れれば強気になり、歯止めが効かなくなる。とても普遍的だ。

事件が起きたとき、被害者の女子に対して「東大生狙いが失敗した」「東大生こそ被害者」という中傷が行われたことは、本書でも述べられる。これもまたよく見る光景だ。痴漢でも、事故でも、いじめでも「被害者に落ち度があった」と批判することはもはや日本の常識となっている。

被害者に対して攻撃的になる心理は「被害者に同調してしまうと被害を共感してしまい、その恐怖に耐えられないことによる」という説がある。これは自分の経験からも納得がいく。

「自分なら被害にあわない方策をとれた」と宣言することで自分は同じ被害にあわないと思い込み、恐怖から逃がれられる。被害者は愚かで弱かったが、自分は賢く強い。だって、どうしたらいいか言えるから。その態度こそがマウント志向の典型であり、虚勢を張る姿が示すものは弱さだけだ。自らを騙す人間だからこそ、他人が嘘をつくと考える。被害者が嘘をついていると責めるそれは、自傷行為だ。

騙されることが怖い、という側面もあるだろう。被害者の訴えは嘘かもしれない、騙されたくない。しかしこの心理は「騙される方が悪い」という価値観に由来する。騙されるのは愚かだからであり、とりあえず「騙されないぞ」という態度をとれば賢い自分でいられる。

いいや、騙す方が悪い。騙されたとわかってから、ひどい奴めと言えばいい。

多くの真実を闇に葬らない限り、特定の嘘に騙されないことはできない。もし「できる」とあなたが思っているとしたら、その理由は簡単に言い当てられる。それは、あなたは頭が悪いから。

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