敗訴判決に潜む光明(後編) ~マンション・団地で猫を飼おう計画
今回も、前回の続きで、ペット飼育解禁を求める立場には悪夢のような判例、『平成6年8月4日判決・犬の飼育禁止請求事件』の判決文を見ていきます!
前編では、訴訟というのは「個々の事情」に即して結論が導き出されるもので、常に同じ結論に至るような普遍性があるわけでないという視点でこの判決文を見ていきました。ひと言で「集合住宅」といっても構造の違いは様々でペット禁止の必然性に影響すること、かつ「昭和」の事件(訴訟は平成初期)ということで、現在はできる対処が大きく変わっているという側面もあります。
今回は逆に、マンションなどの構造とは関係ない部分、普遍性のある部分を中心に注目して見ていきます。
と、その前に。まずは前編でも軽く触れた「官僚答弁」「霞ヶ関文学」について簡単に説明しておきます。
霞ヶ関文学とは
政治や社会問題に関心がある人には馬の耳に念仏ですが、一般に「官僚答弁」とか、もう少しマニアックな言い方で「霞ヶ関文学」と呼ばれる"ものの言い方"があります。"嘘"とは異なる、「事実を述べてはいるが、誤解させやすい言い回し」のことがその特徴です。
"霞ヶ関"は、省庁が集まっている東京都千代田区の地名で、そこで仕事をしている"官僚たちの方言"のような意味で揶揄されると同時に、時には事実から遠いフィクションのような作文になることもあり、「霞ヶ関文学」と呼ばれます。
もっともよく知られ、官僚だけでなく一般的にも使われるのが、何らかの要求に対して「検討する」とか「適切に対処する」と答える言い方でしょう。
前者は、「検討するとは言ったが、やるとは言っていない」という典型的なごまかしの手法です。後者はより悪質で、「~してくれ」という求めに対して「対処する」と答えているにも拘わらず、実際には「(適切でないと思うから)やらない」という場合に使われる言い方です。
どちらも、「やらない」と答えることが不都合なときに、あとで「嘘をついた」と言われないために、どうにか"嘘だけはつかない言い方"として、企業が不祥事に弁明する際などにも多用されています。
とはいえ、これを批判しようというわけではありません。なぜなら、発言を正確に読み取れないのは、聞く側にバイアスがかかっていることも大きな原因のひとつだからです。
「応じてくれるに違いない良い提案だ」と思って要求するから、「検討する」と答えられたときに「やったぜ!」となってしまうのです。「好きです!」と告白したときに「考えさせて」と言われて「やったぜ!」となった経験のある人は、リテラシーが高まる良い機会を得ましたね。ぼくもです(やったぜ!)。
また官僚や政治家、企業などと違って、裁判所は「ごまかし」をする必要がありません。ただし裁判所の場合は、その重い責任上、あくまで厳密に正確なことだけを述べる必要があるため、ぼくらが日常に使う曖昧な言葉遣いをするわけにはいきません。
動機はさておき「正確さ」にこだわると、それを伝えるのがときに難しくなることがあるのです。そして、「わざわざ回りくどい言い方をしている」と感じるときは、そこにこそ"正確"な情報が潜んでいる可能性があるのです。
ポイント⑥ 「有効」か「無効ではない」のか
この事件の場合、犬の飼育禁止を求められた住民は改正されたペット禁止規約は無効である旨を主張しています。東京高裁はこの主張に対し、判決理由の冒頭で
と述べて否定しています。
ここで誤解してはならないのは、裁判所が「有効」としたのは事件となった「当該マンションの改正後の規約」のことです。これは、このマンションの事情を踏まえた総合的な結論です。
他方、裁判所は判決理由の続きで以下のように述べています。
こちらは普遍的に、ペット飼育の全面禁止規約の在り方が対象です。しかし、こちらについては「有効である」とはせず、「当然に無効であるとはいえない」としています。
裁判において与えられた判断材料(=原告と被告が出した証拠等)だけではペット禁止規約を総じて「有効である」とは言い切れません。だから、「今回検討した範囲では"もちろん無効だよ"とは言えないッス」という言い方をする必要があるわけですね。
事件の舞台となった当該マンションの規約が有効か無効かと、ペット禁止規約が総じて有効か無効かは別問題なので、表現も変わるのです。
もちろん、「無効であるとはいえない」だけなら「有効だ」と読み換えてもほぼ相違ありません。しかし、頭に「当然に」と付けられており、無効と言えることがなくもないかも程度の可能性を滲ませています。
さらに判決をよ~く読むと、「"具体的な被害の発生する場合に限定しないで"動物を飼育する行為を一律に禁止する管理規約」について「当然に無効であるとはいえない」としています。
この部分は、住民が「共同の利益に反する行為とは(中略)具体的な被害が発生する行為に限定されるもの」として、ペット飼育を全面禁止する規約を無効だと主張したことへの裁判所の回答になっているのです。
ほかにも規約を無効だとする有力な根拠があれば、結果が異なることはありえると考えられます。ただし訴訟の過程で俎上に上っていない"未知の根拠"のことは裁判で検討されていないので、このように限定的な言い回しになるのも仕方ありません。
ただし、判決では「マンション内における動物の飼育」を「一律に共同の利益に反する行為として管理規約で禁止することは区分所有法の許容するところ」としています。こちらは堂々と「一律」と明言しており、これがその後に続く結論(=「無効であるとはいえない」)を読み違えやすい原因のひとつになっています。
ポイント⑦ 全面禁止をただ認めているわけではない
判決は、以下に引用するように「飼育の範囲をあらかじめ規約により定めることは至難の業」として、規約に「動物飼育の全面禁止の原則」を規定することを認めるものです。しかし一方、引用部の後半では「例外的措置」を個別に定めることを「合理的な対処」としています。
とても読み間違いやすいのですが、「全面禁止」をただ認めているわけではないのです。
あくまで"規約"においては「原則」として"全面禁止"をうたい、そのうえで「認容しうるペットの飼育の範囲」は「管理組合総会の議決により個別的に対応」する、つまり細則など別の手段によって定めることを「合理的」と判断しています。
もう一度同じ部分を引用しましょう。
「飼育の範囲を定めること」が難しいのではなく、「"規約により"定めること」が難しいだけなのです。
裁判所は、ぼくら一般人がまったく想像も及ばないことに、「規約」と「住民が守るべきルール」をわけて考えているんでしょうね。ただし、「あらかじめ」ともあり、状況によって変化が生じることも念頭にあることはわかります。コロコロ変えるわけにいかない"規約"ですべてを決めようとせず、状況に応じて「個別的対応」をするように(暗に)勧めているわけです。
この判決でもっとも重要なのは、この部分です。
規約で「全面禁止」する一方で「個別的対応」をせず、住民が他者に迷惑をかけることなく住戸内でペットを飼育することを"承認"しないことは、「合理的ではない」ということですから、裏返して読めば「問題になりえる」とみなせます。
規約以外に目を向ける必要性
同じ住民が守るべきルールのなのに、そのなかで同じ事柄が「禁止」されたり「承認」されたりすることは、一見矛盾するように見えます。でも、そうでもありません。
例えばうちの団地の協約でも、"禁止事項"として「専有部分を住宅以外の目的に使うこと」を定める一方で、すぐあとに続く"承認事項"として(理事会の許可を得れば)「他の用途(教室など)に使うこと」を認めています。なんとなく「一貫性」が必要だと思ってしまうのですが、それは先入観に過ぎないのです。
そして、国土交通省が公開している標準管理規約(規約のテンプレ)では、集合住宅ごとに個別に規定する「専有部分使用規定」の項目例として、「住宅専用・住宅以外も可 の別」とともに「ペットの飼育制限の有無(規定している使用細則条項)」を挙げています。専有部分の使用を定める規定において、ペット飼育を扱うことを国も認めているのです。
相手がある程度話が通じる理事会なら、このあたりのことを伝えればペット飼育を認めるべく動き始められるはずです。そして、無理して"規約"本体から「ペット禁止」を取り除いて「ペット可」に変える必要はありません。
ポイント⑧ 理事会の勝手ルールに法的拘束力はない
もうひとつ重要なポイントとして、判決理由のなかに出てきた「個別的対応」について、「管理組合総会の議決により」という条件付けがされていることが挙げられます。
これについては、判決理由のなかに補足されている以下の部分が関連していると思われます。
この訴訟では管理組合側が、規約改正前からペットは禁止されていたと寝ぼけたことを主張し、マンションの「入居案内」にはペット飼育禁止の旨が書かれていたことをその根拠のひとつとしています。しかし、横浜地裁判決も、東京高裁判決も、これを認めませんでした。
入居案内は一般的に管理組合の理事会が、規約の概要をまとめたり、ゴミ出しの注意など住民の生活の助けになる情報の周知を行なうためのものです。
法的裏付けもある"規約"の効力は強く、前述した民法第一条も「秩序のためなら権利制限もやむなし」という態度ではあるのですが、あくまでそれは「総会の議決」によって住民の大多数が望んだ場合に限られます。
理事会が存在しないルールを勝手に設けて良いわけではないので、裁判所は入居案内にだけ書かれた"勝手ルール"の拘束力を認めないと判断したわけです。
理事会の役割はほぼ「行政」に相当するのですが、誤解されがちであることは以前の記事で説明しているとおりです。「理事会が住民の上に立つ代表である」と勘違いし、自ら権力を振るい始めると"勝手ルール"が生まれることがありますが、法的には拘束力がないので従う必要もありません。
このような「理事会の勝手」がよりエスカレートした例としては、「渋谷の北朝鮮」と呼ばれた『秀和幡ヶ谷レジデンス』の一件が知られています。ウーバーイーツ利用禁止、廊下での携帯電話禁止、友人を宿泊させた場合にもお金を徴収するといっためちゃくちゃなルールを、管理規約や細則としては定めないまま勝手に運用していたことで大きな問題となりました。
まとめ
以上で、『平成6年8月4日判決・犬の飼育禁止請求事件』の読み解きはおしまいです。前後編ともかなり長くなりましたが読んでいただき、ありがとうございました。
最後に、まとめます!
・訴訟の判決は、個々の事情による。他のケースには効力を持たない。
・ただし法解釈など普遍性のある部分は、他の訴訟でも踏襲される。
(裁判所の判断については、上記2件はわけて読み解く必要がある)
・事件の舞台となったマンションにおける犬の飼育を巡ってペット禁止規約の有効性が問われ、裁判所は「有効」と判断した(住民敗訴)。
・規約でペット飼育を全面禁止することも「無効ではない」と判断。
・ただし組合総会の決定によって「個別的に対応」(細則を定める等)することが「合理的」との見解が示された。
・当該マンションは「ペット用設備がない」とされたが、高層階の住民はエレベーターの利用が欠かせないと"七階建て"という事情がある。
・理事会が定めた勝手ルール(入会案内)に法的拘束力はない。
最初にこの事件・判決の概要を知ったときとは、ずいぶん印象が変わったのではないでしょうか? 最初に「悪夢のような判例」と書きましたが、意外とそうでもないことをおわかりいただけたかと思います。
ところでこの判決と向き合うときに気を付けたのは、弁護士のように振舞うことがないようにすることでした。弁護士は一方だけに肩入れするのが商売ですし、敗訴したときに軽々しく「不当判決」と言った言葉を使うことがあります。
ここまで読んでいただければわかるとおり、この記事ではこの判決の中身、裁判所の判断そのものを否定したり、批判していません。すべて肯定したうえで、受け入れざるを得ないこととして「不利な点」と「有利な点」を寄り分けました。
住民敗訴の判例ですから決してありがたい結果ではないのですが、隅々までよくよく読んだ結果として、ぼくはこの判決を「不当」だと批判することはできませんでした。
……なんて言い方をすると「妥当・正当ではないということか!」と、まるで"霞ヶ関文学"のように思われるかもしれませんが、まあ気にしないことにしておきます。「ただちに影響はありません」からね。
(つづく)