終末トレイン なぜかゆい?
昨季、2024年春アニメとして放映されていた『終末トレイン どこへ行く?』を観ていました。昨年TVを捨てっちゃって以来、ほとんどアニメを観なくなっていたのですが、我々の西武池袋線地域が舞台だと旧Twitterで知り、興味を持ったのです。
※タイトル画像:『終末トレインどこへ行く?』公式サイトより(©apogeego)
旧Twitterでこのアニメの存在を知った時、すでに放映は中盤に及んでおり、主人公たちによる電車の旅はぼくの旧最寄り駅である東久留米駅、ひばりヶ丘駅へと至っていました。そして、「東久留米はなぜ"かゆい"のか」が話題になっていたのです。
どういうこと?
『終末トレイン』は現実の西武池袋線地域を舞台としていながらも、突然大きく変貌してしまった世界の様子を描くファンタジーアニメです。
物語は高校生の主人公女子らが西武池袋線で池袋をめざすロードムービーのように展開しますが、着く駅、着く駅でその駅に因んだようなそうでもないような事件が起きます。
通常、こうしたご当地アニメ狙いの作品は、舞台となる地域のことを知らない人が置いていかれないように作ったうえで、地元民や、聖地巡礼をした人がニヤリとできるポイントを散りばめるものです。しかし本作はあまりに"ファンタジー化"しすぎて実際の地域に即していないため、そうした楽しみがあるように思えませんでした。
しかも、駅ごとで生じる事象がいちいちネガティブなので、地元民としてはあまり愉快ではありません。ネガティブな側面であっても、うまく「いじる」ことで笑いに変える力量があれば良かったのですが、なんなのかわからない表現も多く消化不良を起こしています。
とはいえ、ネットなどでこのアニメの評判を探れば「おもしろかった」という声をたくさん拾えることでしょう。なにせ監督はかの名作『ガールズ&パンツァー』の水島努さん、シリーズ構成は伊藤和典さんの弟子として名高い脚本家の横手美智子さんですから。
ぼくもその布陣を見てかなり期待していましたが、そのぶん反動がツライです。第9話のタイトルが「思ってたよりつまんないみたいな」だったときは、心の内を見透かされたようでドキッとしてしまいました。
主人公の女の子たちの会話も、この手の「女の子動物園」モノとしては意外なほどにギスギスが多めです。主人公のキャラ造形には良い意味で地に足の着いたリアリティがあり、中身が空っぽの王道的主人公でないことは評価できるのですが、しょっちゅう仲間と衝突するわりに、仲直りへと至る心の機微みたいなものが描き切れていないというかチョロイなと感じることがしばしばでした。
もちろん、女の子の心の内はとても複雑なもの。仲直りは表面的な社会性が重視され、内面の本質的な納得感は二の次にされる――とでも考えれば、メイン脚本が女性ならでは深いものと言えなくもないのですが。そこまで表現されているかというと、そうでもなく。
こういった群像劇は、視聴者が主人公たちの輪に入っていきたいと思わせるかどうかがとても重要ですが、今どきのメンタルよわよわ日本人がそう思えるかはかなり疑問です。若い女ならなんでもいいからお近づきになりたいという厚顔無恥無恥おじさんは気にしないかもしれませんけどね。こうがんむちむちおじさん……最低。
さておき、ですよ。
シリーズ序盤のまだ埼玉の山の方にいる頃は物語が(大しておもしろくもないわりに)丁寧に描かれるのに対し、その後どんどん拙速に消化していくことには、強い違和感を覚えました。そして、主人公たちの乗る西武池袋線が東久留米駅に至るとなぜか体が猛烈にかゆくなり、そして理由もなにも説明されないまま通過してしまう……という具合い。
おそらく、物語のその後の展開に関わる人物と関りのない駅は、なんらかの事情により、すべて飛ばされたのではないかと思います。
この作品の制作裏話もWikipediaすらも調べずに推測しますが、大御所・水島監督作品ということで2クール24話を予定したものが、序盤の不評によって1クール12話に半減されたのではと思うほどの飛ばしっぷりです。あるいは第2期を求める声が高まることを期待して、欲張ってしまったのでしょうか。不評・シリーズ短縮からの大逆転となったエヴァンゲリオンの再来となれれば良いのですが、さてどうでしょう?
なお、この作品では異世界化した西武池袋線地域を、わざわざ「駅と駅の距離も長くなった」ものとして旅が長くなるようにしています。にも拘わらず盛大にスキップしていく構成になったのですから、設計ミスにもほどがあります。主人公たちの目的は、仲違いによって地元を離れてしまった友人と再会するため池袋に向かうことですが、その"心情的にも物理的にも、長い道程"が結果的にスキップスキップ、ランラランしてしまったのはなんとも残念でした。
なのに、聖地(?)巡礼しちゃう奴
ただ、池袋線民としては「西武池袋線にはもっと良いモチーフがいろいろあるよ!」という気持ちにさせられます。どうにも落ち着かないのでさっそく普段は乗らない下り電車に乗って"所沢"へ行ってきました。本作を観ていると、なぜか所沢を無視できない気持ちになるのです。ところざわざわ♪
写真1枚面は、大日本帝国陸軍・所沢飛行場跡に造られた「航空公園」。小学生の頃に遠足などで何度か訪れて以来ですが、ここの飛行機、こんなふうにペイントされていたかなあ……という感じ。機体はC-46A。
写真2枚目の「こぶし団地」は、戦後・高度成長期の住宅難の時代に、労働者たちが自ら作ったという伝説の非公団団地です。今じゃまったく考えられない当時の日本人の活力に恐れ入るばかり。
なんだかんだと酷評してしまった『終末トレイン』でしたが、もしも作り直してもらえるなら、それには期待したいなあと思うところです。スタッフは実力者揃いなのですから、丁寧に作れば、もっとずっと良い作品になることは間違いありません。
ところで、結局いくら考えても東久留米でかゆくなる理由はわからないのですが、駅を降りれば、きっとこの人が患部を切除してくれるはずです。
3億円くらいでね。
東久留米市は、かのマンガの神様・手塚治虫さんが最後に暮らし、亡くなった土地です。「竹と湧水しかない」と言われた東久留米市では現在、手塚キャラクターが町おこし的に使われています。
ただ手塚治虫さんには、どうにも不自然なことに国民栄誉賞が与えられていません。その作品を通じてずっと命の大切さや反戦・平和を唱え続け、赤旗に寄稿するなど日本共産党に協力したという理由から、当時の自民党政権は国民栄誉賞の対象にしなかったと言われています。国民栄誉賞はあくまで政権浮揚のための自己都合政策以外の何物でもありませんから、敵に塩を贈るわけにいかないのは当然といえば当然ですけどね。
一方、現在の東久留米市政は自民・公明が与党。自民党と公明党の市議たちが「手塚キャラのある町」を市政の成果として誇っていることには強烈な違和感と憤りを覚えます。
もしも手塚治虫さん本人が生きていれば、こんなことにはならなかったろうと思うと……どうにも体がむず痒くなる次第なのです。
(おしまい)