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なぜ"あの件"は報道されないか③TV編

その時々に話題の"ナニカ"が報道されないことには「そもそもデマや勘違い」、「おかしそうに見えて、実はそうでもない」といった根本的な理由のほかに、事実だとしても「ほかに比べて優先度が低い」、「独自性を出せないことは扱わない(あるいは極めて扱いが小さい)」などといった理由が考えられることをお話ししてきた記事の3回目です。

今回は、なんだかんだ言われていても未だにメディアとして代表的な位置にあり、そのぶん強く批判されるTVについて考えていきます。

悪魔の証明

結論から言ってしまえば「TVが報じていない」は、その発言自体がかなり信憑性の低いものです。なにかが存在しないことを証明することは難しいことを指して「悪魔の証明」という言葉がよく使われますが、まさにそれです。

特にTVは全TV局を録画でもしない限り、あとから報道内容を確認することは困難です。普段から全報道番組を録画してチェックしているとわかっている人や組織が言うならともかくですが、そんな暇な人や組織がいるとは思えませんし、いるぞと明言できない以上、すべての「報じていない」は当てずっぽうです。こんな極めて幼稚な発言がまかりとおること自体が、ネットの話題の信憑性を著しく低下させているとも言えます。

とはいえ、「実は報じていた」という事実さえ指摘すれば「報じていない」という嘘は簡単に破れます。にも拘わらず、そういった指摘がないのはなぜ? と思うかもしれません。

この最大の理由は、似た価値観の人たちばかりが集まる"エコーチェンバー"の内側にいると、その外部にいる他者と意見や知識を共有できなくなることにあります。さらにその原因としては「報道があれば誰か気付くはず」「みんなが言っているからきっと正しいんだろう」という"誤った集合知信仰"や、都合の悪い事実が出てきても認めない"振り上げた拳を降ろせない現象"などが考えられます。

しかし、これまで「報じられない」と広く言われてきたことが実際には報道されていたことは少なくありません。

NHK

TV報道への批判でもっとも槍玉にあげられるのはNHKですが、地上波のニュースで報じていなくても、衛星放送(BS)では報じていたり、ニュースとは別の深堀り番組で取り上げていることがあります。時間帯やチャンネルによって想定する視聴者が異なるので、そのぶん放送する内容も偏ります。

特に「政治の話題は若者向けではない」という思いがあるのか、政治的な話題は高齢者向けの番組が多いBSで比較的丁寧に扱われています。ですから「NHKが今日地上波で報じなかった」くらいなら比較的容易に確認できますが、だからなんなのという話にしかなりません。「観られるひとが限られるBSでこっそり報じ、地上波で広く伝えまいとしている!」というのはどうでしょう、明確な根拠がなければ一種の陰謀論と言えます。

TOKYO MX

TOKYO MXの朝の報道番組『モーニングFLAG』とその前番組の『モーニングクロス』は、他局の一般的なニュース番組とは報道内容が大きく異なります。両番組が報じているのに「TVは報じない」と言われているのを何度見たことか……。

他のニュース番組なら視聴率重視で「世間の関心をひきそう」と思うニュースを報じるところですが、両番組は「大事なことを伝え、世間の関心を引く」という逆のアプローチでニュースを選定してきたように見えます。

メインキャスターの堀潤さんがリベラルを自称する人だからというのもありますが、番組としては逆側に偏りぎみの人たちもコメンテーターとして登場し、広くさまざまな意見を聞くこともできます。ま、なかにはひどいコメントもありますが、発言すること自体は許容しなければいけないでしょう。

なお、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)自体に東京都が出資しており(第3位の株主)、番組内では"東京都からのお知らせ"を伝えるコーナーがありますが、だからといって都政の問題を無視することはなく、小池百合子都知事に対する疑問や批判も普通に流されます。

よくNHKも広告を入れればいいという意見に対して「広告をいれると番組内容に影響する」との反論がありますが、これも両番組によって否定されていると言って良いかもしれません。堀潤さんは原発報道に制限がかかったことでNHKを飛び出した身ですから、NHKがすべき改革を自分の番組で実践しているようにも見えます。NHKに批判的な人は、堀潤さんの動向を追うのはおもしろいかもしれません。

ワイドショーは報道ではない

TV全般に対する誤解のなかでも特に際立っているのは、ワイドショーなど情報番組の存在です。あくまで情報番組であって報道番組ではないワイドショーは、報道としてのプライドがないため大した根拠のない話題を、目新しさがなくても追い続けます。

このワイドショーの姿勢は、ネットの話題が「根拠が薄弱でも」「目新しさがなくても」続くのと同じです。そのため「報じてもらいたい」という気持ちを持つ人たちはワイドショーに着目して「報じなかった」と言っている場合があります。

しかしワイドショーはTVタレント同士の喧嘩の方などより視聴率をとれる話題を優先し、制作サイドが「バカ」だと想定している視聴者への説明が難しい話題を扱いたがりません。めちゃくちゃ幅広く低俗なゴシップを扱う可能性があるため、話題の競争率は猛烈に高くなります。ワイドショーで扱われることを念頭においた"TV報道への期待"はたいてい叶いません。

もっとも、ワイドショーを指してTV報道を批判する人たちはワイドショー自体を観ているとは思えない場合がほとんどです。ワイドショーは報道番組ではありませんが、だからこそ番組によっては長い生放送の間にニュースコーナーが設けられている場合があります。そこだけが報道で、それ以外は違うということを区別する機会はあるのですが、実際には観ていないのですから、そこに気付くわけはありません。

しかし政治的圧力の影響は広く認識されている

とはいえ、「TV報道が歪められている」と疑うこと自体は無根拠ではなく、それなりの理由があります。それは政治介入があったと"認識"されている例があるからです。

2001年にNHK(ETV)で放送された『戦争をどう裁くか~問われる戦時性暴力』という番組は、NHK上層部が安倍晋三内閣官房副長官(当時)と中川昭一経済産業相(当時)から圧力を受けて内容を改変されたと、2005年に朝日新聞が報じました。

番組制作に携わったプロデューサーの証言もあり、政治圧力があったことの信憑性はかなり高いものでした。しかし、番組改編の証拠となる録音テープが無断で録音されたものとされて表には出なかったことで、事態はうやむやになりました。

なお安倍官房副長官(当時)は「重要な発言がカットされ、都合のいい部分だけを抜き出している」「私の承諾を得ずに取材が録音された可能性は高まった」と反論していますが、発言があったこと事態は暗に認めているともいえます。また、NHKは番組内で「朝日新聞虚偽報道問題」と題して朝日新聞の報道に反論していますが、朝日新聞の抗議を受けてその後「虚偽」の文字を外しています。

この件のおもしろいところは、「証拠を出せない以上、朝日新聞の報道に根拠はない」と断じられて批判されることは仕方のない一方で、以上のような経緯から「NHKは番組改変をしなかった」と信じる人はおそらくほとんどいないことです。官房副長官時代の安倍晋三さんは広く知られた人物ではありませんでしたが、その後よく知られるようになったことで「さもありなん」と思われたことも影響しているかもしれません。

そうして(むしろ圧力がなかったとしても)「政治家が関われば番組改編くらいしかねない」という印象だけが、党派を問わず残ることになりました。

メディアは"いじめ"の対象

こうして考えてみると、メディアにはいじめの対象としての特徴も備わっています。

思いどおりに動かせず、存在を疎ましく思う人は少なくありません。なくなっても困らないと思うのも無理はなく、排除したい気持ちを止められない人が多くいるであろうことは容易に想像できます。

そして、いざデマなどを交えた攻撃が始まったも、ほとんどのメディアは反撃しません。デマの出所を名指しして反論するようなことは、ほぼありません。決して争い合うことにはならず、一方的に安全圏から石を投げ続けられることを、攻撃者ははじめからわかっています。

嫌いなら嫌いで、離れて関係を断てばいいのに、それをしないのも同じです。あくまで石が届く距離にいて、ときには、いじめの対象に皆のランドセルを運ばせる。「なぜランドセルを持たない」「ランドセルを持て」が、「なぜ報道しない」「報道しろ」に変わっただけです。

そして、"いじめられっ子のメディアくん"は今「じゃあランドセルを持ちます……」という段階に来ています。ここで「なぜランドセルを持つ」「ランドセルを持つな」というだけでは、この問題は解決しないことでしょう。


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