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ダムの底のメタバース・序文

なんとかザッカーバーグさんが「メタバースやるぞ」と宣言し、社名をフェイスブックからメタに変えたのって、昨年末くらいでしたっけ。

その直後から「FF14などのオンラインゲームもメタバースのひとつ、メタバースはすでに存在している」という意見がありましたが、近頃は「オンラインゲームはあくまでゲーム。生活感を重視した(VR)世界こそがメタバース」だとする主張が強めになっています。

後者の主張は、今何かを作っていて、そこにメタバースのラベルをつけて注目を集めたい(予算を取りたい)という意向があってのことでしょうから、まあ必死になるのも無理はありません。

でも大切なのは「人」でしょう。

特に、メタ="超越"した視点で新しい世界を見るのは「自分」です。現実の自分となにか少し切り離して考えられる世界があれば、それは自分にとっての「メタバース」と呼べますし、呼ばなくてもかまわないじゃないでしょうか。

みなさんそれぞれに、メタバースと呼んでもいいけど別に呼んではいない「気持ちの居住地」みたいなものがあると思います。

ぼくにとって、そのひとつがFF11、『ファイナルファンタジーXI』でした。

FFシリーズ初のMMORPG(=すごい大人数で冒険するジャンル)として生まれたFF11が今日5月16日、運営開始から20周年を迎えました。おめでとう! ありがとう!

ぼくが「気持ちの居住地」としてFF11の名前を挙げるのは、そこで「人」について多くのことを学ぶ貴重な経験ができたからです。そして学んだことは、その後、仕事などの人間関係にも活かせています。

20年前に生まれた「新日本社会」

FF11の世界は、後続のオンラインゲームでは決して再現できない"特殊性"を持って始まりました。

MMORPGというジャンルは『UltimaOnline』(1997年)に始まり、FF11も開発の参考とした『EverQuest』(1999年)も存在していましたが、日本人のプレイヤーはかなり少なく、また両タイトルともまだ"現役"といえる時期なのでわざわざFF11に移転してくる動機もありません。もちろんなかにはUOやEQの経験者もいましたが目立つ存在ではありませんでした。

しかも、最初にゲーム機『PlayStation2』で日本語のみのサービスが始まったことと、オンラインゲームに詳しくないFFシリーズのファンが大量に押し寄せたことにより、FF11には「ドラクエ・FFくらいは遊ぶ」という日本人カジュアルゲーマーが非常に多く存在したのです。

また、基本無料ではなく月額課金制であったため「キッズ」比率が低く、さらにメインプレイヤーは成人男性が多いものの、その家族も遊ぶ機会を得た(PCや携帯ゲーム機と違い、TVでプレイすると家族に影響を与えやすい)ことによって「やたら一般人が多い第二の日本」的な世界が創造されることになりました。

MMORPGを遊ぶための常識なんてものも知らない人たちがマジョリティですから、言うなれば「日本人が新世界に移り住んだらどうなるか」をシミュレーションしたようなかたちで、日本という国の" if "を経験できたのです。

(つづく)


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