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ピラニアは人語を解さない

「自殺の理由」ってなんでしょう?

「人生とはなんぞや」を語るのは難しいけれど、「なぜ生きていられるのか」と問われれば、未来になにか少しでも「希望」があると思えるからではないでしょうか。

希望をなくし、「絶望」に囚われたとき、人は自ら命を絶つのだと思います。

病気を苦にして。大きな借金を背負って。あるいは公衆の面前で、無数の人々に非難されて。身に覚えのない疑いをかけられて。誤解を受け、長年培ってきたものを失うなどして。

芦原妃名子さんの言葉

1月29日に遺体で発見された芦原妃名子さん。

最後の言葉はこうでした。

その2日前、『セクシー田中さん』ドラマ化をめぐる騒動を一気に過熱させたブログの最後の締めはこうでした。

素敵なドラマ作品にして頂いた、素晴らしいキャストの皆さんや、ドラマの制作スタッフの皆様と、「セクシー田中さん」の漫画とドラマを愛してくださった読者と視聴者の皆様に深く感謝いたします。

芦原妃名子 ブログ 漫画家*芦原妃名子のお仕事日記より(現在は削除)

芦原さんの死後、脚本家やTV局への「攻撃」が続いています。でも、それは芦原さんが望んだことだとは思えません。

確かに芦原さんはブログで、ドラマ化にあたっての脚本修正の苦労・不満を語っていました。しかし、自ら脚本に介入することを望み、それを実行したこともです。その苦労は想像以上で、制作サイドへの不信感を抱いたことも正直に書かれていますが、ブログは概ね「経緯の説明」に言葉を尽くしています。

そして「攻撃したかったわけじゃない」「ごめんなさい」という芦原さんの最後の言葉と、ブログ削除という行為は、自らが発した言葉のうち「攻撃」と誤解されるおそれのある部分(=脚本やTV局への不満)を指して「誤解された」ことを示している考えられます。

しかも、芦原さんは「成し遂げた」。決して、ドラマ化によって絶望の淵に立たされたわけではありません。

改編は今も続く

脚本家の相沢友子さんの場合、大舞台であるTVの仕事で脚本家を途中降板させられたことは小さくない絶望だったと考えられます。耐えられない気持ち、言いたいことのひとつやふたつ、あって当たり前でしょう。相沢さんは相沢さんなりに「事実」を語りました。それが片面的であったことは、まだこのときの彼女は知るよしもなく。

芦原さんのブログは、相沢さんの発言が話題になったあと、「この文章の内容は私達の側で起こった事実」と断りを入れて、芦原さんが知る「事実」を言葉を尽くして説明するものでした。そのなかで芦原さんは、自信が執筆した最終2話の脚本について「私の力不足」「心よりお詫び申し上げます」とお詫びの言葉も述べています。

でも。芦原さんが「言葉を尽くして伝えた」ことを、「長文のブログを投稿(反論)した」と方々で表現されてしまいました。「女同士の戦い」におけるただの1ラウンドのように扱った。いくつものメディア、多くの人々が。

ドラマ化をめぐり、芦原さんはまさにこのような「感性の違い」に苦しんだのではないでしょうか。原作はマンガであり、「なぜ、そうなのか」「作者はなぜそうしたか」がすべて言葉で書かれているわけではありません。

一方で、芦原さんがはっきりと「言葉」にしたことが無視されたのはなぜでしょう?

芦原さんはオトナだから、ドラマ制作関係者への感謝は社交辞令かもしれない。攻撃したかったわけではない、というのは言い訳かもしれない。

――そんな見立てにはなんの根拠もありません。

「死人に口なし」です。

もちろん、芦原さんがなにを理由に命を絶ったかは定かではありません。ぼくらは知る由もないプライベートな事情があったかもしれないし、様々なことの積み重ねかもしれない。でも少なくとも彼女の言葉を信じるなら、ドラマ化の経緯や結果を苦にしていたと考えるのはかなり無理があります。

ピラニアは人語を解さない

ドラマ化・脚本への介入には、苦労も悔やむところもあったけど、芦原さん自身が望んだことであり、彼女は結果を受け入れていました。ブログに書かれた彼女自身の言葉を素直に受け止めることさえできれば、それは充分にわかることです。

なのに。長い言葉も、短い言葉も伝わらない。

言葉が伝わらないことは誰にとってもつらいことですが、表現を生業とする者にすればなおさらです。

亡くなった芦原さんの味方のようでいて、実際には彼女の言葉の大切なところを無視し、彼女が望んでなどいない脚本家・TV局等への攻撃を続ける人たちがあとを絶たないのはなぜでしょう?

もちろんドラマの制作体制に問題がなかったわけではありませんし、TV局が完璧な仕事をしたなんてことはありません。改善を求めるのも、非難するのも自由です。でも、「芦原さんを死に至らしめた」として罪を重くしようとすることには多くの疑問を感じます。

芦原さんの身に起きた不幸について、「TV局が悪い」「脚本家による原作改編が悪い」というところに着地したのは、それぞれが抱いてきた日頃の想いに過ぎないのではないでしょうか。

自分の想いにだけ固執する一方で、"都合の悪い芦原さんの言葉"を捻じ曲げ、無視する姿は、彼らが批判している想像上の「邪悪な脚本家」と同じです。「原作」である芦原さんの言葉を軽視し、自らの価値観を"オリジナル脚本"として押し付けているのですから。

もし芦原さんが一命を取り留めていたら。そんなオリジナル脚本を見て彼女はどう思うでしょうか?

ネットの津波に、芦原さんの言葉はかき消されました。彼女が力を尽くして、その想いを形にできたドラマの脚本とは違って。

クチナシの花

(おわり)


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