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たいへん! パトレイバーがありません!
ここ住宅街で学校の近くなんですけど、その学校の真横に保険会社の建物がありまして、今それを解体しています。
ゆれる~ ゆれる~よ ゆれ……
朝から夕方までずっと震度1~2くらいの揺れが続きます。文章で、言う~と、こ、ん~~なか、んじ~。です。
なおタイトルの写真はちょうど1週間前のもので、現在はこう。
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これだけ!?
なんなら「2時間後くらいの写真です」と言っても通用するほどの体たらく。でも日曜以外、6日もかけてこの有り様です。
ま、住宅地なので発破みたいなことはできない制約があるんでしょうけど、高層ビルの上の方に住むだけで微妙な振動を受けて三半規管に影響するというのに、こんな揺れにずっと晒されてしまっていてはどうなってしまうのか。メンタルに不調をきたして、おかしな妄想に取りつかれでもしたら、どうしてくれるのでしょう。
例えば、今は21世紀の未来だというような。
新海誠作品を観ていた
そんな揺れる我が家の踊るモニターで、新海誠作品を観ていたんですよ。『君の名は。』と『天気の子』。声の低いおじさんの声は工事の音でかき消されてところどころ聞こえていなかったのですが、おもしろい作品だとわかりました(微妙な言い回し)。
今回は作品のレビュー記事ではないので内容はさておきですが、そんなことよりも、現代の東京の風景が気になったのです。
今回見た2作品では東京の"表側"をストレートに描いているのですが、意外とそれって珍しいことではないかなと思ったんです。こういう日本映画(ですよ)で描かれる東京と言えば、その設定自体があり得ないものになっていたり、ひたすらインドアだったり、一部のニッチな視点による"裏側"になりがちなのですが、新海作品にはそれがない。
昔ながらのTVのトレンディードラマも東京の表側を描いていましたが、まさにインドアと、建物入口前のシーンが多く、街並みはあまり映しませんでした。
これは、警察や建造物所有者への撮影許可の都合、スポンサー以外の広告が映り込むと面倒、といった事情があると思われます。そのため、実はTVや映画を通して、東京や特定の都市を広く見つめる機会は多くありませんでした。
だからこそ今、この人(新海監督)の目を通して、あるいは新海監督が想定する視聴者の視点になって東京の景色というものを見て、"東京への違和感"に気付いたのです。
なにせ新海作品はおもてなしの連続、「こういうのがお好きでしょ?」の集合によって作られているのに、そこに描かれた東京の街並みには味がない。地方を描くときにはあるものが、東京にはない。あ、これは新海監督が悪いわけではないですよ。
アニメのメインターゲットである若者にとってどう見えるかはさておき、20世紀を知っている世代からすると、ありえた未来がそこにないことを突き付けられたような気がしたのです。別にそれは「たいやのないくるま」とか「ろぼっとのともだち」とかではなく。皆がスマホを持っていることと、女の子のスカートが短いこと以外に20世紀と区別できる要素がほとんど存在しないことが、なんだか悲しいということです。
なお今回の記事はあえて「パトレイバーが」と書きましたが、もちろん本当に足りないのは人型・大型重機としての"レイバー"の方です。昔のSF作品の舞台となっていた"19XX年"などを飛び越した現代において、SFのなかの夢が実現しなかったということにはもう「なれっこ」ではあるんですけどね。
とはいえ、あの保険会社をずっと昔ながらの方法で地味~に壊したあとには、綺麗な"未来風"の建物がたつのだとしたら、それこそ20世紀的な流れだと思うのですが、今がまだ20世紀ならそれも当然なのかもしれません。
※なんだかめちゃくちゃ行間を読まないといけない記事になってしまいましった。広く評価されることを重んじて、人気にすがってお金が動く仕組みでは、結局発展はしないということです(急に難しい)。アトムやガンダムではなく、"レイバーがある世界"を作りたいという人がいないと……。