苦手チャレンジ:理解できない「芸術」を語る
しばらく忘れ気味だったんですが、わたくし今年の抱負は「苦手なことにチャレンジする」なものでして、グォーとかヌァーとか叫びたい気持ちを我慢しながら「いつもならやらないこと」にちょっと挑戦しています。ちょっとね。
今回のテーマは芸術です。
「苦手」は色々な意味を含んだ便利でありつつ誤解を招く言葉ですが、「嫌い」という意味ではなく「理解できない」というニュアンスが強めです。あ、タイトルに書いてありますか。さっそく狼狽し始めていますね。
なお広い意味で絵とか音楽とかを「芸術」と言うこともありますが、まずここから苦手。「お勉強的」でないものを「芸術科目」みたいに呼ぶせいでしょうね。お勉強的なものに対するアレルギーが人一倍強いわたくしは、反知性主義者と呼ばれても仕方ないかもしれませぬ。
こういうときは原点に回帰するのがいいでしょうから、震える手で辞書を引きます。
辞書を引いてはいけない
芸術、芸術……と、はじめに「1 学芸と技術」と書いてあります。そうなんだ!? いやー、イメージと違うなあ。
ただ、その下には「2 鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術」とあります。こっちか。
よくわからないものを辞書で引くと、余計にわからなくなることはまーまーあることですが、これはそのなかでもかなり強い方ですね。日本語の限界を感じます。
ここは英語、いやきっとフランス語あたりを当たるのがいいかな……と思って調べてみると、大元はラテン語の"ars"、"artis"から古フランス語へ変化して"art"となったようですね。
ただ"ars"の意味は「技術」らしく、ああ、やっぱり技術なんだ。そうえいえばゲームでよく使われるようになった"artisan"は「職人」でした。
でも少なくとも日本で口語的に用いられる芸術・アートは、もっと「感性」とか「魂」に寄せられていて、むしろ技術は蔑ろにするイメージなんですよね。
英語のartを経由して聞く言葉は「人造」の意味合いが強く含まれているのは知っていたのですが(例えば、人工知能=A.I.はArtificial Intelligenceの略)、こうも「技術であるぞ」と言われると、逆に日常的に感じる芸術・アートに対する苦手意識がどこから来ているのかわかった気もします。
なお高校生のときに未発売のゲームのサントラCDを予約しようとしたところ、レコード屋(あくまでレコード屋)の店員さんに「アーティスト名は?」と聞かれてしばらく固まったことがあります。あのとき感じた「来ちゃいけない場所なんだ」という気持ちは今も忘れません。
経済的に見る(ようで見ない)
論点を変えて、お金の面で見てみます。「良いものは売れる、そうでないものは売れない」というのは当然のこととしてあるわけですが、ここに大きな違和感を覚えます。
個人的な受け止め方ですが、単なる商品ではない芸術作品は、その価値を受け手が定義するものだと思っています。つまり、先に「要るだろう」と思って作られたものはその時点では芸術ではなく、結果的に「強く求められた」ものが芸術だ、と。
例えばゴッホが死後に評価されたのは、ゴッホの作品に恋をした人が現れたのが単にゴッホの死後だったというだけで、特に不思議とは思えないわけです。作品は作者の子どもである、とでも考えれば自然なことです。
そして、誰かの気持ちにより強く作用した方が、より芸術性が高い。先ほどの言い方を言い換えると、「モテるだろう」と思って作られたものは芸術ではなく、「愛された」ら芸術。という感じです。
現在のような資本主義社会では、売れるものは「要るもの」ですから、あまり「愛される」ものは作られません。「モテよう」とすることは簡単でも、「愛されよう」とするのは難しいから、というのもあると思います。
そんな世の中にあっても「愛せる」作品に出会うことはあるわけですが、その気持ちを表すと「オタク」なんて呼ばれるのは心外であり、とっても不愉快。
そして、現在のような資本主義社会は大量生産によって利益を上げる構造になっているので、まず「要るもの」として「それなりのお値段」で売られてしまいます。それでも原画が高額で取引されたり、品薄の商品が抱き合わせで販売されることもありましたが、それらの作品は「愛された」のではなく「モテた」というのが適切でしょう。
この、モテる作品に群がる人たちが「オタク」を自称するのもどうなんでしょうね。その作品に強く惹かれる「愛」のようなものを感じないことは少なくありません。
「オタク」はもともと、人付き合いが苦手でアニメ等の話題しか話せない、今でいう「コミュ障」のニュアンスが強めの明らかな「蔑称」です。それが、すぐさまアニメなどのインドア趣味全般を愛好する人たちを侮蔑することに用いられるようになったのは悲劇としか言いようがありません。
愛する人に名はない
ところで、芸術作品を生み出す側は「芸術家」と呼ばれるのに対して、芸術作品を愛する側には呼称がありません。「芸術愛好家」と呼んでもいいかもしれませんが、つまり「収集家」ですよね。ぼくは男なので男視点で言いますが、「愛する女性がいる」のと、「女好き」は違います。「芸術愛好家」には愛がなさそうです。
こうして考えてみれば、「ある作品と出会い、愛してしまった人」を示す言葉がほかにないから、「オタク」という言葉が(不運にも)そこにはまってしまったのかもしれません。ただ、「愛する人」にも呼び名はありませんから、無理に自称しなくてもいいのかなとは思いますけどね(書いてみて思ったけど、なんとなくフランスにはありそうな気もします)。
そして「モテない」ことと「愛されない」ことを混同しないことが大切かなと思います。芸術の道も、人生も、そうでもないときっと続けられませんから。