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「コタツに入ってTVで観る戦争は最高」か。(前編)

高校生のころ、良き友人のひとりが「このままじゃ戦争になる!」と真剣な面持ちで言いました。ぼくは「へえ」としか思わなかったことをよく覚えています。その後、「自分は冷たい人間なんだろうか」と悩みました。

団塊ジュニア世代のぼくが初めて知った戦争はイラン・イラク戦争でした。第二次世界大戦じゃないの? と思われるかもしれないけど、あれはぼくらの世代でもすでに昔話であり、歴史上の話なんですよ。ペロポネソス戦争と変わらない。戦争自体が昔話だというのに、いまだにイランとイラクはやっている、という認識。

1988年、それがようやく終わったというのに。1990年、イラクがクウェートへ侵攻。翌年、多国籍軍がイラクへ侵攻。関係ないのに、遠いのに、なぜかアメリカがめちゃくちゃがんばっている。世界の警察だからだと。背景なんて大して知らない高校生でさえ思う「頭おかしい」と。

高校生なりに考えて、そしてしばらくたって至った結論は、日本は敗戦を機に反省させられ、敗戦以前を過去のものにしたということ。逆に言えば敗戦しなかった国々は変わっておらず、今も19世紀かあるいはもっと昔の価値観を引き継いでいるということ。

多国籍軍によるイラク侵攻、いわゆる湾岸戦争の様子は、連日TVで放送されました。1991年1月、寒い時期。TVのコンテンツとして消費され、のちに一部で「コタツに入ってTVで観る戦争は最高だ」と言われ(揶揄され)ていたことを知りました。

冷たい帰宅部のエース(笑)であるぼくは3時に学校が終わると3時15分には自宅のコタツにいて、スーパーファミコンより前に昼3時台のワイドショーにチャンネルをあわせ、そこで流される映像を観ていました。かの有名な、ペルシャ湾で「イラクが流した」原油にまみれる水鳥の映像も。これは「はー、ひどい」と思いましたよ。実はイラクが流したのではなく、アメリカのせいだったと知ったときも。

湾岸戦争以降も、世界各地で戦争が行われ、あるいは紛争と言い方を変えていても「殺し合い」は繰り返されました。でも日本のメディアはそれらを大きく扱いません。「悲惨な出来事は受けが悪い、楽しい情報が望まれている」という言い訳の下で、楽しい番組作りが行なわれてきました。

ロシアによるウクライナ侵攻、楽しいですか?

当事者性があればTVが報じることはわかっています。実際には恐怖心を煽れば無視できないから視聴率が高くなるだけですが、とはいえ豪雨・震災などは日本国内では誰もが当事者であり、注意喚起を促すという口実があります。

湾岸戦争には当事者性がありません。だから観戦コンテンツとして、ただ消費されました。では、ウクライナ侵攻は?

ワイドショーは言います。「おとなり台湾にもし中国が侵攻したら」と。悪いけど、視聴者の当事者性はそこにありません。台湾は、他人事。香港やミャンマーと同じです。ただ「中国が憎い」という人はそれなりにいて、彼らにとって台湾を中国に取られることは「負け」になります。

日本人にとってのウクライナ侵攻の当事者性は、ほかにあります。ワイドショーによる観戦コンテンツは、それらを無視して進みます。

(つづく)


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