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トレパクの是非について考える

絵を描くときに、既存のイラストや写真をトレースする"トレパク"について考えます。

といっても"トレパク自体"を「是」か「非」か問うのは大雑把で、乱暴な話です。

また、トレパクを「是」としたい思惑がある場合に論点を「法的に許されるか」に寄せていくことがよくありますが、これはアンフェアであると同時にとても危険なことです。

基準は「法的に許されるか」より手前にある

法的に許されるか否かという論法は「法的にアウトでなければ、やってよい」という結論を導き出すために使われます。この場合の「やってよい」は「法的に裁かれはしない」ということしか意味しません。「法的にアウトでなければ法的に裁かれない」ということです。そりゃそうだ、としか言いようがありません。いわゆる「進次郎構文」というやつです。

ところがこれを誤解する人もいて、「法的にアウトでなければ、やってよい」という考え方は、法(やルール)で禁じられないことを躊躇なく行なうために利用されます。例えばハラスメントのほとんどや、ひとの信頼を失うあらゆる言動も「是」となってしまいます。

「法的」基準を拠り所にしている時点で、社会的にはかなり暗い方に進んでいることに気を付けなければいけません。

「是」となる場合と「非」となる場合を見極める

と、こんなことを言うとトレパクは「非」だと言いたいのかと思われるかもしれませんが、それは違います。冒頭で言ったようにトレパク自体の是非を問うことは乱暴です。

なぜかと言うと、トレパクには「是」となる場合と「非」となる場合があり、大雑把な議論はそれらを見極める機会を失わせるからです。

ゴールは「どうでもいい」になること

トレパクの是非を問うことを乱暴だと言う理由は、もうひとつあって、それは「どうでもよくなる」からです。

アマチュアが練習段階でトレースすることはなんの問題もなくOKだと言えるでしょう。プロの書いたイラストや、あるいは"現実"を収めた写真をもとにして、モノのかたちの理解を深め、線の引き方やバランス感覚などの技術を身につけることは悪いことではないどころか、むしろ推奨されるといっても良いくらいです。

そして、トレースを含む真似をしているうちに自然と技術は身に付き、他者の作品をそのままトレースするような必要はなくなります。だからトレースを繰り返すうちに「どうでもよくなる」のです。あくまでアマチュア時代の問題として。

逆に言えば、どんどんトレースをすることで「トレースから卒業」するのが良いとも考えられます。大した結論ではないのですが、トレース自体の是非を問うてしまうと、こういう考え方を見失いがちです。

プロは別

ただし、プロとしての活動、お金をいただく作品を作る場合は話が別。トレースしなければ作品を作れないような未熟な人がプロとして活動するのは関係者にとって迷惑です。

そもそも「憧れ産業」のひとつに分類されるイラストレーションの世界で活躍するには、運と実力の両方が必要です。実力はあっても運に恵まれず、活躍できない人は大勢います。

実力がない人の代わりはいくらでもいるですから、トレースに頼るような実力不足の描き手はプロの世界からは退場してもらってかまいません。

編集者的な立場で言えば、実力が足りてない人はトレパクでなくても、依頼とは異なるものや、急に著しくクオリティの低いものを仕上げてくることがあるので困ります。もちろんよく知らないものを描くのが難しいことはありますが、そう言ってくれれば編集者は資料を用意しますし、場合によってはテーマを変えれば済む場合もあります。

「むつかしいかも」程度のことを言えず、それでいて回避策を一方的に決めて勝手にやってしまうのはコミュニケーション能力に大きな問題があるので、非常に付き合いづらいです。大方「切られる」と思ってください。

とはいえ、永遠に業界・社会から抹殺するのは「違う」と思います。一度は退場し、他の実力をある人に席を譲る必要はあると思いますが、問題を克服して戻って来る余地は残されてほしいと思います。

チームワークの基本

では、問題とはなんでしょう?

一番の問題は「分配が正当に行われない」ことです。

イラストに限りませんが、作品を自分ひとりのみで作り上げられない場合、そこには協力者が必要で、チームで仕事をすることになります。そして、チーム全員に報酬を得る権利があります。

自分ひとりではできないことを他人の協力を得て実現した場合、協力者に賃金を支払う必要があります。これを怠ることは、協力者の報酬を勝手に奪い取ることになり「泥棒」と同じです。

お詫びをする際は、トレース元に連絡し、原稿料の一部をお支払いすると伝える必要があります。たいていは「そこまでしなくていい」と言われるでしょう。でも、それで問題はひとつの決着を見ます。「当事者間の合意」がほかの何よりも重要だからです。

法的にうんぬんという話(特にアウトではないと言い張る場合)は「合意形成をする気がない」ことを意味し、社会的にはかなり悪い態度と見なされます。もちろん法的解釈を述べることが仕事の弁護士など法律の専門家は別ですが、弁護士はジャッジする役割は負わず、一方の立場に寄り添い偏った擁護をするのが仕事なので、議論の際の参考にするのは"ほどほど"にすべきです。

まずは他の作品とその作者を尊重し、誠意をもって人に接することが大切です。ところが、そういった"社会性"に苦手意識があることを理由に「一般企業などに就職するより、個人として活動できるクリエイターになりたい」という声を聞くこともありますが、むしろ一般企業の方が"不作法"を一時的なペナルティとして消化できるぶん気軽かもしれません。もちろん気軽に"不作法"をしてしまっては、だめですけどね!

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