
3.11 都民への怨讐、悪魔の視点。
東日本大震災とそれに伴う福島第一原発事故から11年。2011年も今年も、3月11日は金曜日。2016年以来らしい。
曜日が同じだとその日の暮らしぶりも近いため、当時のことを実感を持ってよく思い出せる。
飼い猫が死んで半年。
高い家賃を払って一戸建てに住む理由を失ったぼくは、引越しを終えたばかりだった。住所移転に伴う手続きのため地元・東久留米の市役所に行くと、確定申告の時期のためずいぶんと混雑していた。
役所の職員が、申告を終えて帰る市民に「ありがとうございました」と声をかけるのを聞き、嘘ばっかりだなと思いつつ家路についた。
家に着いたのは昼2時40分すぎ。部屋着に着替えていると家がガタガタと音をたて、机の上のPCモニターがグーラ、グーラと踊り出した。慌てて手で押さえて事なきを得たけれど、ずいぶん長いことその場を動けなかった。
TVをつけると地震速報をやっていて、東北沖が震源とのこと。メディアのヘリが飛び、福島の家々を映し出す。津波に飲まれる。そして、福島第一原発事故が発生。ネットやTVを通して見たものは、たぶんみなさんと変わらない。
でも、感じたことは人それぞれだろう。
ぼくは都民への非難に嫌気がさして、SNSからは離れがちだった。「都民のための電気を福島で作っていた。事故は都民のせいだ」という怨讐の言葉は、胸にちくりと来るものはあるものの、過去も現在も1ミリたりとも原発政策を肯定する気持ちを持たず、原発推進派の政党・議員に票を投じたことなど一度もないぼくとしては、腑に落ちなかった。
都民が贅沢な暮らしをしていて、特別たくさんの電気を消費しているわけではない。企業が多いことでの電力消費が多いのと、単純に人口が多いぶんだけ電力需要が大きい。
その人口の多くは、全国から集まった人たち。ぼくは東京の生まれではあるものの、母は富山、父は神戸の出身なので、東京に集まった人たちのひとりと言える。ちくりと来るのは、そこだ。
少なくともまず、極端に人口が密集して、極端に大量の電力を消費する大都市はない方がいい。仮に原発やそのほかの有害な施設が必要だとしても、地元の住民が地元のために運用し、なにかあれば自分たちに災いが降りかかる状況に身を置く必要がある。そうでなければ原発の運用は改善されない。
単純に言えば、まず全国各地から東京へ集まってくるのをやめれば良いけれど、そうもいかない。地方には仕事がないという。東京へ、あるいは大阪なども含めた大都市へ行くしかないと。そうして少子化が進む今も、大都市は人が増えていく。
地方に仕事がないのは、そうやって若者が大都市へ行ってしまうからだ。若者が地元に残れば仕事は生じるが、去っているのでそうはいかない。皆が残るのでなければ、早く去る者が"勝ち組"になる構図。
都民に対する非難の背後にあるものは、地元を去って"都民になった者"への裏切りの指摘と言い換えられる。「地元を去ったおまえたちは豊かに暮らし、地域に残り支えている私たちがなぜリスクを負うのか」という想いが、言葉の裏にある。
この想いを当時、皆が受け止めて、そして答えを出さなければいけなかった。
福島原発事故について、よく「一歩間違えば日本が壊滅していた」と言われるが、これは誤りだ。福島第一原発2号機の格納容器のどこかに脆弱な部分があったことで逆に圧力が漏れ、圧力破壊による大爆発を免れた。また、4号機は工期の遅れで、本来ならもうないはずの水が原子炉に残っていたことでメルトダウンを免れた。つまり「二歩間違ったため、壊滅し損ねた」という悪魔の視点で語る方が適切だ。
2号機、4号機が大爆発していれば、東京を含む関東地方も避難区域に含まれ、日本は終わっていた。結果的に杜撰さによって救われたが「もし救われなかったとしたら」をもっと考える必要があった。
原発の危険性は脇に置いたとしても、一極集中はリスクだ。
近代化を目指した明治維新直後や、戦後の焼け野原からの復興を目指すときなら、一極集中には価値があった。実際、東京という効率化された大きな都市を核として日本は発展し戦後の復興を遂げてきた。
でも、ある程度発展したら次は分散が必要になる。人口密度が高すぎることは全体の人口増加の妨げになるし、他地域との経済格差が生じる要因ともなる。東京は日本が持つ潜在能力を抑えつけ、日本の発展を妨げるフタのようなものといえるかもしれない。
21世紀になる前、首都を東京からよそへと移す"遷都"がホットな話題になった時期があった。東京がアメリカでいえばニューヨークになることで、一極集中を避け、発展にもつながる希望があった(※アメリカの現在の首都はワシントン)。
でもそのとき、政治家たちは「首都を、我が地元へ」とする綱引きに終始し、話をまとめられなかった。それぞれの地域についてネガティブキャンペーンが行なわれ、地震によるリスクも指摘された。原発には甘いが、遷都には厳しかった。
その後、東京一極集中を巡る議論は"地方分権"へと姿を変え、霧散した。
もっとも、遷都を巡る議論のような機会をもって地域を安全性を評価すると「逃げ場がない」ことに気付かされる。日本全国に原発があるためだ。

福島で大事故が起きれば東京に住めなくなる……ということは、"原発から都市への距離"は北海道丸ごと1個ぶんくらい離れていないといけないことになる。
事故から11年経っても、政治的解決どころか議論も進まない。
地図を見ていると「シミュレーションゲームなら、とっくに詰んでいる」と思ってしまう。でもこれが、現実。