好きなものが流行らない! AoE編
自分は熱烈に愛しているのに、世間はそうでもないことのギャップに苦しみ自分がマイノリティであることを自覚する記事の第2弾です。前回の『ファイナルファンタジータクティクス アドバンス』(FFTA)は「私も好きです!」的な声をいただけてとても嬉しかったのですが、今回はどうでしょう。
今回とりあげるのは"AoE"こと、リアルタイムシミュレーション(RTS)の名作『Age of Empires』(エイジオブエンパイア)シリーズです。先に言っておきますと、ぼくは自慢じゃないけど"弱い"です。ヘタの横好きです。
Age of Empires
1997年にMicrosoftから第1作が発売された『Age of Empires』はRTS流行の火付け役となり、1999年発売の『Age of Empires II』や、Blizzardから発売された『StarCraft』(1998年)、『Warcraft III』(2003年)などとともに20世紀末から21世紀初頭にかけて世界的にヒットしました。世界的には。
もちろん日本でもそれなりに遊ばれはしましたし、日本製RTSが発売されたりもしました。GBAの『ナポレオン』(2001年、任天堂)とか、DSの『ファイナルファンタジーXII レヴァナントウィング』(2007年、スクエニ)、あと同じくDSの聖剣伝説の……なんだったかな。
ただ、むしろこれが諸悪の根源とでもいうのでしょうか、日本製RTSは概ね"ハズレ"で、そもそもRTSに期待しない空気ができあがってしまいます。
ヒットの時代背景
忘れてはいけないのは、(世界での)RTS流行の根底には1996年末発売の『Diablo』の存在があることです。Diablo自体はマウス操作アクションRPGという感じの作品でシミュレーションゲームではありませんが、ようやくWindowsでまともにゲームを遊べるようになってきてマウスで遊べるゲームのニーズが高まった時代に、AoEと並走する関係にありました。
よほどの作品でない限り、流行というのはなかなか単独ではなし得ず、協力者のようなものが必要です。シミュレーションゲームのような「面倒なのはキライ」という人はDiabloを遊べばよく、"派閥"のようなものによる住み分けが進むことでAoEに対する追い風になったと考えられます。ただ、AoEが受けるべき批判を受ける機会を失うことで損失になった部分もあると思われます。
AoEはRTSの始祖というわけではないのですが、完成度の高さが評価されました。ただ、1作目『I』は時代的には古代を扱ったためさほど人気は続かず、中世を扱った『II』で最高の評価を受けました。さらに続く『III』(2005年)は銃が出てくるアメリカ独立戦争前後の時代を扱い、シリーズ屈指の不人気作となっています。結局、RPGが(今より)人気だった影響もあって「みんな中世が好き」という側面があったことは無視できません。
とはいえ、もっとも高評価の『II』は"中世ブースト"だけでヒットしたわけではありません。『I』ではできないことが『II』できるようになって"進化"したのですが、その際に"システムが複雑になりはしない"というシリーズもののゲームではめったにない奇跡を見られたのです。
ちなみに近年のeスポーツブームに乗ろうと2021年に発売された『IV』は扱う時代を中世に回帰させましたが、システムは重厚長大になっており不評です。現状は、リメイクされた『II』の方がより多くの人に遊ばれているという悲しい事態になっています。
でも『III』が好き
さあ、ここからが本題です。そうは言っても世界的にはヒットしたAoEシリーズですが、残念ながらぼくが好きなのは最不評作の『III』です。いや~コテコテのマイノリティですね。
ただ、ぼくも発売当時に『III』を買うことはありませんでした。「またアメリカ独立戦争か……」と思い、避けたのです。
「また」って何? と思うかもしれませんが、ぼくは海外ドラマが好きでよく観るのですが、アメリカのドラマ(というよりアメリカ人)は独立戦争に対するノスタルジーがめちゃくちゃ強くて、あらゆるジャンルの作品でしょっちゅう独立戦争がらみの話が出てくるんです。「アラモ(砦の戦い)」と聞くとウーンとなります。
ただ、その後もさらにずっとアメリカのドラマをたくさん観てアラモアラモアラモアラモアラモと言われ続けた結果、近年ではあまり気にならなくなりましたらも。
そこでリメイクされた『Age of Empires III Definitive Edition』(AoE3DE)を購入したところ……おもしろい! 特に、ぼくがこのシリーズ、あるいはRTSについて不満に感じていた点が霧散したのです。いやあ、食わず嫌いってホントだめですね。
市長は戦争に勝てない
ところでRTSはその名のとおり"リアルタイム"に進行するので、もたもたしていてはダメです。時間が過ぎれば過ぎるほど相手が強くなるので、はやめはやめに最低限の戦力を整えて攻めていくことが勝利の秘訣です。「攻撃は最大の防御」というやつです。
でも、ぼくはこれが苦手。
『Wizardry』なら、マーフィーズゴースト(やたら高い経験値を得られる)を繰り返し倒して、あらかじめ過剰に強くなってから攻めに行きたい。AoEでも、少々壊されてもいいように同じ施設を複数作ったり、壁で囲んで町を要塞化しようとします。交戦が始まってからも兵力に困らないように資源も多めに集めたい。
こういう『シムシティ』的な街作りをしてしまうプレイヤーはどうしても"後手に回る"ので、AoEでは圧倒的弱者です。ひとりでコンピューター相手に遊ぶ際には1プレイに(無駄な)時間を要し、ネット対戦でも基本的に勝てませんし、チーム戦の仲間にも嫌われます。
ゲームなんだから「今回は負けてもいい」と思って積極的な攻勢に出ればいいだけなのですが、それができない。「負けたら時間が無駄になる」と思って準備に時間をかけ、逆に時間の浪費を確実にしてしまうのです。
そして、こういうシムシティ系プレイヤーであるぼくは「せっかく作った町なのに勝敗が決まるともう使えないのはもったいない」「せっかく作ったこの町でまた別の戦いをしたい」と考えます。
植民地の戦い
『I』『II』は大陸で繁栄した様々な文明の"近隣への領土拡大"がテーマなので、毎度の戦いは隣国に接する領土の端など自国の拠点から始まり、これを「守る」意識が強く働いていました。
ところが『III』は時代が進み、戦いの舞台は"植民地"になりました。そしてシステムに大きな変化が加わり、本国から兵や物資、あるいは新たなテクノロジーなどの"支援"が届けられるようになったのです。
これがいいんです。
本国はどこか遠くにあり、いま自分がいる戦場は守るべき土地とは違うということを意識させられます。そして「拠点を守る」「町作りをする」という意識自体が必要なくなり、目的に集中できるようになったのです。
そこでハッと気づいたのです。「これって米軍だ」と。なぜ沖縄が"ああ"なのか、我がことのように理解できました。
アメリカは、米軍は、世界最強の軍隊です。でも、それと同時に世界最大の"戦争に勝てない国"でもあります。アフガニスタンで負け、ベトナムで負け、朝鮮戦争は引き分け。戦争の勝敗なんていうものは曖昧ではあるものの、最後に勝てた相手はイラク、次に日本だと言われています。ソ連に対しては勝ったと見る向きがありましたが、姿を変えて生き残った今のロシアを見てそう思う人はいないでしょう。
もちろん、植民地を捨て石にする感覚を理解した気になって喜んでいるわけではありません。でも、これほど現代に地続きな感覚として「戦争とはなんなのか」を体感し、理解できたのは『III』のおかげです。戦争の悲惨さを語る映画や、反戦報道などにはできない"域"のものだと言えます。
垣間見える現実
なお『I』『II』は2Dグラフィックで描かれたボードゲーム的なものでしたが、『III』は3Dで描かれ、また建造物などとの縮尺が変わることで見た目のリアリティが向上しています。システム的にもテンポよく進行するようになったのでゲームとして遊びやすいのですが、そのぶん人がよく死にます。これまで、さまざまなシミュレーションゲームをプレイしてきましたが、思わず「人がすごい死ぬな……」と呟くことになったのは初めての経験でした。
以前、ランチェスターの法則の記事でも書いたように、戦争は両軍の兵力が拮抗するほど、両軍ともにたくさんの兵を消耗します。一方が圧倒的な兵力を持つことが、総合的な犠牲者の数を減らすことにつながります。
つまり、ぼくが"ヘタ"で充分な兵力を集めていないのに戦いをしかけたり、半端に防戦のための兵力を高めているから、ものすごい勢いで人が死んでいくわけです。そして近場にある資源は枯渇し、より遠いところにある資源が必要になることにつながります。現実の世界と同じです。つくづく思い知らされます。でも、なんかそれが楽しいんですよ。
ヘタなことや勝てないことを自覚させられて、何が楽しいのかと思う人もいるかもしれません。でも、これこそが勝負ごとの楽しさなんだと思います。強敵が現れ、どうしたらいいだろうと考える時間を与えられること。目の前に見えている敵軍は本当の敵ではなく、敵は自分の内側にある、とでも言うのでしょうか。AoEは、特に『III』は、ぼくにとってただのゲームではなく、"ライバル"みたいなものなのかもしれません。