見出し画像

DQXでドラクエ社会学に挑戦!?(前編)

これまでいくつか、MMORPG『FINAL FANTASY XI』(FF11)を中心にメタバースにおける社会・経済について見たり考えてきましたが、記事を書きながらつくづく思い知らされることがありました。それは「そこにたくさんの人がいて、活動していること」と「人々が意見し、改善していくこと」がとても大切だということです。

「しょせんゲームの世界の話でしょ」と思われがちな話題ではあるのですが、ゲームをプレイするもの人間、ゲーム内社会を運営するのも人間ですから、それは間違いなく人間社会の一側面だと言えます。

もちろん、なんでも変化すればいいというものではありませんが、とはいえ一方で現実社会(特に日本)は明らかに硬直しきっています。良い時代ならともかく、そうではない今は「現実の負け」を認めて、よその"活発な社会"に学ぶべきではないか、というわけです。

そして、そこで問われるのは「他の社会を見てみる」という姿勢ではないか、慣れ親しんだFF11とは別の社会も見てみなくていいはずがない、と考えて"近くて遠い別世界"である『ドラゴンクエストX』(DQX)に挑戦してみることにしたのです。なおDQXもMMORPGで、昨年8月に運営開始から10周年を迎えました。

10年のうちに膨大なデータ量に膨れ上がっているご様子。

え、「ただ新たにネトゲを始めただけの報告を、そこまで大袈裟に言うのは聞いたことない」ですって? でも、このnoteはそういう場所なのです。

ドラクエ社会は保守的?

ところでパッケージを購入してDQXを始めたのはつい先日のことですが、実は10年前のサービス開始当初からDQXの情報は気にかけるようにしていました。当時はオンラインRPG運営ツール『タクティクスタディオン』の開発中だったため「参考に」と思い、DQXプレイヤーのプレイ動画を観たり、ブログを読んだり、運営による生配信を観たりしていたのです。

ただ、正直言って当時のDQXの印象はよくありませんでした。

気になったのはゲームの内容的な良し悪しではなく、ファン層が"変化を嫌う"保守的な側面です。公式ユーザーフォーラム『提案広場』でも「こんなのドラクエじゃない」的な意見が寄せられ、また開発者もそういった保守的なユーザーを"想定客層"として念頭に置き、過剰に脅えているように見えたのです。

初期の提案広場はそれなりに"荒れた"こともあって、中国の天安門広場になぞらえて「提案門広場」と呼ばれていたのが印象的でした。ただこの呼び名は、"言い得て妙"だと思います。

いわゆるネトウヨ的なネット言論空間では、中国共産党による政治は「一方的支配」による「服従の対象」として例に挙げられますが、実際には意外と柔軟です。例えば先日も、中国政府による強烈なゼロコロナ政策の継続で市民生活がめちゃくちゃになると、市民は抗議の声をあげ、そして政府はゼロコロナ政策をとりやめました。少なくとも、日本よりは柔軟です。

もちろん中国共産党の基本的な姿勢は政権への批判を許さず、表だって政権を批判した人物は突然行方不明になってあとで川に浮かんでいるところを発見されたりもしますが、それでも市民は声をあげることがあります。過剰なゼロコロナ政策は命にかかわる側面があったとはいえ、市民が皆命がけで訴えたというほどのことでもありません。

非民主主義、社会主義の国では個人は尊重されず、権力者には決して逆らえない――というイメージで中国の政治を語る人がいますが、それは社会制度をかなり誤解しています。特に、民主主義ではないことと全体主義や一党独裁は別モノです。

中国は中国共産党による独裁体制ですから政権転覆につながる言動を決して許しませんが、とはいえ「政府とは市民を代表するもの」という意識は、日本よりも強くあると言えます。中国の市民は「政権批判と政策批判の違い」をわかっているから、声をあげられるのです。その違いがわからないと「なぜあの独裁政府を相手に声をあげられるんだ」と不思議に思ってしまいます。

しかしいくら独裁政党であっても、市民に支持されなければ有能とはみなされず、党内力学によって失脚させられることもありますし、暴動にでもなれば外国勢力に介入の隙を与えて革命への道を開くことになりかねませんから、意外とマジメに政治をやるしかないのです。そういえばロシアによるウクライナ侵攻から今日でちょうど1年になりますが、ウクライナの東部2州で続いていた内戦(東部紛争)によってロシアの介入を許した結果とも言えます。

なお、有名無実だとは言われますが中国にも一応選挙はあります。一方、FF11やDQXなどのMMORPGには選挙権もなければ市民権もありません。次期ディレクターを投票で選ぶことくらいできてもいいんじゃないかと思いますが、できないものはできません。まったく、民主主義ではないのです。

しかし民主主義でなくても、政治家にもMMORPGの運営者にもそれぞれ事情があり、結果的に「良き統治」を行なうことは皆の利益になります。大切なのは、まずはどんな立場の人にもそれぞれの都合があることを思いやり、理解することではないでしょうか。本当に悪いヤツもいないわけではありませんが「疑心暗鬼」を抱えていたのでは物事はうまくいきません。

そもそもMMORPGをプレイするうえで、他のプレイヤーの事情や都合を考えられることは一、二を争う重要事項です。それができない人は早々に去って行く運命にあり、結果的にMMORPGは成熟した社会を形成しやすいと見ることもできます。

10年続いてきたDQXの社会にはいったい何が待ち受けているのでしょうか。次回、後編では初心者としてすぐに気付いたいくつかのことについて言葉にしてみたいと思います。

(つづく)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集