UFCとは何か? 第一回 「introduction UFCの起源」
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現在、数ある総合格闘技(MMA)団体のなかでも、最高峰といえる存在がUltimate Fighting Championship(UFC)だ。本国アメリカでは既に競技規模、ビジネス規模ともにボクシングに並ぶ存在と言われている。しかしMMAの歴史を振り返れば、その源には日本がある。大会としてUFCのあり方に大きなヒントを与えたPRIDEはもちろん、MMAという競技自体が日本発であるのはよく知られるところだ。
そこで本連載ではベテラン格闘技ライターであり、WOWOWで放送中の「UFC -究極格闘技-」で解説を務めている稲垣 收氏に、改めてUFCが如何にしてメジャー・スポーツとして今日の成功を築き上げたのかを語って頂く。
競技の骨組みとなるルール、選手の育成、ランキングはもちろん、大会運営やビジネス展開など如何にして今日の「UFCが出来上がったのか」そして、「なにが日本とは違ったのか?」を解き明かしていきたい。
世界一の“総合格闘技”大会―― UFCとは何か?
The Root of UFC ―― The World Biggest MMA Event
第一回 「introduction UFCの起源」
著●稲垣 收(フリー・ジャーナリスト/WOWOW UFC解説者)
「何でもあり」の最も実戦に近い格闘技
「総合格闘技」ということばをご存じだろうか?
パンチ、キック、ヒザ蹴りなどの“打撃”と、投げ、タックルなど相手を“倒す”技、そして絞め技や関節技など主に寝ワザ状態で相手を“極(き)める”技――つまり「打」「倒(投)」「極」のすべてが許された格闘技だ。
武器を使ったり、噛みついたり、目つぶしをしたり、金的を攻撃したりといった行為以外は、ほぼ「何でもあり」で、最も実戦に近い格闘技が総合格闘技である。
「ルールのあるケンカ」と言ってもいいかもしれない。
だから、この格闘技の大会が始まった当初、ブラジルでは「ヴァーリ・トゥード」(Vale Tudo、ポルトガル語で「すべて有効」=「何でもあり」、略称VT)、アメリカでは「ノー・ホールズ・バード」(No Holds Barred、英語で「禁じ手なし」、略称NHB)と呼ばれた。
その後、よりルールが洗練されてスポーツライクになり、今日アメリカをはじめ英語圏では「ミックスト・マーシャル・アーツ」(Mixed Martial Arts、略称MMA)と呼ばれるのが一般的になった。日本では「総合格闘技」という名称が用いられている。
日本では、かつてフジテレビでPRIDEが放送されて一大格闘技ブームを巻き起こし、大晦日には地上波3局が競って総合格闘技イベントを放送したこともある。
世界十数ヵ国で開催されるUFC
その総合格闘技中でも、世界一の大会がUFCなのだ。
UFCとはUltimate Fighting Championship、すなわち「究極の格闘王決定戦」である。
1993年に米コロラド州デンバーで第1回大会が開催され、現在はラスベガスを本拠地とする。
だがUFCはラスベガスのみならず全米各地やイギリス、アイルランド、カナダ、ドイツ、スウェーデン、ポーランド、ブラジル、メキシコ、UAE(アラブ首長国連邦)、オーストラリア、中国、フィリピン、シンガポール、韓国でも大会を開催している。
そして日本でも、ここ4年間は年に1回、さいたまスーパーアリーナで日本大会を行なっている。
かつてPRIDEが拠点とし“格闘技の聖地”と呼ばれた会場で、だ。
UFCは2007年にPRIDEを買収し、名実ともに世界一の総合格闘技団体となったのだ。
今年(2015年)9月27日に行なわれたUFC Japan 2015には1万人を超える観客が集まり、大のUFCファンとして知られる“国民的スター”福山雅治氏がゲスト解説者として実況に参加(2年ぶり3度目)したし、会場には『陰陽師』などのベストセラーがある作家・夢枕獏氏も観戦に駆けつけた。
さらに、やはり大のUFCファンの巨人軍マイコラス投手の妻、ローレン・マイコラスさんがラウンド・ガールをつとめて花を添えた。
米国の格闘技メディア「ブラディ・エルボー」によれば、UFCの2014年の年間売り上げは、5億2200万ドル(約626億4000万円)。専属契約を結んでいる選手は、550名以上にのぼる(2015年12月2日の時点で591名)。文字通り世界一の格闘技団体と言っていいだろう。
だが、総合格闘技のルーツは、実は、もともと日本にあったのだ。
元プロレスラーの初代タイガーマスクこと佐山聡が新日本プロレスを退社後、タイガージムを設立し、修斗(当初は「シューティング」と呼ばれた)という競技を確立、89年5月には、第1回プロ大会を開いているのである。
その後、プロレス団体UWF系列のリングスやパンクラス、UWFインターナショナルが生まれ、さらに97年に生まれたPRIDEは、2000年代前半に一大ブームを巻き起こした。
現在のUFCを運営するズッファ社のデイナ・ホワイト社長やロレンゾ・ファテイータ会長も、日本でPRIDEの大会を見て感動し、当時の運営母体だったSEG社からUFCを買い取ることを決意したのだ。
本家本元の日本では、一時、格闘技ブームは去ったかに見えたが、昨年末には、元PRIDEのスタッフがRIZINを立ち上げ、さいたまスーパーアリーナで開催、フジテレビで放送され、まずまずの視聴率を獲得した。これから格闘技ブームの再燃が期待されるところだ。
一方UFCは、1993年の第1回大会から約 20年かけてメジャー・スポーツの仲間入りをし、今まさに、この上ない隆盛を迎えている。
この連載では、その秘密を探っていきたいと思う。
主要大会は「ナンバー大会」
まず第1回目の今回は、UFCのビジネスとしての構造から説明していこう。
先ほど紹介した、UFC JAPANには1万人超の観客を集めたと書いたが、この大会は、UFCの主要大会である「ナンバー大会」ではない。
ナンバー大会とは、UFC192のように、大会名に通しナンバーが付くものだ。
93年11月にデンバーで開催されたUFC1以来、主要大会には、何度目の大会かわかるよう、通し番号が付いているのだ。
無名で最軽量のホイス・グレイシーが優勝し
「グレイシー柔術」の名が世界にとどろいた第1回UFC
第1回大会には、筆者も現地取材に行った。
「デンバーで世界最強の格闘技は何かを決めるケンカ大会が行なわれる。極真空手出身のジェラルド・ゴルドー、パンクラスのケン・シャムロックらが出場する」
と聞いて、これは取材しないわけにはいかない、と思ったのだ。
1993年、“UFC1” 歴史はここから始まった。 撮影・稲垣收
標高が1マイル(約 1600メートル)ほどもあるため、「マイル・ハイ・シティー」と呼ばれるデンバーの、普段はアイスホッケーやバスケットボールの試合に使われるマクニコルズ・アリーナで開催されたこの大会では、
「体重無差別、グローブの着用も不要、噛みつき、目つぶし以外、頭突きもOK、判定決着なしで、どちらかが失神するかギブアップするまで戦う」
という、まさに「ケンカルール」が採用され、八角形の金網に囲まれた試合場の中で、まるで果し合いのような戦いが次々に行なわれた。
1万7000人を収容可能なこのアリーナに集まった観客は、その半分に満たない7800人。
「本物のケンカが見たい」
という荒くれ者が多く、酒に酔って客同士で殴り合いを始める者までいる始末だった。そうした殺伐たる雰囲気の中で、試合は行なわれた。
現在のスポーツライクで、エンターテインメントとしても完成された華々しいUFCの大会とは全く別物だった。
この大会のトーナメント参加したのは8人。
日本のプロレス団体UWF、藤原組で活躍し、当時旗揚げしたばかりのパンクラスで連勝中のケン・ウェイン・シャムロック。
196㎝という長身で、極真空手をバックグラウンドとする「オランダの死神」ジェラルド・ゴルドー。
ボクシングの南北米大陸ライトヘビー級王者アート・ジマーソン。
体重190㎏のハワイの相撲取りテイラ・トゥリ。
地元デンバーのキックボクサーで、同年4月に同じマクニコルズ・アリーナで行なわれた円心空手(極真空手から分派した流派)の大会のヘビー級で優勝した「ケンカ屋」パトリック・スミス。
身長193㎝、体重120㎏のキックボクシング・スーパーヘビー級王者ケヴィン・ローズィヤー。
アメリカン・ケンポー・カラテ黒帯のジーン・フレイジャー。
そして体重が80㎏足らずで、出場全選手中、最軽量のブラジル人、ホイス・グレイシー。
衝撃的な登場を果たした、ホイス・グレイシー。格闘技の潮流がここから変わった。 撮影・稲垣收
筆者は大会直前に配られた資料で各選手のバックグラウンドや意気込みを読んだが、このホイスという当時まったく無名だった若者のコメントを、今でもはっきりと覚えている。
「チョークをかければ、身長差も体重差も何の問題もない」
というものだったからだ。
“本当にそんなにうまくいくだろうか?” というのが、そのときの筆者の正直な感想だ。日本でも有名なゴルドーか、シャムロックの優勝を予想していたのだ。
マンガとアニメの『空手バカ一代』を見て育っただけに、極真空手幻想は大きかったし、ゴルドーは出場選手中、最も長身だ。
一方、ケン・シャムロックは同年9月に旗揚げしたばかりのパンクラスで、エース格の船木誠勝(ふなき まさかつ)に一本勝ちし、その後も高橋義生(たかはし よしき)、冨宅祐輔(ふけ ゆうすけ)に一本勝ちして3連勝していたのだ。
しかし、このトーナメントで、ボクシング王者ジマーソンと「死神」ゴルドー、シャムロックを次々に一本勝ちで降して優勝したのが、出場者中、まったく無名のホイスだった。
このホイス・グレイシーが使ったのが、グレイシー柔術と呼ばれる、寝ワザを中心とした格闘術であり、ホイスがこの「アルティメット大会」(*1)の第2回、第4回でも優勝したことで、世界中から注目され、柔術の技術が世界に広まることとなったのである……。
*1 アルティメット大会……当時の日本のメディアはこの大会を「UFC」とは呼ばず、「アルティメット大会」もしくは単に「アルティメット」と呼んだ。
さて、話を現在に戻そう。
UFC Japan 2015の翌週、10月3日にテキサス州ヒューストンで開催されたUFC192では、ライトヘビー級王者ダニエル・コーミエが防衛戦を行ない、1万4622人の観客を動員した。
チケット収入は185万9000ドル(約2億2000万円)だという。
そして11月15日にオーストラリアのメルボルンで開催されたUFC193は、メインで女子バンタム級王者ロンダ・ラウジーの防衛戦、セミでは女子ストロー級王者ヨアンナ・イェンジェイチックの防衛戦と、メイン、セミともに女子の試合であるにもかかわらず、前売券が発売直後に売り切れ、5万6214人というUFC史上最大の観客を動員し、それまでの最高動員記録だったUFC129(*2)の5万5724人を凌駕した。
この大会のチケット収入は680万米ドル(約8億1600万円)という巨額になったが、UFCの収益は、チケット収入だけではない。
*2 2012年にカナダ、トロントのロジャーズ・センターで開催、メインはウェルター級王者ジョルジュ・サン・ピエール(GSP)vsジェイク・シールズ。
UFCの収入の大部分は、
ゲート収入でなく“ペイ・パー・ビュー”売り上げ
アメリカではペイ・パー・ビュー(pay-per-view、以下PPV)という方式で、1つのイベントごとにお金を払ってテレビ番組を見る、という方式が定着している。ボクシングのビッグマッチや、UFCのナンバー大会のメインカード(通常5~7試合)は、アメリカでは、この形式で視聴されている。
ボクシングの場合、1回約50ドル~70ドルを支払って視聴する場合が多い。
アメリカでのPPVの歴史は古く、ボクシングで最初にPPVで放送されたのが、1975年9月のモハメッド・アリvsジョー・フレイジャーの3度目の対戦――フィリピンの首都で行なわれ、“スリラー・イン・マニラ”と名付けられた大会である。
そこからPPVの需要はどんどん増大していき、88年6月のマイク・タイソンvsマイケル・スピンクスは、70万件のPPV契約数を記録した。そして、過去最高のPPV契約件数は、2015年5月2日に行なわれたフロイド・メイウェザーvsマニー・パッキャオ戦だ。
世界中のボクシングファンが長年待ち望んだ“世紀の一戦”は、PPV視聴料が標準画質で約90ドル、ハイビジョンで約100ドルと高額だったにもかかわらず、契約件数は440万件にも上った。その結果、PPV売り上げだけで4億1000万ドル(約490億円)という天文学的数字を叩き出し、総興行収入は600億円を超えた。
両選手のファイトマネーも合わせて360億円という史上最高額になったのだが、総興行収入の内、ゲート収入(入場チケットによる収入)は約86億円で、全体の7分の1程度にすぎない。つまりPPV収入が、総興行収入の約8割を占めているのだ。
同様にUFCでも、PPVによる売り上げは非常に大きい。
ロンダ・ラウジーが前々回出場した8月1日のUFC190(ブラジルで、地元のベチ・コヘイアを相手に6度目の防衛に成功)のPPV契約件数は90万件で、9月12日に行なわれたメイウェザーのラストマッチ(vsアンドレ・ベルト)の55万件を大きく上回っている。
UFCの過去最高のPPV契約件数はUFC100で、メインにブロック・レスナーvsフランク・ミアのヘビー級王座統一戦、セミにGSP vsチアゴ・アウヴェスのウェルター級王座戦を据え、 160万件のPPV契約を獲得した。(ちなみにこの大会では元HERO’S王者の“反骨の柔道王”秋山成勲がUFCデビューし、アラン・ベルチャーに勝利して大会ベスト・ファイト賞を獲得した)
UFCは一大会でのPPV契約件数が100万件を超えた大会がこれまでに9度もあり、06年には、UFCの年間PPV契約件数は525万件を記録、ボクシングのPPVの老舗であるHBOの370万件を大きく凌駕した。
第1回UFCPPV契約件数がわずか8万6000件だったことを考えると、とても同じ大会とは思えない。
現在UFCは、PPVで多くの契約件数を獲得できる人気選手には、PPV収益の何パーセントかが、ファイトマネー以外に払われているが、その金額はあまり公表されていない。
世界150ヵ国、22の言語で放送
こうしたPPV売り上げに加えて、UFCは世界各国のテレビ局と放送契約を結び、そこから得られる放映権料も大きなものになる。全世界でなんと150ヵ国、22もの異なる言語で放送されているのだ。
日本では、WOWOWでナンバー大会と、それに次ぐ規模のUFC on Foxという大会を放送している。(ちなみにWOWOWは月額税込み2484円でUFCのみならず、パッキャオやゴロフキンなどのボクシングの世界タイトル戦がほぼ毎週見られ、映画、音楽ライブ、ドラマなども見られるので、アメリカでのPPVよりもかなり、おトクだと言えるだろう)
米では4大ネットワークの1つで無料放送も
UFCはPPVだけではなく無料放送も行っている。
2011年11月に、米4大ネットワークの1つのFoxテレビと契約を結び、ナンバー大会と同等規模の大会UFC on Foxを、年に4大会開催し、Foxで無料放送している。
その記念すべき第1回となった2011年11月12日のUFC on Fox: Velasquez vs Dos Santosのメインは、ヘビー級王者ケイン・ベラスケスを挑戦者ジュニオール・ドス・サントスがオーバーハンド・パンチにより一撃KOして王座を奪取した試合だったが、平均視聴者数が570万人、メインの時の最高視聴者数は880万人に達した。
こうした無料で見られる地上波放送が、UFCの新規ファン獲得に大きな役割を担っている。
有料のPPV放送だけでは、新しいファンを獲得するのが難しいからだ。
内容もよくわからない大会に対して、いきなり高額な視聴料を払って見ようという人は、PPV文化が発達しているアメリカでも、それほど多くないのだ。
このほかにも、UFC Fight Nightと呼ばれる、ナンバー大会やon Fox大会よりも、やや小規模な大会をFox系列のケーブル局、Fox Sports 1やFox Sport2で無料放送し、新規ファン層の開拓にも力を入れている。
また、ナンバー大会でも、アンダーカードについては、やはりFox Sports1などで放送している。
莫大なスポンサー収入
こうしたテレビの放映権料のほか、スポンサー収入もある。
UFCにはさまざまなスポンサーがついているが、2015年7月にリーボックと6年間のスポンサー契約を結んだ。契約料は6年で7000万ドル(約84億円)にも上るという。
これにより、選手たちは試合への入場時と試合後に、リーボック製のユニフォームを着ることになった。
それ以外に、Tシャツやキャップなどグッズの売り上げもあるし、インターネットでUFCの過去の試合映像や、UFCが買収したPRIDEやストライクフォースなどの過去の試合映像を見られるUFC Fight Pass(月額視聴料が約10ドル)の収入もある。
600人を超える所属選手が生き残りを賭けて戦う
UFCには、男子がフライ級からヘビー級まで8階級、女子がストロー級とバンタム級の2階級あり、契約選手は現在600名を超える(2016年1月24日の時点で618名)。
世界中の総合格闘家がUFC出場を目指して戦っているので、現在UFCと契約している選手も、連敗するとすぐにリリース(=契約解除)されてしまう場合が多い。
2連敗がひとつの基準だ。
ただ、仮に連敗しても、相手がチャンピオン・クラスの強豪だった場合は、通常、すぐにはリリースされない。
また、そこまで有名ではない相手に負けても、名勝負をした場合は、生き残れる。
たとえば、秋山成勲は2009年7月からUFCに参戦し、初戦は勝利したが、その後4連敗してしまった。しかし、UFCデビュー戦から3試合連続で大会ベスト・ファイト賞を獲得する名勝負を続けていたので、4連敗でもリリースされることなく、2014年9月の日本大会に出場し、アミール・サドラーに勝利した。
逆に、勝っても判定勝ちが多く、試合内容にも面白みがなく、PPV売り上げに貢献できない選手の場合、ひどい負け方をした場合は、連敗でなくただ1度だけの敗戦でリリースされることもある。
2013年2月のUFC156で、元柔術世界王者のデミアン・マイアに判定負けしてリリースされたジョン・フィッチがそうだ。2005年10月から8年間もUFCで戦い続け、UFCで14勝3敗1分けという立派な戦績で、タイトル挑戦経験もあるベテラン選手なのだが……。判定決着が非常に多かったのが、難点だった。
世界最高峰の格闘技団体だけに、UFCで生き残っていくには、かなり過酷な生存競争を勝ち抜かねばならないのである
勝利ボーナスと名勝負ボーナスは選手にとって魅力
そういう厳しい世界ではあるが、選手のやる気を出させるファイトマネー・システムがある。
それは勝利ボーナスだ。
たとえば、UFCに出たばかりで、まだそれほど知名度のない選手の場合、ファイトマネーが6000ドル(約70万円)くらいだが、勝てばファイトマネーと同額の「勝利ボーナス」をもらえるので、合計1万2000ドル(約140万円)を手にすることができる。
そして勝ち続けると、この基本のファイトマネーも上がり、当然、勝利ボーナスも上がっていく。
それに加えて、“名勝負ボーナス”もある。
大会ベスト・ファイト賞(Fight of the night)は、その大会で最も名勝負だった試合の勝者と敗者に贈られる。
そして、大会ベスト・パフォーマンス賞(Performance of the night)はその大会で最も優れたKO勝ち、または一本勝ちをした選手2名に贈られるのだ。
この名勝負ボーナスは1人5万ドルの場合が多いが、UFC100では10万ドルずつが贈られたし、他にも7万5000ドルが贈られたケースもあり、大会の規模、売上によって多少変わることがある。
いずれにせよ、5万ドル(約600万円)をファイトマネー以外にもらえるとなれば、選手たちも「是が非でも名勝負をしよう」とか、「最高のKO勝ち、最高の一本勝ちをしよう」と燃えるから、素晴らしい試合が生み出されるもとになる。
次回予告 UFCが経験した冬の時代――
34億の大赤字から、いかに立ち直ったのか?
今回は、現在のUFCの大成功ぶりについて主に書いたが、実はUFCにも不遇の時代があった。
大のボクシング・ファンであるジョン・マケイン上院議員(後の大統領候補)らから「危険で野蛮な大会だ」とバッシングされて、田舎町でしか大会が開けず、ドサ回りを続けた時代もあったのだ。
そして、現在のUFC運営母体、ズッファ社がUFCを2000年に買い取って新体制をスタートしてからも、最初の5年間は大赤字だった。赤字金額は2014年までに34000万ドル(35億円以上)にも達していた。
起死回生を目指して、彼らが取った秘策とは?
次回はそのあたりのことを書こうと思う。
(第一回目 了)
--Profile--
UFC190の生中継後、WOWOWのスタジオにて高阪剛選手と。
稲垣 收(Shu Inagaki)
慶応大学仏文科卒。月刊『イングリッシュ・ジャーナル』副編集長を経て、1989年よりフリー・ジャーナリスト、翻訳家。ソ連クーデターやユーゴ内戦など激変地を取材し、週刊誌・新聞に執筆。グルジア(現ジョージア)内戦などのTVドキュメンタリーも制作。1990年頃からキックボクシングをはじめ、格闘技取材も開始。空手や合気道、総合格闘技、ボクシングも経験。ゴング格闘技、格闘技通信、Kamiproなど専門誌やヤングジャンプ、週刊プレイボーイ等に執筆。UFCは第1回から取材し、ホイス・ グレイシーやシャムロック兄弟、GSPらUFC歴代王者や名選手を取材。また、ヒクソン・グレイシーやヒョードル、ピーター・アーツなどPRIDE、K-1、リングスの選手にも何度もインタビュー。井岡一翔らボクサーも取材。
【TV】
WOWOWでリングスのゲスト・コメンテーター、リポーターを務めた後、2004年より、WOWOWのUFC放送でレギュラー解説者。また、マイク・タイソン特番、オスカー・デ・ラ・ホーヤ特番等の字幕翻訳も。『UFC登竜門TUF』では、シーズン9~18にかけて10シーズン100話以上の吹き替え翻訳の監修も務めた。
【編著書】
『極真ヘビー級世界王者フィリオのすべて』(アスペクト)
『稲垣收の闘魂イングリッシュ』(Jリサーチ出版)
『男と女のLOVE×LOVE英会話』(Jリサーチ出版)
『闘う英語』(エクスナレッジ)
【訳書】
『KGB格闘マニュアル』(並木書房)
『アウト・オブ・USSR』(小学館。『空手バカ一代』の登場人物“NYの顔役クレイジー・ジャック”のモデル、 ジャック・サンダレスクの自伝))