蜘蛛の糸は1本だけではない6月3日
ほとんどのことは過去の焼き直しなのだ。
例えば最近のメタバースなんて言葉も過去に似たような話はあったのだ。
それでもそういう事をネタにして儲けている人はあらゆる世界にいる。
新しいはやり言葉には乗るべきなのだ。
人間は新しいもの好きなのである。
なんか新しいものがあるんじゃないかなと群がっている人達が多い、恥も外部もないのだ、
これはビジネスの世界に生きていく以上当然の性なのだ。
つべこべ言わずに捕まらなくてはいけないのだ。
というのはそれは捕まってみなければわからないのだから
だから会社の中でならば別動隊を導入して何とか掴まれないか、挑戦する為に送り込まれる人達は必ず必要なのだ。
これは芥川龍之介の蜘蛛の糸のような危うい挑戦かもしれない、強い強いロープではないかもしれない、やってみなければわからないのだ。
弱い蜘蛛の糸ならば、たくさんの人が群がれば、先に上がった誰かがお前ら来るなとか言い出して無用な消耗戦が繰り広げられて途中からぷっつり切れてしまうだ。
ただ、勘違いしちゃダメだ、こうしたチャンスはいくらでもあるのだ。
決して1回だけではないのだ。
でも、多くの人間はそれ1回だけだと思って、それがぷっつりと切れてしまえば、もうダメだと思って、諦めてしまうのが多くの悲しい人間性なのだ。
また、何度も失敗しても、チャレンジを繰り返す人間をカッコ悪いとか思っている軟弱な人間も多い。
何度失敗しても天国に上がれば成功者だ。
お釈迦様がいるところに行きたいのでどうしたら行けるのだろうか、つべこべ考えていないで、恥も外聞も捨ててチャンスに捕まるんだ。
絶対に天国に行ける、そんな道があるわけではない。
何度でも何度でも、同じ間違いをして悲しい思い、苦しい思いをたくさんして、自分だけの世界を見つけなきゃ駄目なんだ。
そのことに気づいて、チャンスに挑戦し続けた人がお釈迦様のいるところに行ける。
蜘蛛の糸は、そのことを教えてくれてるんだ。
自分だけが助かりたいとか思っちゃダメとか、それは表向きの話だ。
みんなが行くところに行っちゃくもの糸は切れる、いやいや、切れない丈夫なロープもあるんだよ。
あなたのためのチャンスが必ず用意されている。
どこかに必ず用意されているんだ。
それを見つけるまで挑戦し続けた人が天国に行けるんだ。
安心しなさい、まだまだチャンスはあるから。
最初に当たりくじを引く人もあれば百回目にあたくじを引く人もある。
もし蜘蛛の糸に続編があるとすれば、
百本目の糸でようやく天国に上がることができたカンダタは散々色々経験したので立派な人格者になっていましたのでお釈迦様もたいそうお喜びになったのでございます