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自分がどこの国の人間かは、国や政府が決めるのではなく、どこで生まれたかでもなく、親が決めるのでもなく、自分自身が自分が何人だと自覚することで決まる。
もう何十年も前のことだった。
あるアメリカ人の男性が亡くなった。
名前は、たしかマイクルだったと思う。
元々、彼は日本がアメリカ軍に占領されていた頃に
来たMP(占領軍)の一人だった。
元軍人には、とても思えないほど優しい人だった。
マイクルの日課は近所の墓地に埋葬されている
奥さんの墓参りから始まった。
奥さんはハナコさんと言ったように思う。
マイクルは毎朝、
「おはよう、ハナコ」
と一言二言話しかけてから仕事に出かけた。
マイクルはYMCA系の外国語学校の先生をしていたらしい。
ハナコとマイクルが出会ったのは、京都市内のバーだった。
バーで働いていたハナコにマイクルは声をかけた。
占領時の日本は、大変貧しくハナコのように米軍人相手に
”商売”をしている女性も珍しくはなかった。
マイクルは、当然のごとく、遊びのつもりだった。
相手にした日本女性も十指に余った。
マイクルの常套手段は、結婚をエサにすることだった。
戦争花嫁という言葉も流行った頃だから
こんな手段を使ったのもマイクルだけではなかったろう。
「ニューヨークで暮らそう・・・アメリカには
ディズニーランドがあって、日本では映画でしか
見れないミッキーやドナルドダックに会える・・」
そう言うと、当時の日本人女性は簡単にひっかかった。
たぶん、お金持ちと思ったのかもしれないし、
それよりなによりマイクルは、当時、日本でも大人気だった
西部劇のジョン・ウエインそっくりだった。
そんなプレーボーイのマイクルでも、ハナコは少し勝手が違った。
「私は、そんな安い女じゃないわ・・
私は日本人・・あなたと結婚してもいいけど・・・私が先に死んだら
日本に帰して。日本の私の実家のお墓に埋めて」
と、屈託のない笑顔で言うハナコに、マイクルは本気で惚れてしまった。
当時の日本人ではっきりと
「私は日本人」
と言える女性はほとんどいなかった。
みんな敗戦のショックで自信を失っていた。
でも、ハナコは違った。
「私は日本人」
結婚してニューヨークで暮らしているときも、ハナコは
どこでも誰にでもはっきり言った。
ハナコとマイクルが結婚してから1年後、
二人の最愛の息子ジョンが生まれた。
名付け親はハナコ。
もちろん、最愛の夫マイクルそっくりの
ジョン・ウエインにちなんでつけたのだ。
ジョンが15歳の時だから、
二人が結婚して16年後だった。
ハナコは急な病で倒れた。
「ハナコ!」
「マミー!」
マイクルとジョンの必死の呼びかけにも関わらず、
ハナコは眠るように息を引き取った。
マイクルは約束通りジョンとともにハナコの遺骨を胸に
ハナコの生まれ故郷日本に戻ってきた。
「お母さんが大好きだったジョン・ウエインのように
牧場をやりたいんだ」
そう言い残してジョンは成人すると
アメリカに戻って行った。
マイクルは一人残った。
亡くなる数年前、マイクルは日本に帰化した。
20年前、マイクルが倒れたとき、
カリフォルニアで牧場主になっていたジョンが
奥さんやマイクルの孫たちとともに駆けつけた。
「パパ、牛300頭だぞ・・牧場のまわりは
とうもろこし畑だ。みんな、俺がやったんだ。
一度見に来てくれよ。パパ!」
そう話しかけるジョンと家族たちが見守る中、
マイクルは静かに目を閉じた。
最後の言葉は
「私は日本人」
しっかりした日本語だった・・・