ドイツ人捕虜の命をつないだ収容所のオーケストラ
第一次世界大戦の時、日本とドイツは敵対関係にあった。そんな中、先勝国に
なった日本には、多くのドイツ人捕虜が連れてこられた。蒲田は、捕虜収容所
の所長だった。蒲田は、捕虜たちを、無事に本国に帰してやるのが自分の役目
と秘かに思っていた。しかし、そんなことは、一切口に出すわけにはいかない。
一つ間違えば、逆に自分たちが捕虜になったかもしれないからだ。戦争という
ものは、勝てば天国負ければ地獄は誰もが肝に銘じていたことだからだ。
決して衛生的とは言えない独房。粗末な食事。一人、また一人と病魔に犯され
倒れ命を絶って行く捕虜たち。
「彼らを何とか救う方法はないか」
蒲田は、一人悩んでいた。ある日、所長室でラジオを聴いていた蒲田のところ
に、新しい捕虜がやってきた。通訳を通じて、経歴を尋問していると、蒲田は、
あることに気づいた。新しい捕虜は、心なしか首を小刻みに動かしているでは
ないか。どうしたことかと思った蒲田にラジオからクラッシックが聴こえてき
た。
「そうか、彼は、音楽が好きなのか」
蒲田は、それとなしに彼に尋ねた
「音楽は好きかね?」
彼は、ニッコリとして、
「ドイツ人は、音楽大好きです」
と答えた。この話を聞いた蒲田は、収容所の官吏たちに、楽器を集めるように
指示した。これは、蒲田のヒラメキだった。音楽が彼らの命をつなぐかもしれ
ない・・・
蒲田のヒラメキは、当たった。捕虜たちは、粗末な楽器でミニオーケストラを
作った。
一日一時間だけだったが、捕虜たちは、生き返ったように演奏を楽しんだ。演
奏の時間が与えられるようになってから、病気で倒れる捕虜が激減した。
そんな1年が過ぎた頃、ドイツと日本は講話条約を結び、捕虜たちはドイツに
帰ることになった。その時、捕虜たちは、蒲田に
「お世話になった所長さんに、せめてものお礼です」
と、ベートーベンの第九を演奏してくれたそうだ。
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