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執筆の記録、感想

先日、久しぶりに小説を執筆しました。
”執筆”と言うと、なんかすごい有名なプロの作家さんみたいですが、私はそういう人物ではありません。
趣味で、たまに小説を書くことがあります。
なんだかんだ、とてもスキな自分の側面です。
そんな私ですが、執筆活動したので、その記録を書こうと思います。
振り返ったときに、「あのときはこうだったな」と思い出せるように、
自分の為の記録にもなるかもしれません。

■きっかけ

自分の中に、あるエネルギーが溜まっていました。
小説書きたい材料があるのだけれど、なかなか時間が取れない。集中して書くことが出来ない周囲の状況にある。――そういう感覚の日々でした。
だけど、義務感ではなく、素直に小説が書きたいと欲している自分がいて、行動に移したい気持ちが滲み出始めていました。
そんな時、町の図書館に寄れる時間がたまたま生まれまして、ふらっと入ってみると、【電源付きの調査用卓】が借りられる事を知りました。
(えっ、電源付で借りられるの~?! ここ、いいね!)
そう思いまして、後日時間を作って、図書館に行く日を設けました。

■執筆の様子

その日は、プロットすら無いメモ書き程度の素材と、頭の中にあるイメージを持って、その席を借りに行きました。
すると、自分の中のスイッチが作動したのでしょうね。午前中は3時間。お昼ご飯で一度は家に帰りましたが、再び午後に約4時間。ずっと書き続けることが出来ました。
書いている最中は、久しぶりに物語の登場人物になりきって筆を走らせる状態が続いていたので、あまりほかのことを気にせず執筆に集中できたようです。トイレには午前中1回、午後にも1回行きました。
この日、この時間にひとつの短編小説を最後まで書き上げることができました。
ちょっと終盤は無理矢理に時間を考えて書き上げた感じがあるので、そこは完成度が低めでした。ver0.1って感じですので、このあとに推敲など頑張る必要はあるのですが、一つの作品が生まれそうで嬉しかったです。

■この日の感想

とても嬉しかったんです。
自分にはもう小説を書く情熱が無くなってしまったのか、と思ったりして。少々、物語が生まれる喜びを忘れていましたので、
その感覚が再び味わえました。それが、一つの充実感を与えてくれました。
あとは、この生まれた物語を、しっかり推敲などして整えて、主人公達の活躍を表舞台に押し上げてあげたい。
そんな気持ちです。
さて、それでは、表舞台ってなんでしょう?
それはこの後に、記します。

■「表舞台」

私はこれまで、よくある小説賞に応募して選ばれたら作家デビューだ! なんていう夢のような結果を想像として抱かなかったかというと嘘になります。そんな望みって誰しも小説書く人なら描くでしょう。特に私には一縷の望みだとしてもです。夢を見るのは自由です。(^^)
でも、それはまだ「表舞台」について考えることもしない自分でした。

そのうちに私が「表舞台」を考えるようになったのは、作った小説作品の登場人物たちへの想いからでした。書いているうちに、ある意味で彼ら彼女らのことが愛おしくなります。時に物語の現場に居るその境遇や情景に心動かされ、勝手に彼ら彼女らの気持ちになって涙を堪えながら書きます。自然に筆が走り、時間が同時に流れるかのごとく物語が進行します。だから、彼ら彼女らは自分の子供達のような錯覚になるのです。そんな登場人物達が過ごした物語は、しっかり完成をさせて一つの作品にしたら「表舞台」を与えてあげたいと思ったわけです。

私はひとつの「表舞台」を作ることが出来ました。それは、小説を1冊の書籍に製本してあげる事でした。いくつかの記事で書いたとは思うのですが、作品を表現する一枚の装画をつくり、装丁を設計して本にします。同人誌などの製本業者が世の中にあるという事を知ってからでした。文庫本をたった1冊、自分の本棚に飾ってあげられるだけでいい。それなら、分量にもよりますが文庫本サイズで1000円~5000円程度で作ってくれる業者もありました。ちゃんとカバーやオビまでも作れます。まるで本屋さんに置かれている本のように綺麗に製本されて形になったとき、それはこの上ない喜びでした。(わーいわーい! やっと出来上がった~!)
感慨深く、物語の登場人物達を想いかえします。これが自分に出来る今最大のカタチ=「表舞台」です。そして、本棚に飾って大事な宝物にする自分がいたのでした。

ここ近年になり、数冊の自分だけの製本された書籍が揃ってきていましたが、「誰かに読んでもらってもいいんじゃない? 本を出したら?」と言われたことがありました。
(恥ずかしいし、大した作品でもないし、第一に本になるって小説賞の大賞でも取るくらいのレベルじゃないと無理だし……)当然にそう思いました。しかし、同時に物語に登場する彼ら彼女らがこのまま自分だけに読まれて、私の自己満足という名の”井の中”だけに存在させておくのは、それも悪いという心理になりました。”大海”を見せてあげてこそ親心なのでは?! そんな風に考えるようになったわけです。

彼ら彼女らが活躍する物語の現場を見てもらう、すなわちその作品を読んでもらうことが出来たら、それはきっと喜ぶだろうな! とそう思いました。世界中の人々に愛される名作になることは、私の技量もありますために困難だとは思うのです。しかし、私以外の誰かたった一人にでもいいんです。もし読んでもらえて、彼ら彼女らの活躍を体験してもらえたら、それはそれは大変素晴らしい事だと思います。
そこで私は少々努めています。彼ら彼女らをお披露目する手段や方法を検討する事にです。彼ら彼女らにとって「表舞台」を作ってあげられたら、それは私にとっても嬉しい事だと思えるからです。

■最近の活動

そういうわけで、下手くそなのですが「表舞台」の作り方を模索しているのが現時点の私だと言えるでしょう。
(私以外の誰かたった一人でもいい。物語を気に入ってくれますように。)

そうなってくれるかもしれない可能性を求めて、今実際にやれたことは3つあります。
(1)一般の人が買える状態の本を一冊作りました。

(2)まさにnote、ここでの作品公開です。

(3)これは幸運でした。一つの作品を公開して頂けました。

もう一つ、私が忘れてはいけないことは、作品自体の質を上げることですよね。これから私は相当頑張らねばなりません。(^^ゞ
恥ずかしい作品の質であったら、可哀相な思いをするのは私だけではなく「表舞台」に立った彼ら彼女らだからです。
頑張ります。
頑張れ! 私!


こんな内容ですが、最後まで目を通してくださった方々、どうもありがとうございます。😊



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