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【医師論文解説】鼻腔手術の新常識 下鼻甲介全摘出≠エンプティノーズ症候群!?【OA】
背景:
空っぽの鼻症候群(Empty Nose Syndrome: ENS)は、鼻甲介の過度な切除手術後に発生する稀な合併症です。
患者は客観的には鼻腔が開いているにもかかわらず、逆説的に鼻閉感を訴えます。これまで、計算流体力学(CFD)モデリングにより、ENSでは鼻腔気流パターンが乱れていることが示されてきました。しかし、積極的な鼻甲介手術が必ずENSにつながるというデータはありませんでした。本研究では、バーチャル手術計画(VSP)を用いて、下鼻甲介全摘出が気流パラメータにどのような影響を与えるかを調査し、ENS患者と比較しました。
方法:
研究チームは、鼻閉で鼻甲介縮小手術を受けた6人の患者を後ろ向きに募集しました。
これらの患者に対して、バーチャルで下鼻甲介全摘出を行い、CFDモデリング結果を実際の手術結果および以前に収集したENS患者コホート(n=27)と比較しました。
患者の実際の手術結果、バーチャル手術後、ENS患者の3群で、鼻腔抵抗、気道断面積(CSA)、局所気流量、壁面せん断力分布(WSF)などのパラメータを比較しました。
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結果:
実際の手術結果:
鼻閉塞症状評価(NOSE)スコアが大幅に改善(術前: 72.5 ± 13.2 vs 術後: 10.8 ± 9.8, p < 0.001)
片側の鼻閉塞の視覚的アナログスケール(VAS)スコアも有意に改善(術前: 6 ± 2.56 vs 術後: 1.2 ± 1, p < 0.001)
鼻腔抵抗:
ベースライン(0.21 ± 0.13 Pa/mLs)から実際の手術後(0.12 ± 0.04 Pa/mLs)、バーチャル全摘出後(0.10 ± 0.03 Pa/mL*s)と有意に減少
しかし、実際の手術後とバーチャル全摘出後、ENS患者(0.11 ± 0.04 Pa/mL*s)の間に有意差なし
気道断面積(CSA):
下鼻甲介領域: バーチャル全摘出後に有意に増加(p < 0.001)
中鼻甲介領域: ENS患者のみ有意に高値(p < 0.05)
局所気流量:
下鼻甲介領域: 実際の手術後に有意に増加(82.0 ± 27.6 mL/s, p < 0.01)、バーチャル全摘出後にさらに増加(130.0 ± 41.7 mL/s, p < 0.01)
ENS患者では逆説的に低下(36.6 ± 25.2 mL/s)
中鼻甲介領域: ENS患者のみ有意に高値(103.8 ± 49.7 mL/s, p < 0.001)
壁面せん断力分布(WSF):
下鼻甲介領域: バーチャル全摘出後(47.3% ± 11.3%)はENS患者(32.2% ± 12.5%)より有意に高値(p < 0.001)
中鼻甲介領域: バーチャル全摘出後(26.9% ± 11.4%)はENS患者(43.8% ± 10.1%)より有意に低値(p < 0.001)
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議論:
本研究の結果は、下鼻甲介の全摘出だけでは、ENS患者で観察される気流の乱れを引き起こさないことを示唆しています。鼻腔抵抗は全ての術後状態で有意に減少しましたが、実際の手術、バーチャル手術、ENS患者の間で有意差はありませんでした。これは、鼻甲介領域が十分に縮小されると、さらなる縮小によって抵抗が減少しない可能性を示唆しています。
しかし、総抵抗が類似していても、手術の程度によって局所的な気道CSAと気流量は異なる変化を示しました。特に注目すべきは、ENS群で下鼻甲介領域の気流量が逆説的に減少し、中鼻甲介領域の気流量が増加したことです。これは、ENSにおける気流の不均衡を示唆しています。
一方、バーチャル下鼻甲介全摘出では、このような気流の不均衡は観察されませんでした。これは、下鼻甲介がなくても、中鼻甲介が鼻腔内の気流バランスを調整する役割を果たしている可能性を示唆しています。
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結論:
空っぽの鼻症候群(ENS)は、積極的な鼻甲介手術だけが原因ではない可能性が高く、複数の要因が関与する複雑なプロセスである可能性があります。下鼻甲介と中鼻甲介の両方に対する積極的な手術の組み合わせが、ENSで観察される逆説的な気流の乱れを引き起こす可能性があります。
文献:
Odeh, Ahmad et al. “Does Total Turbinectomy Always Lead to Empty Nose Syndrome? A Computational Virtual Surgery Study.” The Laryngoscope, 10.1002/lary.31757. 21 Sep. 2024, doi:10.1002/lary.31757
この記事は後日、Med J SalonというYouTubeとVRCのイベントで取り上げられ、修正されます。良かったらお誘いあわせの上、お越しください。
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専門用語の解説
計算流体力学(CFD)モデリング: コンピューターを使用して流体の動きをシミュレーションする技術です。この研究では、鼻腔内の気流パターンを詳細に分析するために使用されました。CFDモデリングにより、実際の手術を行わずに、様々な条件下での気流の変化を予測することができます。
バーチャル手術計画(VSP): コンピューター上で手術をシミュレーションする技術です。患者のCTスキャンデータを基に3Dモデルを作成し、仮想的に手術を行うことで、実際の手術前に様々な手術アプローチの結果を予測できます。この研究では、下鼻甲介全摘出の影響を調べるために使用されました。
壁面せん断力分布(WSF): 流体(この場合は空気)が表面(鼻腔の粘膜)に沿って流れる際に生じる力の分布を示します。WSFは鼻腔内の空気と粘膜の相互作用を理解する上で重要な指標であり、呼吸時の粘膜刺激のレベルを示唆する可能性があります。
鼻閉塞症状評価(NOSE)スコア: 鼻閉塞の症状を評価するための標準化された質問票です。患者が鼻の詰まり、呼吸困難、睡眠問題などの症状の重症度を自己評価します。スコアが高いほど、症状が重度であることを示します。
VAS(Visual Analog Scale)スコア: 患者の主観的な症状の強さを測定するためのツールです。通常、10cmの線上で患者が自分の症状の程度を示します。この研究では、鼻閉塞の程度を評価するために使用されました。0が「全く閉塞感がない」状態、10が「完全に閉塞している」状態を表します。
所感:
本研究は、鼻腔手術におけるバーチャル手術計画の可能性と重要性を示しています。従来の通説とは異なり、下鼻甲介の全摘出だけではENSの特徴的な気流パターンを再現できないという結果は、ENSの病態生理に新たな洞察を与えます。今後は、より大きなサンプルサイズでの研究や、下鼻甲介と中鼻甲介の両方に対する積極的な手術のシミュレーションが必要です。これにより、ENSのリスクを最小限に抑えつつ効果的な鼻腔手術を行うためのガイドラインが確立される可能性があります。また、この研究アプローチは、他の複雑な外科的介入の計画と最適化にも応用できる可能性があり、個別化医療の発展に貢献することが期待されます。
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