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【医師論文解説】薬に頼らない船酔い治療!? 視覚トレーニングの驚きの効果【OA】


背景:

船酔いは、多くの船乗りにとって馴染み深い悩みです。

一般的な症状には、吐き気、冷や汗、嘔吐などがあり、2〜12歳の年齢層で最も頻度が高く、女性に多いとされています。船酔いの発症メカニズムは複雑で、前庭系の刺激が中心的な役割を果たしていますが、視覚、前庭、固有受容感覚からの矛盾した入力も関与しています。従来の治療法には抗ヒスタミン薬やスコポラミンなどの薬物療法がありますが、眠気や視覚障害などの副作用が問題となっています。そこで、本研究では薬物に頼らない新しいアプローチとして、視機性訓練の効果を検証しました。

方法:

この研究は、単一施設、単盲検、プラセボ対照介入試験として行われました。

15名の被験者を視機性訓練群とプラセボ群にランダムに割り付けました。訓練前後で、Graybielスケールを用いて船酔いの影響を評価しました。

視機性訓練群は、週1〜2回、20分間のセッションを10回行いました。最初の2セッションでは回転椅子テストを行い、その後の8セッションでは視機性運動刺激を用いた訓練を実施しました。暗室内で、被験者の頭上から投影された光点を20〜40度/秒で回転させ、垂直、水平、回旋運動を組み合わせて海上のうねりを再現しました。さらに、頭部の傾斜運動を加えて擬似コリオリ効果を生み出し、視覚-前庭感覚の不一致を増強しました。5セッション目からは、不安定な台の上でバランス運動を行い、固有受容感覚の要素も追加しました。

プラセボ群は、船酔いの要素に影響を与えない運動を同様のスケジュールで実施しました。

結果:

視機性訓練群では、71.4%の被験者が訓練後に症状の改善を報告し、船酔いのステージがIVからIIに改善しました。一方、プラセボ群では12.5%の被験者のみが改善を示しました。訓練群では訓練前後のGraybielスコアに有意な差が認められました(p = 0.0059)が、プラセボ群では有意差は見られませんでした(p > 0.05)。

訓練の効果は平均4.7ヶ月間持続しました。完全な治癒(ステージI)に至った被験者はいませんでしたが、多くの被験者が船上での作業に支障のない程度まで症状が軽減したと報告しています。

副作用に関しては、300人以上の訓練経験の中で、1名が訓練後半日程度車での距離感覚に困難を感じた例と、1名が訓練期間中のみ車酔いが悪化した例が報告されているのみで、薬物療法と比較して非常に安全性が高いことが示唆されました。

議論:

本研究は、視機性訓練が船酔いの管理に効果的であることを示す初めてのプラセボ対照試験となりました。訓練群の71.4%に症状改善が見られたことは、過去の研究で報告された75%という効果率と一致しています。

視機性訓練の作用メカニズムとしては、海上で経験する感覚の不一致を再現し、脳の神経可塑性を利用して適応能力を高めていると考えられます。特に、前庭系と耳石器官への低周波刺激を視覚情報を通じて提供することで、うねりの動きを模倣し、擬似的なコリオリ効果も再現しています。

本研究の限界として、被験者数が少ないこと、主に軍人を対象としていることによる選択バイアスがあります。また、評価に用いたGraybielスケールには主観的要素が含まれる点も考慮する必要があります。

結論:

視機性訓練は、船酔いに悩む職業船員にとって、副作用の少ない有効な第一選択肢となる可能性があります。今後は、姿勢制御訓練の追加や心理的アプローチの統合など、さらなる改良の余地があります。

文献:

Ressiot, E et al. “Prospective study on the efficacy of optokinetic training in the treatment of seasickness.” European annals of otorhinolaryngology, head and neck diseases vol. 130,5 (2013): 263-8. doi:10.1016/j.anorl.2012.03.009

この記事は後日、Med J Salonというニコ生とVRCのイベントで取り上げられ、修正されます。

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用語解説

【Graybielスコア】

Graybielスコアは、動揺病(乗り物酔い)の重症度を評価するための標準化されたスケールです。以下の症状を点数化して評価します:

  1. 吐き気症候群(0-16点)

  2. 皮膚の色(0-8点)

  3. 冷や汗(0-8点)

  4. 唾液分泌(0-8点)

  5. 眠気(0-8点)

  6. 頭痛(0-1点)

  7. めまい(0-1点)

合計点数に基づいて、以下の4段階に分類されます:

  • ステージI(軽度):1-2点

  • ステージII(中等度):3-7点

  • ステージIII(重度):8-15点

  • ステージIV(極度):16点以上

この評価方法により、動揺病の程度を客観的に数値化し、治療効果の比較が可能になります。

【コリオリ効果】

コリオリ効果とは、回転する系の中で移動する物体が、見かけ上、進行方向から逸れて見える現象です。船酔いの文脈では、「擬似コリオリ効果」という用語が使用されています。

船上では、船の揺れ(回転運動)に加えて、人の頭や体の動き(直線運動)が組み合わさることで、内耳の前庭系が複雑な刺激を受けます。この刺激パターンが、実際の動きと脳が予測する動きの間に不一致を生じさせ、めまいや吐き気などの症状を引き起こします。

視機性訓練では、オプトキネティック刺激(視覚的な回転運動)に加えて頭部の傾斜運動を行うことで、この擬似コリオリ効果を再現しています。これにより、脳に船上と同様の感覚の不一致を経験させ、それに対する適応能力を高めることを目指しています。

所感:

本研究は、従来の薬物療法に代わる新たな船酔い治療法の可能性を示唆する興味深い結果をもたらしました。視覚-前庭感覚の不一致を積極的に利用して脳の適応能力を高めるというアプローチは、単に症状を抑制するだけでなく、根本的な耐性獲得を促す可能性があります。

しかし、サンプルサイズが小さいことや、軍人主体の対象者選定など、いくつかの方法論的制約があることも事実です。今後は、より大規模で多様な被験者群を対象とした研究や、訓練効果の長期的な持続性の検証が必要でしょう。

また、完全な治癒には至らなかった点も注目に値します。これは、船酔いの複雑な病態生理を考えると、視覚-前庭系の適応だけでなく、自律神経系や心理的要因にも配慮した総合的なアプローチの必要性を示唆しているかもしれません。

最後に、この訓練法の汎用性も検討の余地があります。例えば、他の動揺病(車酔いや宇宙酔いなど)への応用可能性や、バーチャルリアリティ技術を用いた訓練プログラムの開発なども、今後の興味深い研究テーマとなるでしょう。

総じて、本研究は船酔い治療の新たな展開の可能性を示す貴重な一歩であり、今後のさらなる研究の発展が期待されます。

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